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遊斎志異(上)
第1話 菊屋敷
晴彦は花が大好きです。春先に隣のお爺さんから菊の押し芽が植えられた植木鉢をもらったのでその世話を始めました。
それまでは花を眺めているだけで花を自分で育てるのは初めてだったのですが、菊の育て方をお爺さんに訊きながらその菊の世話をしました。
すぐに菊の押し芽は根付き、小さかった葉も大きくなってきました。
葉に付いた小さな虫を取ってやり、脇芽を摘んでやり、毎日毎日、菊の世話をしていました。
晴彦はそれをまた楽しんでいました。
晴彦は自分が精いっぱい菊に尽くしてやれば、菊はちゃんとそれに答えて大きくて美しい花を咲かせてくれると信じていました。
季節も過ぎていき、晴彦の世話をする菊は腰ほどの高さに伸びました。倒れないようしっかり支柱を添えています。小さなつぼみが一つ、菊の茎の上に出来ました。8月、9月の嵐の日には、菊が風で傷まないよう植木鉢を家の中に入れてやりました。
小さかったつぼみは大きく膨らんできました。
そして10月の満月の夜、菊のつぼみが開いて大くて真っ赤な菊の花が咲きました。
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晴彦は真っ赤な花の咲いた菊の鉢植えを軒先に運び、縁側に座って眺めています。
『晴彦さん、そんなところで寝ていると風邪をひきますよ』
どうやら、晴彦は昼間の仕事の疲れでうつらうつらと居眠りをしていたようです。
「きみは、誰だい」
『晴彦さんの目の前で赤い花を咲かせている菊の精です。こんなに立派な花を咲かせていただきありがとうございます』
「お礼なんていいんだよ。きみの世話をするのが楽しかったから世話をしてたんだし、こんなにきれいな花を見ることも出来てるし」
『それでも、お礼させてください。私の根元に小さな芽が出ているのが分かりますか』
晴彦は鉢に入った菊の根元を見ると小さな芽が出ています。
『晴彦さん、その芽を採って、大事に育ててくださいね。そうしたら……』
そう言いながら、菊の精は透き通っていきやがて見えなくなってしまいました。
――うー寒い。居眠りしてしまった。やけにはっきりした夢だったなー
夢とは思うものの、菊の鉢植えを見てみると、菊の根元には小さな芽が出ていました。
それを次の日かきとって大事に別の鉢に植えてやりました。残念なことに、芽をかき取られた菊はすぐに枯れてしまいました。そのせいで、晴彦は一層大事にその芽の世話をしました。
そして1年が経ち、10月の満月の夜、菊のつぼみが開き始めました。大きくて真っ赤な菊の花が開いていきます。開き終わった菊の花の真ん中に親指ほどの小さな女の子がちょこんと座っていました。その小さな女の子は白いブラウスに赤いスカートはいています。
「晴彦さん、私を育ててくれてありがとうございます。こんどは私が晴彦さんのお世話をいたします」
晴彦は女の子に両手の平を広げてさし出しました。女の子はぴょこんと晴彦の手のひらに飛び移り晴彦の顔を見上げてにっこり笑います。
「晴彦さん、ふつつかものですがよろしくお願いします」
女の子はそう言っておじぎをしました。
晴彦は小さな女の子を大事に両手で包み、タオルを敷いたお皿の上にそっと入れてあげました。
「今日はそこで休んでね。あした一緒に小さなベッドやきみの着替えを買いに行こう」
そういって、横になった女の子の上にもう1枚のタオルをかけてあげました。
次の日の朝、晴彦が目覚めると小さな女の子が寝ていたはずのお皿が見当たりません。女の子もいないようです。
――また夢を見てしまったのか。
台所の方でカタコト音がしています。そーと覗いてみると、10歳くらいの女の子が朝餉の支度をしています。晴彦に気付いて振り向いてにっこり笑った女の子の顔は昨日の小さな女の子の顔でした。その日から女の子は、晴彦の家の家事をしてくれるようになりました。
そして1年が経ち、10月の満月の夜になりました。
「晴彦さん、私はもう行かなくてはいけません。さようなら。私のことをたまには思い出してくださいね」
女の子は透き通っていきやがて見えなくなってしまいました。
女の子の立っていたところには枯れてしまった菊の花と小さな紙の箱が落ちていました。晴彦が箱を開けてみると、あの小さな女の子が着ていた小さな白いブラウスと赤いスカートが入っていました。
晴彦はもう一度女の子に会おうとそれから毎年何本も何本も菊を育てるようになりました。毎年秋になると菊の花が咲き乱れるようになった晴彦の家は、今では菊屋敷と呼ばれています。
第2話 赤い花
むかしむかし、ある国のお城に美しいお姫さまがいました。
