①鈴木茶苑1-4(静岡県川根本町)

※インタビューは令和元年12月に行った時のものです。


7.お茶へのスタンス

茶ノ海:これからどんなお茶を作ってみたい等、目標などはありますか?


僕の今の目標で、自分の子どもに『お茶をやってみたいな』と思わせることがあるんです。


頑強な男が死に物狂いでやって成り立つ農業は嫌。彼女が大きくなった時、これなら私でもできる。やってみたい。って思ってくれたらいいなって。
彼女が何者になりたいかというのは彼女の自由だし、やりたいことをやってほしいと願ってます。だけど同時に、親父と母ちゃんは何、楽しそうにやってるんだろう。私もやってみたいなと関心を持たせたい。そう思うのは、僕も親父を見てた面が大きいです。僕は後から気づいたことですが。家を継げとかは絶対言わないようにしよう。だけど思わせよう。それが自分のスタンスとしての目標ですね。


この話は、お茶の後継者を作るうえでもリンクします。町内の茶業者は、後継者がいないという。けど、どうしたら後継者が生まれるかという話になると、必ず補助金が、という話になるんですよね。「茶業やると、こんな楽しいよ、こんなお茶作れるよ、こういう人生を歩くためにお茶があるよ。」それが抜けているんですね。


これって、今までお茶をやってきた人達が、自分が必要なものが補助金だと思っているからなんじゃないかな、と思います。農業者自身が本当に自信を持ってお茶に向き合えていなくて、お茶に希望を抱いていないんじゃないかな。お金を出したらお茶をやる人が増える、ということしか言わないんです。

・・・だけど、補助金があるからお茶をやろうというのはオカシイ。「田舎でこういう生活をしたいから」というのを抜きにして考えてはいけないと思います。これだけお金がもらえるからやってみない?って、そんな勧誘でお茶を始めたとしても、補助金がもらえる期間が終わったら、お金が無くなったからやめた、ってなる人が多いんじゃないかな。

僕は補助金を使わず、貯金をはたいて茶工場を作りました。申請すれば、多少は補助金も出たかもしれません。だけどそれを使わなかった理由は、これからのお茶作りに制限が出て、自由が利かなくなるという面が1つ。あとは、やりたいという気持ちがあれば実現できるんだということを、まだできてない人に知ってほしかったんです。実際に自分をモデルケースにして、自分がやった実績があるからこそ、説得力を持って他の人にアドバイスできる。それは震えるような気持ちです。工場を作るまでにはもちろん色々な葛藤があったけれど、これだけでも自分がやった意味があったと思いました。

来年に向けても考えていることがあります。知り合いから釜をいただいたので、何百グラムの単位で生葉を摘んで炒ってみようというのもできるようになります。(ちなみに手摘みは、一人あたり摘めるお茶の量がベテランの方でもだいたい1日頑張って摘んで10キロくらい。川根本町でできる製茶の最小ロット15Kなので、一人で一日摘んでも摘み終わらない…。しかも製茶する時間を考えると、お昼までには摘んでしまいたい…一人じゃ終わらないしたくさん人手が欲しい…という感じ)だから最初から何キロ摘まなきゃ…!と思わなくても良いんです!それって単純に楽しいし、幅が広がります。

経営はあるし、周りの人もいつまで健康か分からない。病気とかいつ不幸が起こるか全くわからないけど、今時点で見えるものは楽しい未来しかない。大変なこと、まだ当分食えないけど、お茶のある未来は、それ以上に楽しい要素がすごく待っていると思っています。


8.お茶はSNS

茶ノ海:お茶はSNS?

健:そう言った方がいました。お茶は以前からコミュニケーションツールだったと。お茶がつなげた人間のあり方、歴史を考えると面白いんですよ。お茶の葉をただ乾かして飲むのに、人類の英知がどれだけ使われたことか!製鉄、機械、油・・全部かかわったうえで、お茶の歴史そのものが人類そのものだなって。まあそれは何でも言えるはずだけど!

これだけ人の歴史に深く関わってきたお茶だけど、実はまだ未開の部分だらけです。だからみんな楽しくてやってるのだと思います。DNAの受け渡しというか、長い今までの歴史、これからの歴史の中の一部に自分のお茶がある。それはお茶の未来にとってどれくらいの役割か分からないけど、繋いでいく楽しみがあります。

そういう対象に出会えてよかった。お茶に打ち込んでる人はみなそういうスタンスでやってるんじゃないかなあ。極めている人ってやっぱ楽しんでいる人じゃないかな。どっちが先か分からないけど。お茶がそうさせたのか、対象として見出したのがお茶なのかは分からないけど。

野菜は生産性が抜けられないし、お茶みたいな次元にならない気がします。5gのために、「貴方のために持ってきたよ」って言えるのは、お茶だけかな。最終的に農産物として加工という工程があるのが大きいかもしれません。収穫してからのもう1ステージ。2回、人間としての魂を込められるんですよね。

生産者って自分の手で体現しなきゃ気が済まない人種で、消費だけで終われないんです。理想があったら、自分の手で作ってみたいと思う。

最近は県外の人と仲良くさせていただいています。お茶の見方では県外の方との方が一致するかな。同志じゃないけど、自分一人でできることは大したことじゃないから、ありがたいです。

1から農業を始めようとしている人には、機械を揃えるのが難しいという話を最初にしました。機械を1から入れようとすると、3千万円くらいかかります。機械だけでなく、畑も当然必要になり、そのための道具も・・・

実は川根にも小さい機械が何個かあるし、譲ってもいいと言ってくれている人がいます。だけど、自分の後に後継者はいないからと、機械をそのまま捨ててしまう人もいる。

僕が今やりたいのは、未来にお茶が作りたいと思う人たちのために、いらなくなった機械を残し、最終的に本当に必要な人に届けること。

川根でその機械を使いたいって人が出てくれれば嬉しいんだけど。既に県内外から欲しいよと依頼を受けてるので、産業遺産を有効活用できる組織ができないかなとか。距離感がない時代だからそれができることなんですよね。

古い機械が鉄くずになるか、揉む人生を与えられるかの今は過渡期にあると思います。この10年をしのいでつなげられれば、もう10年で蓄えで新品に変えれるかもしれない。この「繋いでいく」ことに関しては、自分でも、やらなきゃなという感じはあります。使命みたいな。

これからお茶をやっていきたいと思っている方へ。これは自分の成功体験が大きいから言えるのかもしれないけれど、やればできるんです。

本当に僕は大した人間でも天才でもないけど、自分の意志を込めるものづくりを、そしてその土台も作れました。やる気があればできないことはない。
それを一番伝えたいです。


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