幼馴染(おさななじみ)
第1話 幼馴染(おさななじみ)
【前書き】
なろう、カクヨムに公開中。ちょうどよい長さのものがあったのでnoteにも公開しました。いちおう悲恋ものです。
俺の名前は松田祐介(まつだゆうすけ)。隣の家に住む花沢京子(はなざわきょうこ)とは幼馴染《おさななじみ》という奴だ。
この花沢京子、容姿端麗、頭脳明晰を絵にかいたような女だ。しかも外面はメチャクチャいいので、学校で教師からの信頼も厚く、三年生になる次の四月からは生徒会長なんかも務めることになっている。だから、同じことを言っても花沢京子の言ったことは全て信用されるが、その逆を俺が言おうものなら俺は組八分にされてしまう。
しかし、この女、俺に対してはなぜか女王さまなのだ。
勝手にうちに上がり込んでは、居間のソファーに座って、脇の下まで伸ばした自慢の黒髪を片側に寄せて、反対側の肩を軽くたたく。俺はだまって後ろに回ってカタモミだ。京子の自慢の黒髪は、小6のころショートの髪を延ばし始めたもので、手入れに随分手間をかけているといつも言っている。いうだけあって、男の俺から見ても見事な艶のある黒髪だ。
のどが渇いたというので水を持って来てやったら、
「これ何? 水道水じゃない。こんなもの飲めるわけないでしょ。ミネラルウォーターがないならジュースでも良いわ」
まさに、パンがなければケーキを食べればいいじゃない。どこかのマリーさんのセリフだ。
そのマリーさんは、出かけていたうちの母親が帰ってくると、にっこり笑って、
「悠《ゆう》くんのお母さん、お邪魔してま~す」
「あら、京子ちゃん、ゆっくりしてってね」
こうだ。そして、おふくろが台所に引っ込むと、小声で、
「何してんのよ、喉が渇いたから早くジュースか何か持ってきなさいよ」
もう、誰か、こいつを何とかしてくれよ。
ジュースがたまたま冷蔵庫の中にあったから良かったものの、無かったら、もっと機嫌が悪くなったはずだ。
「祐介、あんたの名前、松〇優作によく似てるのにどうしてそんなに田舎顔なの?」
知らんがな。松〇優作って誰よ。
「松〇優作って誰だよ?」
「あら、松〇優作知らないの? 1980年代のイケメンスターよ」
「なんでおまえがそんなの知ってんだよ?」
「お前じゃないでしょ。花沢さんでしょ。祐介におまえって言われたくないわ」
「わかったよ、それで何で花沢さんがそんな昔の俳優のこと知ってんだよ?」
「きのうテレビに出てたの。『探偵〇語』ってやってたでしょ。あの最後のシーンすごかったー」
「そりゃあ良かったな」
「なによ。あんたみたいなお子さまには分かんないでしょうよ」
「はいはい」
「返事は一度でいいの!」
ま、いつもこんな感じだ。
第2話 始まらない恋を失うということ
今日はあこがれの先輩の卒業式。
卒業式が終わるのを待って手渡そうと握りしめた手紙が汗でよれよれになってしまった。その手紙は、昨夜深夜までかかって俺が書き上げた、一世一代のラブレターだ。書き上げた便せんを折りたたんで、百均で買った少しオサレな模様の入った封筒に入れて、準備したものだ。
その手紙のしわをしっかり伸ばして、もう一度持ち直す。
講堂の前で式の終わった卒業生を出待ちしていたら、扉が一斉に開き、保護者がぞろぞろと講堂から出て来た。その後を卒業生が胸にリボンを付けて男女2列ずつでクラス順に並んでこちらに向かって歩いて来る。
先輩がいた! 今だ。
長い黒髪を後ろで三つ編みにして赤いリボンで纏めた先輩を見つけた俺は、先輩以外周りが全く目に入らず駆けだした。
そしてつまずいた。
それはもう盛大に。しかもゴロリと一回転までした。なんとかアスファルト製の地面から起き上がり、先輩に向かってもう一度駆けだす。
転んだ拍子に額の辺りをどこか切ったらしく、垂れた血が目に入ったみたいで、よけい周りが見えなくなってしまい、そしてまたつまずいた。何とか起き上がった俺は、一歩、また一歩とよれよれの手紙を握りしめ、先輩に近づいて行った。
「キャー!」
それが、俺にとっての先輩の最後の言葉だった。
そして、俺の後方からは大笑いの声。誰の声かは顔を見なくても分かる。もちろん、声の主は花沢京子だ。
保健室の窓から西日が差している。
手のひらや、顔には絆創膏が貼られている。頭を触ると包帯が巻いてあった。
大笑いする花沢に付き添われて俺は保健室に行き、そこで保健室の先生に治療を受けた後、ベッドに横になっていたら眠ってしまったようだ。
「松田、もう放課後だ。目が覚めたのならもう帰れ」
保健室の先生に礼を言って、保健室の扉を開けたら、花沢京子が俺のカバンを持って立っていた。
「ほら、あんたのカバン持ってきてあげたわよ。重かったんだからね」
「ああ、ありがと」
「『花沢さん、ありがとうございました』でしょ!」
「花沢さん、ありがとうございました」
「よろしい。あと、ジュースかなにか、帰りにおごってよ」
ジュース程度なら安いものだ。
「さっきはジュースをおごってって言ったけどやっぱりいいわ」
どうした風の吹き回しだ? なにかありそうで何だか怖いぞ。
「そのかわり、」
やっぱりだった。
「そのかわり、祐介は帰宅部なんだから、来月から生徒会に入らない? 私が決めていい枠が一つ余ってるんだけど」
それ来た。
「ジュースをおごってやるからな。変なことを俺に言わないでくれるか。俺みたいなのが生徒会に入ったらそれこそ顰蹙ものだろ?」
「そんなことはないと思うわ。現に祐介、成績だってそれなりにいい方だし。わたしより成績は悪いけど、それは当たり前なんだから気にしなくていいのよ」
一言多いんだよ!