お姫さまのお母さまはお姫さまが幼いころ亡くなっています。お姫さまのお父さまは新しいお妃さまを迎え、そのお妃さまとの間に数年前、男の子が生まれていました。お姫さまは弟にまだ会ったことはありません。
お姫さまはその弟が生れたころから体調を崩し、今では一人では歩けないほどです。お姫さまの世界はもう自分のお部屋と窓から見える四角い中庭だけでした。
四角い中庭のまん中には丸い池があり、池の真ん中に立つ石像の女神さまが両手で支える瓶《かめ》の中から水が流れ落ちていました。
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池の周りには花壇が四つ。四つの花壇の花は春、夏、秋、冬、四つの季節ごとに赤、黄、青、白と色を変えていきます。
今は冬なので窓から見える四つの花壇の花はみんな白い花を咲かせています。その白い花の花壇に囲まれた小さな池に立つ石像の女神さまは北風にさらされとても寒そうです。
――女神さま、寒そうでかわいそう。
「ケホ、ケホ。ケホ、ケホ」
お姫さまが咳をすると、口に当てたハンカチに赤い血が付いていました。
――もう一度、赤い花が見たかった。
お姫さまのほおに涙がひとしずく落ちました。
「ケホ、ケホ。ケホ、ケホ」
次の日もお姫さまが咳をすると、口に当てたハンカチに赤い血が付いていました。赤い血は昨日よりももっと多くなっていました。
――もう一度、赤い花が見たかった。
お姫さまのほおに涙がふたしずく落ちました。
「ケホ、ケホ。ケホ、ケホ」
その次の日もお姫さまが咳をすると、口に当てたハンカチに赤い血が付いていました。赤い血は昨日よりももっともっと多くなっていました。窓から見える石像の女神さまは寒さのためにつららが垂れ下がっています。
――もう一度、赤い花が見たかった。女神さま、わたしの願いをかなえてください。
『おひめさま、わたしはお庭のお池の中に立つ石でできた女神です。
お池の中は寒くて寒くて凍《こご》えそうです。
お姫さまの着ている暖かそうなガウンをわたしに着せてくださいな。
ガウンを着せてくれれば、お庭の花壇の花を赤くしてあげましょう』
お姫さまは四角いお庭に生まれて初めて自分の足で出ることができました。お部屋から庭に出る扉は普段は鍵がかかっていたのですが、今日は鍵がかかっていませんでした。
冷たい北風の中、お姫さまは自分の着ているガウンを脱いで凍えるような水の張った丸い池の中に素足で入って行きました。
池は少しずつ深くなり、お姫さまが腰まで冷たい水に浸かってしまいました。お姫さまはそれでも手にしたガウン離さず、なんとか石像の女神さまの前に立ち、女神さまに手にしたガウンを着せてあげました。
女神さまの持つ瓶《かめ》から流れ出る冷たい水がお姫さまの着ている赤い寝間着にかかります。
不思議なことにお姫さまはもう寒くはありませんでした。
次の日の朝、四角い庭の四つの花壇のなかで、一つだけ花の色が赤くなった花壇がありました。
第3話 小さな子犬
小学校3年生の良太は、動物が好きです。特に子犬が大好きです。
良太は犬を連れて近所を散歩する人を見るといつも羨ましく思っていました。
誕生日やクリスマスのプレゼントに両親に犬が欲しいと何度もねだってみましたが、住んでいるマンションではペットを飼ってはいけないということで両親は犬を買ってくれません。
いつもは友達と一緒の下校なのですが、今日は珍しく良太一人です。そこの角を曲がると良太のマンションです。曲がり角には一本の電信柱が立っていて、その横がゴミ捨て場になっています。そのゴミ捨て場の脇の方から小さな鳴き声が聞こえてきました。
そこには、どんぶり型をしたカップ麺の容器が置いてあり、容器の底の方にガーゼを敷かれていて、その上に良太の拳ほどの小さな黒い子犬が乗っていました。
子犬は、生まれたてのようで目をつむって『ミャー、ミャー』鳴いています。きっとお腹がすいているのでしょう。良太は急いでその容器を持ってマンションの自宅に帰りました。
今の時間は良太のお母さんはパートに働きに出ているので、家の中には誰もいません。
流し台の上に子犬の入った容器をいったん置いて、おなかのすいた子犬に飲ませようと冷蔵庫から牛乳を取り出しました。牛乳が冷たいことに気付いた良太は小皿に牛乳を入れてレンジで温めました。良太は皿の中に指を入れて牛乳の温度を確かめます。
――これくらいかな。
スプーンで牛乳をすくって子犬の鼻先に持っていくと、子犬は目をつむったまま、ぺちゃぺちゃとスプーンの牛乳を飲みます。すぐに一杯目がなくなったので、二杯目を飲ませます。二杯目を飲み終わった子犬はお腹がいっぱいになったようでガーゼの上で小さく丸くなって眠ってしまいました。
良太は子犬が起きないようにカップ麺の容器を大事に持ち上げて、自分の部屋に運びました。
