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聴かせて!「讃岐国分寺太鼓保存会」のわがこと

いよいよ夏本番ですね。夏と言えばお祭り!お祭りと言えば太鼓!
というわけで(?)今回は国分寺町を拠点に活動している「讃岐国分寺太鼓保存会」さんに行ってきました。

以前のきかことでご紹介した十河の「十獅会」さんをはじめ、香川県は獅子どころとあって獅子の太鼓の音はみなさん聞きなじみがあると思いますが、こちらの太鼓は和太鼓の中でも「組太鼓」といわれるものだそう。
組太鼓って、普段はあまり聞くことがないかも?ところが実は、県内各所で年間50回もの公演をこなす団体さんだったのです。

「聴かせて!みんなのわがこと」とは?
香川県内でとても素敵な活動をされている個人や団体にスポットライトを当て、「共感の輪が広がっていってほしい」という想いから、その活躍や想いなどの わがこと(我が事)をインタビュー形式でお届けします。

Vol.17
讃岐国分寺太鼓保存会

町の伝統文化を新しく作る

—公演が年間50回って、すごいですね。平日はふつうにお仕事をして、土日ごとに出演されているそうですが。

三谷さん:コロナ前はもっと多くて、年間80回くらいのこともありました!主に地域のお祭りや企業、福祉施設のイベントに呼ばれて演奏しています。国分寺町内に限らず、県内各所で出張演奏しているんです。
土日の両方とも公演だったり、1日に2か所3か所と掛け持ちしていたりすることもありますね。

年に1回は単独公演【鼓展】を主催していて、毎回数百人のお客さんが来てくださいます。
公演をきっかけに保存会に入会してくれる人もいるし、公演を見に来てくださった方からイベントに呼んでいただくこともありますよ。

—保存会について教えてください。

三谷さん: 1987年に前身の同好会が発足したのが始まりです。瀬戸大橋開通の前の年ですね。
開通を記念して開催された「瀬戸大橋架橋記念博覧会」のなかで「国分寺の日」というのがあって、当時の国分寺町として芸能発表を行う予定でした。郷土芸能というと香川ではやっぱり獅子ということになるんですが、町長が「この際、新しいことをやろう」と、和太鼓をやることになったんです。

和太鼓はかつては、音楽に合わせて太鼓の撥さばきや演奏を披露する「銭太鼓」が主流でした。それが戦後になって「組太鼓」という、多種多様な太鼓を2人以上の打ち手によって演奏する、『太鼓のオーケストラ』といった演奏方式が広がっていったんです。
佐渡の「鼓童」さんとかが有名ですね。

香川県でも組太鼓の太鼓グループが少しずつ増えてきていた頃で、国分寺町もその波に乗る形で同好会が発足したんです。
当初は町主導でスタートしたのでメンバーも町職員が中心だったんですが、1990年にいまの保存会の形になって、純粋に太鼓をやりたいという町民が集まるようになり、新たな町の伝統文化として根付かせよういう意気込みで演奏活動を始めたんです。

—もともと国分寺の伝統文化だったんじゃなくて、新しく作ったというのが面白いですね。1年の中で忙しい時期とかありますか。

三谷さん:毎年、夏から秋にかけて忙しくなりますね。やっぱりお祭りが多いので。
あと12月・1月はお休みなんですが、コロナ前までの年末年始は毎年、中央公園で年越しイベント→屋島山上で初日の出イベント→商業施設で新春イベントと、仮眠しながら掛け持ちしていました。
20歳のころからずっとそのスケジュールで、お正月に家にいたことがなかったですね(笑)

インタビュー風景。中央が三谷さん。


サヌカイトを使った、国分寺オリジナルの和太鼓を

―保存会のメンバーはいま何人くらいいるんですか?

三谷さん:大人がだいたい15人、こどもも同じく15人くらいです。こどもたちは大人と別に「子供太鼓」としてやっています。

最初は大人だけだったんです。それも10代の私の次に若い人が30歳前後で、年長の方がほとんどでした。
和太鼓文化がない国分寺町でどう和太鼓を受け入れてもらえるか四苦八苦するなかで、活動を続けるには後継者づくりが大事だという話になりました。若い人に太鼓に関わってもらえるよう、保存会がスタートしてすぐに「子供太鼓」を立ち上げることになったんです。

—三谷さんは初期の頃から参加されてたんですね。和太鼓を始めたきっかけは?