「……」
「そういえば祐介、あんた最後に転んだ時、これ落としたでしょ? 拾ってあげたわよ。感謝しなさい」
すっかりラブレターのことを忘れていた。最後の『キャー!』で頭の中が空っぽになってたようだ。しかし、これは本当に助かった。
「花沢さん、ありがとうございました」
今回の感謝の気持ちは本物だ。ここで対応を間違えると大変なことになる。
「よろしい。他には?」
「え?」
「だから、他に何か私に言うことないの? あるでしょ。あら、何もないの? それじゃあ、これは返してあげない」
俺なんか生徒会に入れてこいつは何をしたいんだ? 生徒会に入れて俺を雑用係にしたいのか? とはいえ、あの手紙が世に出てはマズい。非常にマズい。ここは、己を殺すかないようだ。
「分かったよ。やればいいんだろ、生徒会」
「あら? 言い方がちょっと気にいらないわ」
「分かりました、花沢さん。私を生徒会に入れてください!」
「よろしい。それじゃあ、はい」
京子に手渡された手紙を受け取ってポケットにしまった。家に帰ったら小さくちぎってごみ箱に捨てなくてはならない。
「はあー」
ため息が出てしまった。来月から俺は帰宅部ではなくなるのか。
始まる前から失恋した俺の気持ちはその時ほとんど癒《い》えていたと思う。
京子と別れ、とぼとぼうちに帰った俺は、母さんに制服のことを根掘り葉掘り聞かれるのを覚悟していたが、特段何も言われなかった。血が付いて、肘や膝の辺りが擦り切れてしまいところどころに孔の空いた制服を、繕ってからクリーニングに出すから纏めておきなさいと言われただけだった。
第3話 生徒会
いろいろな意味で吹っ切れた俺の学年末試験の成績は、もちろん京子には及ばなかったものの思った以上に良かったようで、軒並み成績はアップした。
「あら、祐介もやればできるじゃない」
「あら、裕ちゃんやればできるじゃない」
上が、京子のお言葉。下が母さんのお言葉。何だかこの二人似てきてないか。
そして迎えた新学期。新しいクラスは3年A組、京子もどういう訳か俺と同じA組だった。
俺は、京子のせいで結局生徒会の会計ということになった。会計が何をする仕事なのかはいまいち分からないが、会計というからには数字を足したり引いたりしておけばいいんだろう。言われた仕事をただ淡々とこなしていけばいいのだろうが、今のところ何も言われていないので何もすることがない。
放課後の今、生徒会室の中には生徒会のフルメンバーがそろっている。会長の京子、副会長のやせた黒ぶち眼鏡の男子生徒、書記の銀縁メガネで三つ編みの女子と色黒のショートヘアの女子。それに会計の俺の五名。銀縁メガネの女子は見た目はきつそうな感じの女子で、色黒のショートヘアはおっとりした感じの女子だ。
他の四名がどういった意味があるのか俺では見当もつかないような議論を続けている中、俺は、長机の隅の方の席に座って、今日もじっとしている。それだけだ。
ときおり、京子が俺に意見を求めてくるのだが、もとよりノーアイディアなのだから、「そうだな」といっておく。『肯定文』ならばその場をやり過ごせる。まちがって『否定文』で返してしまうと理由を聞かれてしまうのでそこだけは慎重に対応している。
何をしていようがしていまいが、時間は過ぎていくわけで、生徒の帰宅時刻を報せるチャイムが鳴ると、俺はそそくさと生徒会室まで持ってきたカバンを手に帰宅する。
これがあと一年近く続くのか。この無駄で無意味な時間を俺に返してくれ!
俺が、生徒会室を出ると俺を追うように黒ぶち眼鏡がでてきた。どうも俺に用があるようだ。
「松田くん、君もう少し真面目にやってくれないか?」
こいつ、変わったヤツだな。俺が真面目にやる、やらないがこいつに何か関係があるのか?
