ACPの選択肢についてちょっと揺らいだけど、結局揺らがなかった話。
昨日、ACPの選択肢の1つであると思っている「食べる」問題について、書かせてもらいました。
しかし、今日行った派遣先の老人ホームで見た利用者さんを見て思うことがあったので、書こうと思いました。そして食について思ったこともあったので書きます。
昨日の内容はこれ。
https://note.com/wagamama_health/n/n8ca925a2692e
昨日「食べる」という選択肢について書いたけど、、
今日出会った利用者さんは、全然手を動かすことができない。
けど、口元まで介助したら食べられる。
食べる気力だけは残っているっぽい。食べるかどうか意思表示ができる状態だ!
と思ったんです。
昨日の内容はどちらかと言うと、食べるという選択肢が絞られている場合でした。
今回は意思表示ができる場合について、思ったことを。
人の手を介しているという意味では、、
ということで。場面設定をもう一度確認。
意思表示ができる場合でも、人の手の介助を介して食事を摂取している状態。
あれれ。
待てよ。
考え直そうとしたんだが。
『人の手を介している』
これって
胃瘻の場合も同じだよな、、。
経管栄養をやる時にも、あのパックと管を介してやっているのであって。それも人の手を介してはいる、、。
食事介助している状態も考え方によっては、経管栄養をやっていることと類似している部分があるのかもと思った。
しかし、これだけで終わっても検討したことにならないと思うので、もう少し深掘りしてみよう。
さて。
今度は、
食事介助を受けている個人に寄り添ってみようと思う。
私が脳卒中を再発して、両手が動かせない。食事介助を受ける気持ちになってみる。
医療従事者として思うのは、脳卒中に限らず、両手を動かせないということは、
その他、+αの理由、挙げるとすれば廃用症候群とか老衰によって、
嚥下機能(食べ物を飲み込む能力) が落ちていると考えるのが現実的(と思っている)。
今日の利用者さんでいらっしゃった方でも、
そうすると、今の日本の食事形態の現状と目標は『いかに誤嚥させず最期を迎えるか』だと思っている(勝手に)。
※誤嚥;食べ物をうまく飲み込むことが出来ず、肺に入ってしまうこと。結果として、誤嚥性肺炎を起こすことになる。
そのため、嚥下機能が落ちた高齢者には、刻み食だのペースト食だのが出される。
刻み食はそのまんま。あらゆる食事がフードプロセッサーで切り刻まれたような形だ。
ペースト食は全てがペースト。
イメージとしては、「おしるこ」という食べ物があるが、その中の“あんこ“には粒々と液体の部分がある。
その液体の部分はトロトロしているが、どんな食べ物でもそのトロトロ状態であると考えてもらって差し支えないと思う。
何が言いたかって。
それ、食事なん?
(見出しの使い方絶対違う)
ってことなんです。
お話は、今生きている皆さんに一旦、フォーカスを変えてみます。
皆さん、食事を食べる時に、
これ、ラーメンじゃん🍜 うまそう!
これ、サラダじゃん🥗 色とりどりだなー! うまそう!
ってなるんですよ。
ってことは、視覚的な印象があって、その後に食べて味覚でおいしいと感じる。
という過程があって、美味しいという過程ができているんですね。
何という素晴らしい過程でしょう。
では、ここで、今日の派遣先の老人ホームの利用者にフォーカスを戻します。
この利用者さんたちの詳細を話すと、
①なんらかの理由で四肢麻痺。目は開いているが、食事に関しては、ペースト食を食べていて、食べるときには少し口を開ける方。
②廃用が進み、円背(腰が曲がり、そのまま固まってしまうこと)になっている。
とろみ付きの食事ではあるが、ご利用さんを見上げる、下から上に介助する形でないと食べられない
という形になります。
絵も下手くそながら、書いてみようと思います。
こんなイメージです。
この利用者さんたちを俯瞰的にみると、
食の視覚的情報がないわけです。
例えるなら、目隠しをしてご飯を食べている状況と言ってもいいのではないでしょうか?
何を食べさせられているか情報がない、もしくは理解していない状況で、ご飯を食べている状況。
なんとも、食を感じているかどうか問題だなーと思います。
私は0か100かで考える傾向にあるので、美味しいかどうかわからないで食べる食事ほど苦しいものはないかなと思います。
深堀りした結果、
食べるということに人の手を介することは個人としては望まないかな
という結論になりました。
「食」
とは深いですね。
あくまでも個人の考えなので、皆さんの考えも聞きたいと思いますので、お気軽にコメントください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?