三谷さん:保存会に入ったのは高校生の時です。保存会がスタートして2年目の時でした。
ずっとソフトボールをやっていたんですが、母が町の職員だった縁もあってやってみたらどんどんハマっていって、高校最後の総体が終わった後はソフトボールを卒業して、太鼓に専念することになりました。

—太鼓のどういうところに面白さを感じていますか。

三谷さん:「国分寺の日」とは別の日に博覧会に出演した、石川県でプロとして活動している女性の演奏を見に行ったんですが、大太鼓を打っている姿がめちゃくちゃカッコ良かったんです!
昔は女性が太鼓を叩くこと自体がタブーだったので、本当に衝撃的でしたね。それでますます太鼓にのめり込んでいきました。

太鼓は「打てば響く」という言葉の通りで、うまいとか下手とか関係なく、叩いた時の手応えとか振動が面白いし、気持ちいいんです。私にとっては、ソフトボールのバットがバチに変わったけど、やっぱり「打つこと」が好きなのかもしれないですね。

太鼓は力まかせに見えますが、実はスナップをきかせるのが大事です。あと、肩を動かすので肩こり解消に良かったりします(笑)

ステージイベントでは舞台照明も鮮やかに。
(写真は鼓展2019より)

―三谷さんは保存会のリーダーをされていますが、リーダーになられたのはいつ頃ですか?

三谷さん:なったのは20代前半でした。

−ええっ、めちゃくちゃ早いですね?!

三谷さん:周りは年上ばかりでしたね(笑) 年齢は一番下でしたが、みなさんが「若いのにがんばっとるな」という感じで許してくれたんだと思います。

ただ、自分がリーダーになったらやりたかったことがあって、それはオリジナルの曲、独自のサウンドを作りたい、ということでした。
昔ながらの太鼓の曲だけでなく、現代的なおしゃれな曲を演奏してみたかったんです。

—それは、どうやって実現されたんですか。

三谷さん:国分寺町の特産品である「サヌカイト」が鍵でした。
同好会発足時に、町内在住のサヌカイト奏者・宮脇磬子さん(故人)から地元の蓮光寺山で発掘されたサヌカイトをいただいたんですが、そのまま練習場の隅っこにしまい込んでいたんです。

お付き合いのある石川県の太鼓メーカーの社長さんにたまたまその話をしたら、もともとサヌカイトに興味を持っていたそうで「紹介したい人がいる」と。
そうして繋いでいただいた作曲家・マルチパーカッショニストの細谷一郎さんが「せっかくなら、サヌカイトを使って地域の特色を活かした音楽を」と、私たちのために曲を作ってくださったんです。
それが、今でも公演で披露している「石響(しゃっきょう)」という曲です。

―サヌカイトを太鼓の曲に使うのは、確かに国分寺ならではですね。

三谷さん:この曲は13人で演奏するんですが、伝統的な太鼓の演奏のように全員で一斉に叩くのでなくて、和太鼓・サヌカイト・篠笛・当鉦など、さまざまな楽器をまるでオーケストラのように演奏し、全員が違うメロディを奏でるのがとてもカッコいいんです。
洋楽を和太鼓で演奏する感じでしょうか。

―太鼓のイメージが変わりそうですね、ぜひ聴いてみたいです!

神社のお祭りで奉納演奏。
黒のユニフォームがカッコいいです。


町ぐるみで国分寺の伝統文化に

―運営するうえで大変なことはないですか。楽器の維持費もかかりますよね。

三谷さん:平成の大合併までは町が楽器を購入していたし活動費用も町から拠出していましたが、いまはNPO法人として自立して活動しているので、イベント出演の謝礼やメンバーからの会費収入、あとは補助金をやりくりしています。
謝礼は出演規模によって5,000円〜3万円くらいです。儲けようと思っているわけではないので他と比べても格安かなと思います。

太鼓を新しく買うと、一般的な胴サイズ一尺四寸(太鼓の面が直径42.4cm)のもので、国産のケヤキ材だと60万円ほどします。胴は一生もので、長く使えます。
うちにあるものだと大きいものは3尺4寸のものがあります。当時300万円くらいしましたが、木材の値段も上がっているのでいまなら800〜1,000万円くらいの価値があるかもしれませんね。

あと、太鼓面に張る皮は定期的に張り替えが必要で、こちらは1回15万円ほど費用がかかります。
運搬用のトラックの維持費も必要ですね。

―それだけの費用を工面されているなんてビックリです。それに、メンバーが入れ替わりつつ30年以上活動を続けているのもすごいことだと思います。

三谷さん:子供太鼓で頑張っていた子が社会人になっても続けてくれています。
特に、春休み・夏休みもみんなで頑張ってずっと練習して、東京国際和太鼓コンテストで結果を残した世代の子たちは、いったん進学のために太鼓から離れても、また戻ってきてくれます。
活動当初は40~60代の人が多かったんですが、いまは逆に若返っていますね。

子供太鼓の演奏。
自分の体ほどもある大きな太鼓を一生懸命打ち鳴らします。

—若い人が活動を続けてくれているのは頼もしいですね。

三谷さん:いろいろなところで次世代が育たないという話はありますが、こどもたちには「大きくなったら戻ってきてね」「みんなが帰ってくる場所だからね」っていつも言ってます。「刷り込み」って大事です(笑)
こどもの頃から「太鼓って楽しい」というのが刻み込まれているから、進学で地元を離れることはあっても、また高松に帰ってきた時には練習場に戻ってきてくれてますね。

