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小さなお菓子「金平糖」それにまつわる2つの物語。

誰しも1度は食べたことがあるのではないでしょうか?
金平糖の歴史は古く、諸説ありますが1546年にポルトガルから持ち込まれたとされポルトガル語の「コンフェイト」が語源とされています。

1569年には宣教師のルイス・フロイスが京都の二条城において織田信長に謁見した際にフラスコに入った金平糖が贈られたと言われています。

白くゴツゴツした砂糖菓子だったようです。

舶来品の金平糖は大変高価なもので、公家や将軍家の贈答品に使われた様です。

その後、長崎で似た様なものが作られ、京都、江戸へと製法が伝わり作られたようです。

1718年刊行の「古今名物御前菓子秘伝抄」にレシピが載っているので、この頃には一般に作られていたと考えられます。

芯にはケシの実を使い、煮詰めた蜜を掛けて茶筅(ちゃせん)でかき回し、露草からとった青色や紅花からとった紅など書かれてますので、カラフルな金平糖が作られていたのでしょう。

京都にある「緑寿庵清水」(りょくじゅあんしみず)は創業1847年の老舗で唯一の「金平糖専門」の和菓子屋さんです。

斜めに配置された大きな円形の鍋が55度程度に保温されゆっくりと回転させて、糖蜜をかけて
コテで掻き混ぜます。
この糖蜜をかけるタイミングが難しく、金平糖のあの突起の出来具合が変わるデリケートな作業になります。
この作業が12〜14日続き、金平糖が作られます。

一方、スーパーなどでは安価な金平糖も売られています。芯にはグラニュウ糖を使い、円筒ドラムで回転させながら一晩で作る様です。
大きな結晶で構成されたこの金平糖はザックとした砕ける食感になります。

丹念に手作りされた金平糖は芯にイラ粉(餅米から作られたもの)を使用し、糖蜜が層になって緻密な結晶ができます。
この層は表面がザラザラして光沢が無いため、仕上げにゆっくり作った結晶で表面を薄く覆い、透明感と光沢を出します。

芯、緻密な結晶、光沢の3層になった金平糖は、
カリっとした食感は安価なものでは出せない特徴があります。

ところで皆様、「ボンボニエール」をご存知でしょうか?
皇室の慶事の際に配られる、小さな工芸品の引出物になります。
銀製のものが多いですが、陶磁器のもある様です。

もともとボンボニエールはヨーロッパで子供の誕生日や結婚式に配られる小さな菓子容器でした。

これが明治20年代に皇室で使われるようになりました。
皇室でなぜ使われ始めたのかはっきりした理由は分かりませんが、西欧諸国と肩を並べる国家になるための政策の1つだとされています。

皇室でも諸外国の賓客(ひんきゃく)を招いて、西洋式の饗宴が実施されます。
食事の最後には、プティ・フールという1口サイズのお菓子が出されます。これを持って帰るのに容器がいるのと、古来日本では祝いの席には、引出物や引き菓子が配られる習慣があったこと。そして、廃刀令により刀剣装具工芸の職人たちが職を失いますが、万国博覧会では日本の工芸品は高い評価を得ててたため、皇室でも国内産業の保護育成に取り組んだ2つの理由があったとされます。

ボンボニエールの写真は学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子氏の「皇室の菓子器 ボンボニエール」より

このボンボニエールに入れられているのが
金平糖」です。

この2つの物語が重なった素晴らしい出来事です!

室町時代に伝わった「コンフェイト」が独自の進化をし「和菓子の金平糖」になりました。

富国強兵の明治時代、他国と肩を並べようとして取り入れたボンボニエールが日本の工芸技術によって「日本のボンボニエール」になり、現在でも皇室の慶事には配られています。

日本の職人魂が小さな菓子器と小さな砂糖菓子に詰まってますね。

今まで何気に見ていた「金平糖」にも
見る目が変わるのではないでしょうか?

最後までお読み頂きありがとうございました。

参考、引用文献
*「古今御前菓子秘伝抄」 教育社新書
  鈴木晋一訳
*「金平糖の不思議」 
  東北大学大学院理学研究科/大阪大学大学院    工学研究科  塚本勝男  
*「皇室の菓子器 ボンボニエール」
 学習院大学史料館 学芸員 長佐古美奈子
*緑寿庵清水ホームページ
http://www.konpeito.co.jp/konpeito.html

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