黙っていたら、京子が出てきて、
「何一人で帰ってるのよ!」
「帰宅時間だから、なるべく早くうちに帰らないといけないからな」
黒ぶち眼鏡を無視して京子に返事をしたら、黒ぶち眼鏡は「チッ!」っと舌打ちして帰って行った。よほど俺のことが気にくわないらしい。京子は先ほどの黒ぶち眼鏡が俺に言った言葉は聞いていなかったようだ。
「帰る方向が一緒なんだから、勝手に一人で帰らないでよ」
「へいへい」
「返事は、『はい』一度だけ」
「はい」
「ねえ、さっき何かあったの?」
「何も」
黒ぶち眼鏡が俺に言った言葉自体は聞こえなかったようだが何かあったのは気付いていたのか。
「なあ、俺、生徒会止めたいんだけれど」
「あら、そう。それなら代わりの人を見つけてきてよ」
俺にそんなことを頼めるような友達はいないのを見越しての発言だと思うが、今に見ておれ。自分から生徒会の役員になりたがるヤツは必ずいる。それなら俺の友達である必要はないからな。
「祐介、わたし最近疲れやすくなったのよね。以前はこんなことなかったのに。ということで、私のカバンも持ってくれる?」
この程度のわがままは大したことがないので、黙って京子からカバンを受け取った。
「あら、今日はいやに素直なのね」
そういえば、疲れやすいと今言った京子の顔なのだが、以前より顔色が悪いような気がする。気のせいかもしれないが、少し青白い。
「なあ、京子、どこか体の調子が悪いってことはないか?」
「うーん、ちょっと微熱が続いているのよ。風邪って感じじゃないんだけどね。なに? 祐介、心配してくれているの?」
「それはそうだろう」
「あら! ありがと。でも大丈夫よ」
第4話 予兆
京子と連れだって、夕方帰宅する。
道すがら話す内容は、何それのドラマの何々がどうとか、歌手グループの中の誰だれがどうとかが主な内容だ。俺の方は、テレビはあまり見ないので、京子が話しているのを聞いているだけだ。たまに相づちを打たないとふくれるので、タイミングを見て、「そうなんだ」とか話に合っているのかどうかわからないが適当に言葉を挟むようにしている。
「ケフン、ケフン。それでね、……」
夢中になって話している途中で、京子がよく咳をする。今まで気にしていなかったのだが、今日はやけに気になる咳だ。
「なあ、京子、本当に、体の方は大丈夫なのか?」
「大丈夫に決まっているじゃない」
「それならいいんだけどな」
「でもね、最近、歯を磨いたとき、歯ブラシに血が付いてたりすることがあるし、たまに立ち眩みもすることがあるの」
「よくは分からないけれど、一度お医者さんに診てもらった方がいいんじゃないか? 微熱もあるって言ってたろ」
「やっぱり、祐介もそう思う? お母さんもそう言ってたんだけど」
「なんともなければ、みんなも安心するんだし、もし何かあっても早ければ早い方がいいんだろ?」
「それじゃあ、次の土曜日に開いている病院に行ってみるわ」
「そうした方がいいよ」
「そういえば、祐介、次の日曜空いてるわよね」
「空いてることは空いてるけど、なんでそう決めつけるんだよ?」
「空いてるんならいいじゃない。お父さんが動物園のチケットもらってきたんだけど一緒に行こうよ」
「悪い、前から言ってるけど、俺は動物園のあの臭いがダメなんだ。水族館ならいいぞ」
「そういえば、そうだったわね。たしかにちょっと独特な臭いがあるものね。それじゃあ、水族館でもいいわ」
「動物園のチケットはいいのかよ」
「いいの、いいの」
そして、約束の日曜日の朝。
「それじゃあ母さん行って来る」
「気をつけてよ。京子ちゃんによろしくね」
待ち合わせ場所は近くのバス停で、9時に集合なので比較的朝はゆっくりできる。
水族館の前を通るバスの時刻は9時5分。待ち合わせ場所に遅れると京子はすごくうるさいので、9時10分前にバス停につくよう家を出た。
バス停は家から、数分の場所なので、ちゃんと待ち合わせの10分前についたのだが、これまで遅れることはあっても、一度も俺より早く待ち合わせの場所に到着したことのなかった京子がすでにバス停に立っていた。京子以外にバス停でバスを待っている人はいなかった。
春めいた薄めのカーディガンにブラウス。ふわっとしたスカートをはいた京子は、普段見慣れている俺から見ても、ドキリとするような美少女だった。
「おはよう祐介。ちょっと、早くついちゃった」
「おはよう。初めてじゃないか? 京子が俺より早く待ち合わせの場所についてるなんて」
「そんなことはないと思うわよ」
「どっちでもいいけどな。そういえば、きのう病院にいったんだろ、どうだった?」
「検査の結果待ち。お母さんが後で先生に呼ばれて何か話していたけど、何を話しているのかは聞いていないわ。何ともないんじゃない。とりあえず栄養剤の点滴を昨日は打ったんだけど、そのおかげか今日は少し調子がいいわ」
「そうだったんだ。点滴なんて俺はしたことないけど、どうだった?」
「思ってたほど痛くもなかったし、時間はかかったけれどそれだけ」
「ふーん。何ともなかったのなら安心だけど、結果が良ければいいな」
「ありがと」
第5話 水族館
時間通りにやって来たバスに乗り込んで、一番後ろの席に二人並んで座った。何も言わずとも京子は窓側だ。乗っている乗客は俺たちのほかには三名ほどだった。
だいたいいつも窓の外を見ている京子が珍しく俺の方を向いている。
何か顔につけてきたか?