部屋の中にちょうどいい大きさの段ボールの空箱があったので、その中に子犬の入ったカップ麺の容器をそっと入れました。子犬はその中で、おとなしく寝ています。安心した良太は箱の蓋を閉めておきました。
夜になって段ボールの蓋を少し開けて中を見てみると、カップ麺の容器がひっくり返って、小さな子犬が段ボール箱の中であっちへうろうろこっちへうろうろしています。
そのうち良太が上から覗いているのに気付いた子犬は良太を見上げながら、小さな尻尾をこれでもかと振ります。
良太は段ボール箱からカップ麺の容器とガーゼを取り出し、代わりに畳んだタオルを段ボール箱の中に入れてやりました。
両親が寝静まったの見計らい、温めた牛乳を小さな子犬に飲ませてやりました。
次の日も、同じように良太は子犬の世話をしてやりました。そして、次の日も。良太は小さな子犬にクロと名前をつけました。
不思議なことに、良太が世話をするクロは一日ごとに小さくなっていきました。最初は良太の拳くらいの大きさだったクロが、今では親指くらいに小さくなってしまいました。
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親指くらいに小さくなったクロが段ボール箱の中で走り回っています。
クロを飼い始めて2週間ほど経ちました。クロの大きさは今では、小指の先ほどです。
小学校から帰った良太は、さっそく段ボール箱の中のクロの様子を見ようと自分の部屋に戻りましたがクロの入っているはずの段ボール箱が見当たりません。
いくら探しても、どこを探しても、家じゅう探しても段ボール箱は見つかりません。
夕方。パートから帰って来た母親に、自分の部屋にあった段ボール箱を知らないかと尋ねたところ、
「中から変な虫が出てきたから捨てたわよ。出て来た虫を丸めた新聞紙で叩いたら、赤くなっちゃった。何を食べてたのかしらね」
大人になった良太は、動物が苦手です。特に子犬が苦手です。
第4話 後ろの足音
「ハア、ハア、ハア、……」
コツ、コツ、コツ、……
夏美は暗い夜道を後ろを振り返りながら走っている。後ろから誰かの足音がさっきから聞こえてきているが不思議なことに足音の主の姿が見えない。夏美は脇の下に嫌な汗をかいている。
夏美が走っている道は、遊歩道になっている小道で両脇には季節の草花が植えられ、ツツジやアジサイなどの背の低い木も植えられており昼間であれば、道行く人の目を楽しませてくれる。
今は真夜中で、夜道を照らす数少ない街灯の弱々しい光だけが道を照らし、両脇の低木の葉や花も灰色にしか見えない。少し先の街灯の蛍光灯が暗くなってはまたジジジと音を立てて点灯するのを繰り返している。
遊歩道の両側には民家が建っているんだが、これも不思議なことにどこの民家からも明かりは漏れていない。
夏美は何度も振り返って後ろを見るのだが誰もいない。前を向いて進もうとすると後ろから足音が聞こえる。
コツ、コツ、コツ、……
50メートル先には人通りも多い大きな自動車道がある。左の足のサンダルの踵が取れてしまったので今は左足はつま先立ちで走っている。
「ハア、ハア、ハア、……」
夏美はなんとか遊歩道から街灯が明るく照らす広い道に出られた。後ろを向くとやはり誰もいない。夏美は背筋に嫌な汗をかいている。
「フー」
――怖かったー。何だったの、あの足音。遠回りでもこっちの道を通ればよかった。
その広い道は、街灯も多く夜道でも明るかったのだが、今はなぜか誰も歩いていないし普段は行き交う車も今日は走っていない。なんだか薄気味悪くなった夏美は両足のサンダルを脱いで片手に持ち裸足で走り始めた。
![](https://assets.st-note.com/img/1682489736819-pyJgqxfG7U.jpg?width=1200)
「ハア、ハア、ハア……」
夏美は夢中でその道を走るのだがいくら走っても自宅にたどり着けない。それどころか、またあの足音が聞こえてきた。
コツ、コツ、コツ、……
「ハア、ハア、ハア、……」
夏美は後ろからの足音が聞こえなくなったと思い、下を向いて両手を膝に当てて苦しい息をしばらく整えた。
ようやく息も整い前を向くと夏美の立っているのはしばらく前に走り抜けたはずの遊歩道の上だった。
コツ、コツ、コツ、……
夏美のすぐ後ろからあの足音が聞こえてきた。
「……」
後ろを振り向くとそこに立っていたのは、……
翌朝。手提げ袋を手にした近所の老人が遊歩道を老犬を連れて散歩していると、普段吠えない老犬がやたらと吠える。
老人が老犬の吠える先を見てみると、赤い花の咲いたツツジの木の下に転がった1足の女物のサンダルを見つけた。片方のサンダルには踵がなかった。老人はそのサンダルを手提げ袋の中にしまった。
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