巨人と、巨人の肩に立った女性のこれから ~『にじさんじ』と『壱百天万原サロメ』~


私により遠くが見えたとしたら、それは巨人の肩に立つことによってこそ成り立つのです。

アイザック・ニュートンからロバート・フックへの手紙、1675

超新星の登場

にじさんじに加入した壱百万天原サロメ。その天才的なトーク力と破天荒さでファンを獲得し、インフルエンサーとして話題となっています。
登録者数や同時視聴者数などの、目に見える数字からも、彼女が前代未聞の怪物ライバーであるということが伺えます。

 勘違いしてほしくはないのでここで明言しておきますが、そのような数字だけがVtuberの価値基準ではありません。Vtuberが全て登録者数を増やすために活動しているわけではないでしょうし、そのような数字がVtuberの人気や面白さに単純に比例するものではないと思っています。
 本人ならともかく、リスナーが数字に拘泥することは無益で無粋であると思っていますし、異なる二人の登録者数や同接を比較して語っている人間を
心の底から見下しています。
 VTuberなんてものは、そのような数字に囚われることなく、伸び伸びと自分の好きなことを気軽に行えればそれで正解なのです。本職で週40時間働いて、一週間に30分だけ配信するような生活していても、それで十分なのです。毎日配信してないからといって、やる気がないと非難される謂れはありませんし、むしろ、そのような自由な時間で活動できることこそ、VTuberの利点と言えるでしょう。
 Vtuberの活動内容によって集まる数字は異なるのだし、デビュー時期や市場の変化によっても左右されるのだから、そのような数字に拘ったところで仕方がありません。リスナーは、数字に拘泥されることのなく、自分と相性の良いライバーの配信を見て応援したい人を応援すればいい。それが私のスタンスであることは理解してほしいと思います。

 もちろん、数字が全く無意味とは言いません。少なからず人気に関係はしていますし、その分析から見えてくるものもあるでしょう。
 例えば渋谷ハルくんも、サロメ嬢の盛り上がりに言及していましたが、それは当然のことです。彼は『Neo-Porte』の社長なのですから、自分や自分の会社が所属する配信者たちのためにも、彼女について分析するのは当然です。むしろ立場上、その義務があると言えるでしょう。

 企業所属か個人かに関わらず、目的が金銭の儲けか承認欲求の満足か自己実現のためかに関わらず、人気を得たいと思う全Vtuberが、彼女に注目していることは間違いないでしょう。彼女のそのイレギュラーな人気は、界隈に一石を投じたのです。

私は大した分析はできないのですが、思っていることを書き綴っていきます。

『にじさんじ』と『壱百天万原サロメ』は、巨人と巨人の肩に立つ人間の関係にある

 『巨人の肩に立つ』という表現は、ニュートンが使ったことで有名となりました。
この言葉の『巨人』が意味することは『先人の積み重ね』のことです。ニュートンは、科学の発展に貢献した天才の一人ですが、彼自身は、それは先人たちの積み重ねがあったからに他ならないと謙遜していました。
 これは尤もなことだと思います。かつて錬金術師は、金を生み出そうと実験を繰り返していました。現代人からしてみれば、そんなことは不可能であると鼻で笑ってしまいそうなものですが、それが不可能だと言い切れるのは科学的な見地をもっているからです。しかし、その科学というものは、そうした錬金術師たちの実験によって得られた膨大なデータによって発展したのです。私たちが知識人でいられるのは、錬金術師たちという巨人の肩に乗せてもらっているからなのです。

 ニュートンは、これは科学一般のことと捉えていましたが、私は『人気』に関しても同じことが言えると思うのです。

  サロメ嬢は、あらゆるものが嚙み合って人気を博しました。それは、登録者数だけを見れば1期生、月ノ美兎をあっという間に超えてしまうほどに。
しかし、それは彼女が『にじさんじ』(の先輩ライバー)の肩に立ってなければ為しえなかったことでしょう。
(サロメ嬢ほどの勢いではないにせよ、ENの『Luxiem』などにも同じことが言えると思います)
 サロメ嬢が委員長の登録者数を抜いたことにどうこういう輩がいますが、私からすればどうでもいいことです。委員長の魅力はそれによって翳りはしないし、彼女が巨人であることは疑いようもないのですから。