「なんだよ? 俺の顔に何かついてるか?」
「祐介の顔をよく見ておこうと思って」
「いつでも見れるだろ」
「まあね。……、ケフ、ケフ」
「咳が止まらないなー」
「大丈夫」
乗客が入れ替わりながら30分ほどで、バスはちょうど水族館の入り口に停まった。バスを降りてそのままチケット売り場へ。
「きょうは、わたしが出すから気にしないで。お母さんからたくさんお小遣いもらってきたから、大丈夫よ」
「俺も、母さんからいくらかは貰って来たから大丈夫だぞ」
「いいの、いいの。任せて」
そう言って京子が窓口で中・高生二人分のチケットを買ってしまった。ここ数日、京子が人が変わったようにやさしくなったような気がするのだが、妙な感じだ。
「へー、ここへ来たのは、幼稚園の遠足以来よね?」
「そうだったな。あんときは、京子が何かで泣き出したんだったよな。何だっけなー?」
「思い出さなくていいから」
「思い出した! おシッ……」
「バカ!」
「忘れた」
「それでいの」
……
「幼稚園で来た時はここずいぶん広く感じたんだけど、そんなに広くはなかったのね。あっという間に見終わってしまったわ」
「だって、京子は説明なんて全然見てなくて、ちょっと見ただけで素通《すどお》りだもの」
「いいじゃないの。少し疲れたから、あそこの椅子に座って休憩しよ」
「ああ。それじゃあ、俺がジュース買って来てやるよ。何飲む?」
「うーん。それなら、いつもの甘いコーヒーかな」
「わかった。いつものな」
「ほい」
「ありがと」
「まだ、昼には早いけどどうする?」
「そうね、ここのフードコートでもいいかもしれないけれど、もう少しおしゃれなところがいいわ」
「おしゃれねー」
「前の通りを歩いてみて、良さそうなところに入りましょうよ」
「そうしようか」
「祐介は何が食べたい?」
「何でも。好き嫌いは特にないのは知ってるだろ? 京子の好きなものでいいぞ」
「わたしも、お店を見てから決めるわ。これを飲んだら出よ」
「ああ」
「建物の外に出ると、少し汗ばむ陽気ね」
「今日は天気がいいからな。食べ物屋さんがいくらか並んでるようだから、あっちの方に行ってみるか?」
「まだ、お昼には少しあるから、こっちの方に歩いて行ってみない?」
「わかった。でも、こっちの道は普通の店が並んでるだけだぞ」
「だからいいの」
商店街というほどではないが、小物を売る店、布を売る店、雑貨店などが並んだ通りを二人並んで歩いていく。
「ちょっといいかしら」
そういって、京子が小さな店の中に入って行った。どうやらアクセサリーなどを扱っている店のようだ。そんな店には入りたくはなかったが、そういう訳にもいかないので、後からくっついて店の中に入る。
さっそく、京子が、イヤリングを見つけて、耳にくっつけて俺の方に見せる。こういった時は、ただ、『似合うと思う』と返事をするのではダメだとどこかで聞いたことがある。それなりに気の利いたことを言わないと怒りだす可能性もあるのだ。ここは慎重に言葉を選ぶ。
京子の選んだイヤリングは大きさの違う銀色のわっかが三個、耳につける部分の付け根で重なったちょっと大人っぽいイヤリングだった。
「よく似合ってるんじゃないか」
慎重に言葉を選んだつもりだったが出てきた言葉は、『似合うと思う』とほとんど変わらなかった。いままでだったら、ここでお小言の一つでも返ってくたはずなのだが、
「そう? 似合ってる? よかった。それじゃあ、これを買おうかしら」
なんだか、今の返事でも合格だったらしい。
「家の中なら、イヤリングしててもいいかもしれないけれど、中学生じゃまだ早くないか?」
「いいの、祐介はそんなこと気にしなくて」
そういって、京子は、店員にお金を払ってそのイアリングを買ってその場で両耳につけてしまった。
一応、
「いいんじゃないか」
「ありがと」
イヤリングをつけた京子はどこか大人びた雰囲気が漂ってきた。たったそれだけで今までの京子とは違う京子になってしまったように思えて、自分自身に驚いた。
第6話 デート
アクセサリー屋を出た俺たちは、運のいいことにパスタ屋さんの看板が目に入ったので、もう少しその道を進んで行った。
「このお店、雰囲気良さそうだし、ここにしない?」
「高くないかな?」
「大丈夫。お金のことなら心配しないで」
なんだか、今日の京子はお姉さんモードになったようで妙に優しい。
その小さなお店に入ると、まだ午前中だったせいか、数人しかお客さんはいなかった。
二人席についてメニューを見ると、そこそこの値段がする。
お店の人がやって来たので、俺は無難にスパゲティーのミートソースを、京子の方は、ラザニアとかいう料理を頼んだ。
「祐介、スパゲティーだけで足りる?」
「多分足りない」
「大盛にしておけば?」
「そうだな。
すいませーん、さっきの注文、スパゲティーは大盛でお願いします」
問題なく大盛に注文が変更できた。
料理が出てくるのを待っている間、
「ねえ、祐介、わたしたち、今デートしてるのよね」
「第三者的に言えばそう見えるかもな」
「なに訳の分からないこと言ってんのよ」
「いや、だって、いつだって一緒に出歩いてたじゃないか?」
「今日は特別なの」
「そう思うのなら、思えばいいんじゃないか」
「何よ。祐介は、わたしのこと意識しないの?」
「うん? 何が言いたいのか分からないけれど、いつも意識してるぞ」