—さっき、小学校からも太鼓の音が聞こえてましたね。

三谷さん:国分寺北部小学校のクラブ活動で「太鼓クラブ」があるんです。メンバーは4〜6年生のだいたい15人くらいで、私が教えに行っています。土曜に半日授業があった頃は、中学校でも選択授業で太鼓をやっていたり。
子どもたちは耳コピでどんどん学んでいくから、習得が早いですね。

実は太鼓を教えるだけじゃなくて、小・中学校へ社会科の学習にもお手伝いさせていただいています。
太鼓の胴は大木を切り、打面になる皮は牛や馬からいただき、まさに、大地の恵みをいただきながら演奏できること、また、太鼓の構造や皮の種類で音色が変わること等を伝えています。

―国分寺のこどもたちはそうして、小さい時から自然に太鼓と親しんでいるんですね。

三谷さん:こうやって小学校の活動に取り入れてもらっているのも、当時の町長が「町ぐるみで国分寺の新しい伝統文化にしよう」ということで小学校に働きかけたのが、今も続いているんです。

まだ私のこどもが小さかった頃は、私が太鼓の練習をしている間、小学校の校長先生がこどもの面倒を見てくれたこともあったんです。
町全体で太鼓を盛り上げようという雰囲気がありますし、みんな、国分寺のことが好きなんだなって感じます。

お店のイベントで演奏。
町外のご依頼も多いとのこと。


和太鼓が地域の核になって、住民同士の融合に

―これからの展望を教えてください

三谷さん:34年前に保存会が結成された時の合い言葉が「100年先まで和太鼓を残したい」でした。その想いを胸に保存会を、和太鼓文化を継承していけたらと考えています。

そして、地域の人に愛される和太鼓グループでありたい、というのはやっぱりありますね。国分寺ならではの新たな文化として地域の人たちに認めてもらえることで、私たちも頑張れるように思うんです。

―三谷さんは国分寺北部コミュニティセンターでセンター長をされているのですね。

三谷さん:以前は町外の企業で働いていたんですが、ご縁があってお声がけいただいて、コミセンで働くことになりました。保存会の活動をしていたことで地域の人たちの顔も見知っていたので、コミセンでの仕事にもすっと入っていけましたね。

実際に働いてみると、困ったことがあっても地域の人たちが助けてくれましたし、和太鼓以外の地域の魅力に気付いて、国分寺のことがもっと好きになりました。

―太鼓のおかげで、地域とつながっていったんですね。

国分寺北部小学校は私が在学していた時に開校100周年を迎えたんですが、その時の記念誌を読み返してみたら将来の夢に「小学校で音楽を教えたい」って書いてあったんです。
それが今、実際に小学校で太鼓を子どもたちに教えている。「私、夢かなってる!」って嬉しくなりました。

和太鼓を通して自分の夢は叶ったから、次は自分が頑張って、和太鼓を国分寺の郷土の文化として残していきたいですね。
国分寺はいまも開発が進み、新しい住民が増えています。
和太鼓が地域の核になって郷土愛を育み、住民同士の融合につながればいいなって思います。


取材を終えて

インタビュー後の先日7/7、楽しみにしていたサンポート大ホールでの公演を観に行ってきました!

薄暗いステージに浮かび上がる満月の前で始まる大太鼓。ほのかに曲名が映し出され、和太鼓の曲調に合わせてパっと照明が切り替わります。
もう、あまりのプロフェッショナルな完璧な演奏と迫力に圧倒され、舞台照明や皆さんの演技もアートとして完全に仕上がったものでした。
舞台衣装は着物をリメイクして作ったもので、激しい太鼓をたたく腕にあわせて揺れ、最高にかっこよかったです。

和太鼓の響きはホールにズンズン響き、日本人の遺伝子にしみこんだものを思い出させるような、日本人として誇らしく、世界中の人に見せたい!という気持ちが溢れてきました。
香川にこんなかっこいい活動をされている方々がいたことが誇らしかったです。

ああ私もやってみたい・・・と思うと同時に、どれだけの練習をしたらあんな完璧なパフォーマンスができるようになるのだろうと考えると、ちょっと恐ろしくなって(笑)また観に行こう、と思うのでした。

きかことスタッフと集合写真。 和太鼓の魅力が伝わってきた、すごく楽しいインタビューでした。
三谷さん、ありがとうございました!

讃岐国分寺太鼓保存会
facebook:https://www.facebook.com/udonJapanesedrumgroups/
instagram:https://www.instagram.com/kokubunji_daiko/


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