 私が本当に言いたいのはこれからです。
ニュートンの場合は、ただ先人の尊敬し、謙遜していればそれで完結する話です。しかし『にじさんじ』の場合は、そうも言ってられないのです。なぜならば、巨人はまだ健在なのですし、巨人の肩に立ったサロメと良好な関係を築いていく必要があるからなのです。

 巨人であるにじさんじの先輩ライバーは、自分の肩に立っているサロメの扱いに困っていることでしょう。彼女と共にあることで、巨人自身に益が生まれればありがたい。かと言って、彼女を害してはならない。むしろ彼女自身にとっても益となるように、winwinの関係を築いていかなければならない。ではどうやって?

 サロメ嬢の人気の理由の一つは、いままでVtuberを見ていなかった層にも刺さったということです。つまり、まだ開拓できていなかった市場が日本に残っていたことを意味しています。既存のライバーは、自分自身をその市場にどう売り込んでいくか。商魂たくましくあるのならば、まさに今が勝負の時でしょう。

 これは『にじさんじ』のライバーだけに限った話ではありません。サロメ嬢が気に入った新期ファンは、箱を意識せずに、他の配信者にも興味を持っているところだと思います。
 徹底したプロ意識を持ったアイドルを好み、疑似恋愛を楽しみたいのであれば、ホロライブが圧倒的に優れています。女性が男性と談笑しているのを見るのが苦痛な人も、ホロライブが一番相性が良いでしょう。
 ゲームが好きで、推しが大会などでも活躍する姿を見たいのであれば、ぶいすぽっやNeo-Porteとの相性がいいでしょう。
 そのような魅力的な特色を持った箱が割拠する中で、『にじさんじ』のライバーや運営は、自分のところに属しているサロメ嬢にどのようなアプローチをしていくのか、最も注目されているところだと思います。

私はVTAは失敗だったと思っていない

 次に私が言いたいことはこれです。サロメ嬢の輝かしい成功によって、VTAの意義が問われていると思います。私はハッキリと言っておきますが、VTAもラナンキュラスも失敗だとは認識しておりません。
もちろん、ラナンキュラスの3人が全員登録者数90万人行ってれば、それはそれで素晴らしいことだったでしょうが、今のままでも問題ないし、健全な数字であるとさえ思っています。
 アイドルにせよ、配信者にせよ、様々なアプローチがあります。ラナンキュラスの3人は、『意欲はあるが配信などの経験が無い』という初心者という状態から、何か光るものがあると認められ、それから様々なことをアカデミーで学び、その上で『にじさんじ』として活動していくことが決まったユニットです。だから初々しさがあって当然なのです。
今までのVtuberを過去のものにするかのようなカリスマ性のあるライバーとは違って、数字の伸びも緩やかになるのはわかりきっていたでしょう。
リスナーの中には、サロメ嬢のようなライバーだけではなく、ラナンキュラスのほうを応援したくなるタイプの人だっているでしょう。日本のアイドルは、あえて不完全さを強調させる戦略もあるぐらいなのですから。
ですから、何十人も必要はありませんが、ラナンキュラスのようなアプローチでデビューするライバーがいたっていいと思います。それが多様性というものです。
 私自身も楽しみにしています。色々と不慣れながらも、これから長い時間、彼女たちがどのような活動をしていき、どう成長していくのか。
長い目で、それを見守る。そんな形のエンターテイメントは確かに存在するのです。

最後に

私は、そこそこ古参のにじさんじファンの一人として、サロメ嬢が連れてきた新規のリスナーをにじさんじ沼に落とし込みたいと考えています。
では、誰を紹介すべきなのか? どの動画を見せるべきなのか? これは悩みどころです。サロメ嬢が好きなら、この人も気に入るはず……って、あまり思い浮かばなくないですか?
もちろん全員、4年間の活動で起きた感動的な出来事を紹介ところなのですが、そうしたところで、あまりの物量にドン引きされるだけでしょう。
ですから、あえて一つ動画を選ぶならば、これです。
まずは、見た目と雰囲気だけ知って『こんな感じの人がいる』とだけ覚えて貰えればと思います。


皆さんなら、まったくのVtuber新規を沼に誘うとするならば、どれを紹介しますか?

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