「そういうんじゃなくて、ほら、女の子として」
「いや、ちゃんと意識してる。京子は女だ、間違いない」
「もう」
京子が何を言いたいのか分からないまま、二人で話をしていたら、料理がやって来た。
俺のは大盛だけあって、それなりの量のスパゲティーが皿に盛ってあったが、京子のラザニアなる料理はかなり小さな器に入ったものだった。
「京子、そんなので足りるのか?」
「そんなに食欲があるわけじゃないから、これで十分なの」
「そうかー? 前はもっと食べてたよな」
「レディーは小食なの」
「それならそれでいいけどな」
俺の頼んだスパゲティーのミートソースの大盛りは無難な料理だけあって、それなりの量、それなりの味で満足できるものだったが、京子は自分のラザニアを半分も食べずに残してしまった。
「大丈夫か?」
「大丈夫。気にしないで」
そうはいっても、京子がこれほど小食なのは、なんか気になる。
食後にコーヒーが付いていたので、俺はコーヒーを、京子はコーヒーは断り、水を頼んでいた。
パスタ屋さんを出て、
「祐介、食事もしたし、そろそろ帰ろうか?」
そういう京子の顔が少し青ざめているような気がした。
「少し顔色が悪いような気がするけど、大丈夫か?」
「大丈夫よ。でも、少し疲れが出て来たようだから、帰ろ」
「分かった」
その店でも、支払いは俺の分まで京子がしてしまった。京子はいったいどうしちゃったんだろう。
「本当にいいのか?」
「いいの」
店を出て、そのまま近くの横断歩道で通りを横切り、帰りのバス停まで歩いていくと、いくらも待たずバスに乗ることができた。
乗ったバスの中には、空席が一つだけあったのだが、よほど京子は疲れが出ていたようで、さっさとその席に座ってしまった。いままでの京子ならこんなふうにさっさと席に着くことはなかったと思う。
なんだか嫌な予感がし始めた。
第7話 霹靂(へきれき)
やって来た帰りのバスに乗り込むと、京子はただ一つ空いていたバスの席に座りすぐに目を閉じてしまった。
俺は席に着いた京子の前に立っている。やや下を向いて目を閉じている京子の顔が青白くみえた。
何も会話することもなく、バスは俺たちの降りる停留所の手前までやって来た。
「京子、次だぞ」
「あっ。少し寝てたわ。ありがとう」
次のバス停でバスを下り、京子の住むマンションの前で、
「祐介、今日はほんとうにありがとう。楽しかった」
「ああ、? それじゃあ」
いったい今日の京子はどうしたんだ?
「ただいま、母さん」
「お帰りなさい」
俺も京子ではないが、すこし疲れたので自分の部屋で着替えを済ませて、ベッドに横になっていたら、夕方になっていた。
昼のスパゲティーが思った以上に重かったらしく、夕食は軽めに済ませ、何となく勉強机に向かって先日買ったラノベを読んでいたらいい時間になったので、ベッドにもぐりこんで寝てしまった。
フワーンフワーン、フワーンフワーン。
夜中、家の近くで鳴っていた救急車のサイレンで一度目が覚めたが、また寝てしまった。
翌日の月曜日。かなり早くに目が覚めた。
きのうの京子のことを思い出しつつ、朝食をとり、制服に着替えて家を出た。小学校の低学年までは京子と連れだって登校していたのだが、三年生くらいから別々に登校するようになった。昨日のこともあるので、今日は、京子と一緒に久しぶりに学校に行こうかと思って、京子の住むマンションの前でしばらく京子が出てくるのを待つことにした。
今日は生ゴミの日らしく、道路に面したマンションのゴミ置き場でおばさんたちが話している話し声が俺の方にも聞こえてきた。
「夜の夜中に救急車がやって来たのには驚いたわよねー」
「そうよね。乗って行ったのは花沢さんの娘さんだったみたいよ」
えっ? 京子が救急車? えっ? このマンションに花沢というそれほどメジャーでもない名前の家は京子の家しかなかったはずだ。
「可愛い娘さんなのにねー。どこが悪かったのかしら? ……」
俺は、頭の中でくるくるといろんなことを考えて、どこをどう歩いてきたのか、気が付いたら始業間際で学校の校門をくぐっていた。
なんとか遅刻せずに教室に滑り込んだ俺は、京子の席を確認したがもちろん席の主はいない。教室の中でぽっかり俺と京子の席だけ穴が空いたようだ。
俺が席に着くとすぐに担任の先生が教室にやって来て、
「今日は花沢は欠席だ」
そう告げられた。それ以上京子については何もなく、ホームルームはすぐに終わってしまった。
確認はしなかったが、今日の生徒会はさすがに休みだろうと思い、放課後、急いで教室をでた。教室を出て廊下を玄関に向かい歩いていたら、生徒会の副会長の黒ぶち眼鏡が後ろから俺を追ってきたようで、
「松田、ちょっと待て」
「?」
「おまえ、花沢さんのことを何か知っているか?」
「知らない」
「本当か?」
「うそを言ってどうなる? 生徒会は今日はないんだろ。それじゃあな」
こいつ、物のたずね方も知らないのか? 何だか相当ウザいやつだな。
玄関にやって来た俺は、すぐに靴を履き替えて学校を後にした。
「ただいま」
「お帰んなさい。ずいぶん早いのね。それはそうと大変なことになったわね。あなたも聞いてるでしょ? 京子ちゃんのこと」
「いや、今日休むという連絡があったらしいことだけ」
