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走れ野武士!

本日、3月6日は競走馬、ハイセイコーの誕生日です。
1970年生まれ。日本初のアイドルホースで、
70年代には社会現象レベルの人気を集めました。

血統も優秀、生まれた時から馬体も良く、牧場一番の期待馬だったハイセイコー。
3歳で公営の大井競馬場に入厩。地方の競馬場ながら、
初戦でレースコードを更新、さらに6連勝を飾り圧倒的な印象を植え付けます。
「ものすごく強い馬が地方にいる」と噂になりましたが、
あまりに強すぎて大井の観客はむしろ減ってしまったそうです……!

4歳で中央に鳴り物入りで移籍。
初戦の弥生賞には12万人以上の観客が詰めかけ、
騎乗したベテランの増沢末夫騎手も、あまりの人手に緊張したそうです。
その結果は地味ながらじりじり伸びて一着。
続くスプリングステークスも、やはりじりじりと脚を伸ばして一着。
さらに皐月賞でも一着となり、
地方移籍馬初の中央クラシック制覇を達成しました。

これを受けて、日本中でハイセイコーの人気が沸騰。
これまで「鉄火場」と呼ばれ敬遠されていた競馬場に新しい客を呼び込み、
競馬の社会的地位をギャンブルからスポーツに押し上げた、と言われています。

しかしその後は一着が減っていき、成績としては一流半馬といったところになります。しかし人気は全く衰えず、投票率はずっと高く馬券売上高自体も大きく押し上げていました。

75年1月に惜しまれながら引退。アイドルホースゆえか引退ソングまで作られ、なんとオリコン4位を獲得したそうです。種牡馬入りしてからもカツラノハイセイコやサンドピアリスなどを産出し、成功しました。

しかし成績だけで言えばレースの戦果も親としてもトップではないにもかかわらず、ハイセイコーの最大の特徴はとにかく人々に愛されたことにありました。その証拠に、通常の成績条件を満たさなかったにもかかわらず、「競馬の大衆化に貢献した」という理由で殿堂入りを果たしています。2000年に亡くなり、お墓には『人々に感銘を与えた名馬、ここに眠る』と記されているそうです。

そんなハイセイコー人気の秘訣は、地方馬の成り上がりという物語だけでなく、70年代オイルショックに陥った日本経済の苦戦と、大きなガタイで泥臭く戦うハイセイコーのスタイルが重なって見えたから、という声もありました。現在の経済も、私たちが競馬に抱くイメージも、誰かの頑張りの成果なんですね。

ということで、今日はウマの模様がついたボタンダウンをご紹介します。

カプリ ボタンダウンシャツ カジュアル

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https://item.rakuten.co.jp/itibann/70373/

さらに、ある意味「馬の服」とも言えるポロシャツもご紹介。もともとポロシャツとは馬に乗ってボールをゴールに入れるポロという競技の公式ユニフォームとして使われていた服なのです。

鹿の子ポロシャツ 台襟 長袖

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https://item.rakuten.co.jp/itibann/70280/

動きやすくなりつつある今日この頃、スポーツに出掛けてみるのもいいかもしれませんね。

また、本日3月6日の19時~3月12日まで一週間限定、通常セール価格よりさらに10%OFFのセールを開催しておりますので、
他の商品もぜひ、ご覧ください。

https://item.rakuten.co.jp/itibann/c/0000000194/

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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