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推しと本命の違い

これはマジでいちバンギャの戯れ言です(予防線)(諸説あり)(バンギャ怖い)(ごめんなさい)

おそらくオタク発祥の「推し」という言葉
一度は使ったことあるんじゃないでしょうか。

応援していたり好きだったり憧れだったりするメンバー/人を
いっしょくたに「推し」と呼んでいると思います。

私もなんとなく「推し」って使います。(伝われ)

しかし我々バンギャの世界には
似て非なる「本命」という言葉があります。

指し示すは同じく「好きな人」

でも推しじゃないんだよな。「推し」てない。
みんなに「この人尊いよー!!!見てー!!!応援してーー!」って感じではない。

むしろ知ってほしくない。

これは私の中のバンギャのイメージなんだけど
自分含め閉鎖的な人が多いです。

男が化粧し、ファンは頭を振り
端から見たら宗教のようなそれは
一般人から見たら「不可解」「理解できない」「気持ち悪い」
わかります。そうですよね。

この「そうですよね」と言える精神がバンギャには備わっていると思います。
「何で良さを分かってくれないんですか!」という人は半数以下なんじゃないかな。

世間一般からみて自分達が理解されがたいものという意識がどこかに備わっている。誹謗中傷慣れしている気がします。

どこか閉鎖的なところというのはそこから来ているんじゃないかな~と私は思っています。
「そうですよね」を強いることは他の介入をあまり快く思わないってことなのかもしれないです。
「不可解」のレッテルを貼られたらそのまま「不可解」として享受する代わりに他所にいい顔をしない。だからオープンじゃない空気があるんだと思います。


理解されないのなら無理に理解しなくていい。
「ビジュアル系の良さが広まるならいいじゃないですか」「ファンが増えるならいいじゃないですか」違う。別にビジュアル系の良さは広まらなくていいしファンも増えなくていい。バンドは望んでいてもバンギャは望んでないからな。
一生手の届くところにいてほしいとさえ思うかもしれない。

だから「推し」という言葉にある「広まってほしい」みたいな気持ちが我々には無いんです。
良さがわかる人にだけわかればいいから。

バンギャの世界はなかなか闇が深いので
ステージの上の彼らを好きでいてほしい気持ちから繋がりや蜜の話は割愛します。

繋がりのはなしも一因としてはあるかもしれないけれど
わかる人にわかってほしいレベルが「本命」なんじゃないかな。
別に広まらなくていいしみんなに応援してほしい訳じゃないけど、もし彼を好きだとおもったら応援してほしい
くらいの気持ちが「本命」な気がします。

ジャニーズの「担当」に近いかもしれないですね。
ジャニーズの世界にもありますが
「麺かぶり無理」(「同担拒否」)にはご注意くださいませ。

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