「あら、そうだったの。大変なのよ。京子ちゃん昨日《きのう》の夜、急に具合が悪くなったようで真夜中に救急車で運ばれてそのまま入院したのよ。お見舞いに行かなくちゃいけないけれど、まだばたついているようだから、もう少し落ち着いてから、母さんがお見舞いに行くわ。あんたはどうする?」
「変な時に行って邪魔しても悪いから、俺も母さんと一緒に行くよ」
「そう、明日《あした》か、明後日《あさって》、あなたが帰って来てからお見舞いに行きましょう」
第8話 お見舞い、セカンドキス
翌日、授業が終わり、帰宅しようと学校の玄関に向かっていると、また生徒会の黒ぶち眼鏡、ウザオが俺を追ってきて、
「松田、花沢さんのことを何か聞いていないか?」
「聞いていない」
「本当か?」
「好きにしろ、それじゃあな」
うちに帰ると、母さんが余所行きの格好をしていた。
「祐介、制服でもいいけど、これから花沢さんのところへ見舞いにいくから、着替えてくるなら急いでね」
「このままでいい。荷物を置いてくる」
カバンを部屋に置いてすぐに玄関に戻り、母さんと一緒にバス停に向かった。
バスに乗ってやって来たのは、歩くにはもちろん距離があるが、バスだとそれほど離れていない総合病院だった。
病院の窓口で、入院患者の名前を言って、病室を教えてもらった。その病院は10階建てで6階から上が入院用の病室だそうで、教えてもらった病室は10階、個室の病室が並んでいる階だった。あとで聞いたが、昨日未明かつぎ込まれた時、一応の処置をされたあとには四人部屋だったそうだが、今日の朝から個室に引っ越したそうだ。
エレベーターに乗って、10階のナースステーションで来客名簿に名前を書いて病室に向かう。あと1時間は面会可能のようだった。
教えてもらった病室のドアの横には、『花沢京子』と名札が付いていた。
病室のドアを軽くノックすると、花沢のおばさんの声で、
「どうぞ」
と返事があったので、母さんと二人で「失礼します」といいながらドアを開けて病室の中に入った。中には割烹着を着た京子のお母さんと、ベッドに横になった京子がいた。京子はなにも言わず、俺の方を見ていた。
「祐介くんわざわざありがとう」
「どうも」
「花沢さん、これ気持ちだけだけど」
母さんがハンドバッグに入ったお見舞い袋を京子のお母さんに渡していた。
「松田さん、ありがとう」
「何言ってんの、快気祝いでちゃんと返してよね」
「もちろんよ」
「花沢さん、わたしたちは、下の喫茶室にでも行ってお茶しない?」
「いいわね」
「それじゃあ、30分ほど下でお話してくるからあとはよろしくね」
そう言って母親二人が病室から出て行った。
病室のドアが閉まると、
「祐介、来てくれてありがとう」
やっと、京子が口をきいてくれた。鼻に酸素か何かの吸入用のチューブをつけている。そのチューブからシューという空気の出ている音がしている。
あの京子が本当に病人になってしまったことをいままでどこか信じていない自分がいたのだが、たった二日見なかっただけの今の京子の姿を見るとそういった気持ちはどこかへ飛んで行ってしまい、何も言葉が見つからないまま、ベッドの脇に置いてあった椅子に座って、京子の顔を見つめることしかできなかった。
青白い顔をした京子の両目のまなじりがうっすらと赤くなっていた。
「祐介、何か言うことないの?」
いつもと違う。空気が抜けていくような力のこもっていない京子の言葉が耳もとを流れていく。
「いや、特に何も思いつかない」
「何もないの? ベッドに寝ている京子ちゃんを見て、可愛いとか美人とかなにもないの?」
「冗談が言えるくらい元気があるみたいで、少し安心した」
少しも安心することができない。
「そう。よかった」
「ねえ、祐介の顔をもっと近くで見せてくれる? これを最初に祐介に言った時のこと憶えてる?」
もちろん、憶えている。
「……」
「幼稚園の時、ふざけてキスした時以来ね」
「よく憶えているな」
「それはそうよ。ファーストキスだったんだもの。そうだセカンドキス。ねえ、祐介したい?」
「……」
「田舎顔の祐介、顔をもっと近づけてくれる。鼻に酸素の管をつけてるけどそこは許してね」
幼稚園のときは頬っぺただったが、今回は、額を京子の唇の辺りに近づけてやった。少し恥ずかしいが、お互い中学生だものそんなものでいいだろう。
「目をつむって」
……。
「それじゃあ、チュ!」
いきなり唇に柔らかいものを感じた。
全く驚かない自分がいる。
青白かった京子の頬《ほほ》に少し赤身が差していた。京子は俺の目を見ていた。俺も京子の瞳を見つめる。
俺は、昔から京子のことが好きだったんだ。京子もそうだったんだ。そのことに気がづいた。そういうことだったんだ。
「……」
「……」
二人で、何も話さないまま時間が過ぎていった。
第9話 黒髪
ノックの後、母親たちが病室に戻って来た。京子のお母さんの目元は赤くなっていた。
「それじゃあ、祐介、そろそろお暇《いとま》しましょう。京子ちゃん、お大事にね」
「悠くんのお母さん、お見舞いに来てくれてありがとう」
「それじゃあ京子ちゃん、お大事にね」
病室からナースステーションに立ち寄り、退出するむね来客名簿にチェックを入れてエレベーターに乗り込んだ。やって来たエレベーターの中にはだれも人はいなかった。
「祐介、京子ちゃんから病気のことは聞いた?」
俺は首を振る。
「そう、あなたも覚悟しておいた方がいいわよ」
どういうことだ?
「京子ちゃん、急性〇〇病だそうよ。それもかなり進んでるんですって。治療は抗がん剤と放射線らしいわ。それで、治療を続けて3カ月間体がもてば、そこから完治するかどうか五分五分ですって。明日からすぐに治療に入るから、髪の毛が抜け落ちる前に坊主にするって話よ、あんなにきれいで見事な黒髪なのに。……」
そこで、母さんも涙声になってしまった。俺自身は、顔の筋肉が固まってしまったようなそんな感覚でぼーとしていた。
1階でエレベーターを降りて、病院からバス停へ。
母さんの後を付いて歩いているのだが、雲の上を歩いているようで自分の足の感覚がおかしくなったのか力が入らない。
しばらく病院前のバス停で何も考えられず母さんとバスを待っていたら、そのうちバスがやって来た。そのバスに乗って家に帰りつくまで、二人とも何も話さなかった。
俺は家に着いたその足で、散髪屋に行き、丸刈りにしてもらった。散髪屋にはそれ以上短く刈れるバリカンがなかった。ここまで短くすると、青剃りとか聞くが、同じように頭の色が青く見えることに気づいてしまった。
もちろん、夕食時母さんは俺に何も言わなかった。
翌日。
通学途上、俺の丸刈りはよほど周囲の目を集めるようで、登校中の同じ中学生だけでなく、大人たちにもじろじろ見られた。
俺なら、そのくらいなんともない。でもな。女の子がこの目に耐えられるのか?
おまえたちは、何気ない好奇心からじろじろ俺を見ているんだろうが、見られる人の気持ちは分からないだろう。分からないのが当たり前。幸せの中にいて、そんなことに気づける人はまずいない。それは仕方がない。
教室の扉を開けて、中に入ると、すでに登校していたクラスメートたちが俺に気づいて、騒ぎ始めた。何を言っているのか気にもならない。俺も見て笑っている者もいれば、何だか戸惑っているような顔をしている者もいる。坊主頭の俺を見て扱いに困っているんだろう。
そのまま、俺の周りに集まってきた連中を無視して、目をつむってホームルームが始まるのを待つ。
「花沢は、病気で入院するため、この1学期は休学することになった」
担任がそう告げ、クラスメイトたちが取ってつけたような言葉を担任に投げかける。意味のない言葉のやり取りでホームルームは終わった。担任は俺の頭を見ても何も言わなかった。
その後の授業中、前を向いて教師の声を聞いているつもりなのだが何も頭の中に入らない。京子のことを考えているという訳でもなく、ただ思考力が低下している。そういった自分を客観的に見ている自分がいるのが不思議だ。
学校が終わり、すぐに教室を出るとまたあの生徒会の黒ぶち眼鏡、ウザオが教室の出口に立っていて、
「松田、花沢さんのことを何か聞いていないか?」
「聞いていない」
「本当か?」
「好きにしろ、それじゃあな」
昨日と同じ会話をして、俺は下駄箱に急いだ。靴を履き替え、そのまま京子の入院する病院に急いだ。
病院の最上階のナースステーションで、面会の手続きをして、京子の病室に向かう。
ノックすると中から、
「どうぞ」
おばさんの声がして、中からドアを開けてくれた。
「あらまあ、祐介くんどうしちゃったのその頭?」
「京子が頭の髪の毛を切ったって聞いたので、俺も一緒に坊主になりました」
「バカねえ。でも、祐介くん優しいのね。いま、京子は寝てるけれど、点滴がもうすぐ切れるから看護師さんが取り換えてくれるの。その時には一度起こすから少し待っててね」
ベッドに横になった京子は、頭を自分と同じほど短い坊主頭をしていた。鼻には以前と同じ吸入用のチューブをつけて、目を閉じて寝ているのだが、その目元が赤くなっている。ほとんど空になった点滴のパックからチューブがぶら下がって、一度小さな機械を通ってテープで巻かれた腕につながっていた。
そろそろ京子を起こすというので、俺はいったん部屋の外に出ていることにした。
「祐介君、どうぞ」
おばさんが呼んでくれたので、中に入った。京子もちょうど起きたようだ。
「祐介、今日も来てくれてありがとう。お母さんに聞いたわ。祐介まで坊主になってどうするの? でもありがとう。本当は、私も少し恥ずかしかったから、毛糸の帽子を用意してたんだけど、祐介が坊主頭になったって聞いて止めたわ」
「頭のことを気にする必要はないからな」
「そうね」
その後少し話をしていたら、看護師さんがやって来て点滴のパックを代えて行った。
【後書き】
実際の病気の方がいらっしゃると申し訳ないので、病名は、架空の病気ということでお願いします。
第10話 時間は冷酷に
学校が終わると、その足で京子の入院する病院に面会に行くのだが、日によって面会できる日とできない日がある。京子の容態によって面会の可否は変わってしまうので、病院に行ってみて初めて分かる。
初めのうちは毎日面会できたのだが、そのうち面会できない日が週に一、二回、そして二、三回と増えて行き、京子が入院して一月が経った。
うちに一番近い神社はそれなりに大きな神社だったので、一度そこに訪れて、お守りを買った。
そのお守りをもってお見舞いに行き、病室に入る。
俺が見舞いに来ると決まって京子の母親は気を利かせて席を外してくれる。
点滴のチューブと、酸素のチューブ。酸素のチューブから京子の鼻に向けて酸素が流れ出ている音が静かな病室の中に聞こえる。
「京子、水天宮にいってお守りをもらってきた」
「えーと、水天宮でお守り?」
「そう。近くの水天宮。これだけど」
「見せて」
京子に買って来たお守りを渡す。
「あのー、祐介さん? このお守り安産のお守りのようですけど?」
「えっ? 安産?」
「それでも、祐介が気を使ってくれたんだからありがたくもらっておくわ。ありがと」
「そうか、それはマズかったな。こんどちゃんと調べてほんとのをもらって来るから」
「もうそんなことしなくていいわよ。そういえば、祐介、わたし、小さいころから犬を飼いたかったの知ってるでしょ? もしわたしが犬を飼えたら、名まえは『ニコ』って決めてるの」
「ニコ?」
「そう、ニコ、いつもニコニコ笑ってるの」
「犬ってニコニコ笑うのか?」
「さあ、でもいいの。わたしが、この子はニコニコ笑ってると思えば」
「そうかもしれないな」
「でも、うちのマンションじゃ飼えなくてずーと我慢してたの。それでわたしは、外でね、犬を飼うことにしたわ。それは祐介も知らなかったでしょ?」
「それは全然知らなかった。どこで飼ってたんだ?」
「その犬はね、何でもわたしのいうことを聞いてくれるの」
「ふーん」
「ほんとうの犬を飼いたかったけど、そっちの犬もとってもかわいかったわ」
「へーん」
「その犬はね、……いえ、やめておくわ。そのかわり祐介、あなたニコニコ笑って見せてよ」
京子が入院して、二月《ふたつき》が経った。その間《あいだ》、俺はちゃんと病気平癒のお守りを見つけ京子にとどけたら、「祐介、バカね。でもありがとう」といって受け取ってもらった。
生徒会の方は、副会長をしていた黒ぶち眼鏡が正式に京子の後を引き継いで生徒会長になった。最初のうち黒ぶち眼鏡は京子のことをうるさく聞いてきたが、今では偶然顔を合わせても何も言わなくなった。俺は、生徒会を辞めた。
そして、京子は日に日にやつれて行った。
6月も後半に入り、今日は朝から梅雨の雨が降っている。
「祐介、さいきん薬が強いようで、すごくつらいの」
いままで泣き言を一言も漏らさなかった京子が初めて俺につらいと言った。
「だからね、もう、祐介ここに来ないでいいから。いままでありがとう」
力のない声で京子が俺にそういった。
「俺が来たくて来るんだからいいだろ?」
「だめ、こんなにやつれて、醜くなって、これ以上変な姿を祐介に見せたくないの。分かってくれる?」
もちろん京子の言いたいことは分かる。俺だって京子のやつれていく姿を見たいわけじゃない。でも少しでも一緒にいたいんだ。
「そうか、分かった。京子、頑張れ、とか無責任なことはいわないけど、俺の顔が見たくなったらいつでもおばさんに言って俺を呼んでくれよな」
「うん、そうする。それじゃあ祐介」
「それじゃあ、京子」
そう言って俺は病室を後にした。俺は京子の頬に流れる涙を見ていられなかった。
病院を出て、小雨の中、今日は家に歩いて帰ろうと思い、傘もささずに歩道を歩いていた。
「バカヤロー!」
横断歩道を渡ろうとしたら、目の前をトラックが走り過ぎて行った。見れば信号が赤だった。俺はあわてて後ろに下がった。
雨がシャツから浸みて、寒くなってきた。急いで傘を差して小走りに家に向かった。
第11話 始まってしまった恋を失うということ
京子の病院から、急いでうちまで駆け戻った。傘を差していても小雨の中を小走りに走っていたので履いていたズボンは、かなり濡れてしまった。
家に帰ってすぐに服を着替えたので、風邪は引かずに済んだ。
京子にもう見舞いに来るなといわれ、二週間ほど経った日曜の午後。
うちに電話があった。母さんが電話に出てすぐに、
「祐介、急ぐわよ」
「?」
「京子ちゃんの病院へ急ぐのよ」
もちろんその時は嫌な予感しかしなかった。
母さんと二人、流しのタクシーを家の前で見つけたのですぐに乗り込んで病院に向かった。
エレベーターで10階の病室に急いだが、京子はICUに移されていた。ナースステーションでICUの場所を聞いて5階にあったICUに移動する。
5階でキョロキョロしていたら、すぐにおばさんが見つけてくれて、俺たちはICUに入ることができた。部屋の中には看護師さんと、物々しいいろいろな器械が置かれていて、京子にはいろいろなチューブやコードが繋がっていた。京子自身は眠っているのか目を閉じている。
「祐介くん、京子の顔を最期に見てやって」
涙声のおばさんに言われ、ベッドの上の京子をみる。
二週間前と比べてもさらにやつれ、手首の骨が浮き出ていた。
「数日前は寝言で、祐介くんのこと呼んでいたけど、もう寝言もいわなくなったわ」
ぼーと京子を見ていたら、看護師さんが、
「先生がもうすぐいらっしゃいますから、みなさん病室から出ていただけますか?」
それで、俺と母さんとおばさんは病室から出ていって、5階の休憩室のようなところの椅子に腰を掛けてそこの白い壁をじっと眺めていた。京子のお父さんはいま病院に向かっているところだそうだ。
そのうち、おばさんが看護師さんに呼ばれ、ICUの中に入って行った。しばらくして緑の服を着た男性の看護師さん?二人がストレッチャーを押して、ICUの中に入って行った。
「祐介、覚悟をしてた方がいいわよ」
「分かってる」
間を置かず、白い布がかぶされたストレッチャーが先ほどの緑の服を着た男性の看護師さんたちによって運び出され、それにおばさんが泣きながら付き添って行った。
俺と母さんはそのままうちに帰った。
覚悟は二週間前にできていたのだろう。俺は涙を流すことなく京子との別れを実感できた。
京子が亡くなって、一月、梅雨も明けて暑い日が続き、学校は夏休みに入った。
夏休みも終わり近くになり、俺は母さんに無理を言って犬を買ってもらった。生後二カ月のトイマンチャスターテリアの雌犬で名前は、「ニコ」。やたらと元気で飛び跳ねていつも尻尾をふっている。
(完)
【後書き】
病院の描写などは適当なのでご容赦ください。
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