①鈴木茶苑1-3(静岡県川根本町)

※インタビューは令和元年12月に行った時のものです。


6.お茶と僕の未来

茶ノ海:前回までは、自分の作りたいお茶を見つけたお話でした!

今のお茶、今後のお茶について、思うところはありますか?

健:今は若い人の方が、お茶に可能性を感じてくれている気がします。もっと言うとお茶に限らず、何か信念を持って、実際にアクションを起こしている人が多いなって。それはすごく嬉しいですね。そういう人たちを、できるだけサポートできたらな。と思っています。

お茶業界は今、大変な時にある、と言われてます。

だけど今までの歴史を振り返ってみると、例えば政情不安の時、明治維新変革期など、偉人と言われる人がいますよね。その人たちって、平和な時なら、まあでもそれなりに、一門の人物だっただろうけど、歴史に名を残すことはなかったんじゃないかなって思うんです。そう考えると、お茶業界が大変な今だからこそ、頭角を現す人が出てくるし、お茶に対する新しい時代が生まれる気運がある時じゃないかと思います。だから僕はお茶に悲観してないし、むしろ面白いと思ってる。

「お茶だけはとりつくんですよ」、と言った方がいました。それは県の職員さんなんですけど。果実・野菜・米、いろいろな作物があるけど、それぞれその研究をしている方って、定年退職すると一切興味がなくなるらしいんです。退職後に趣味でお米の研究とかはしない。だけどお茶だけは、退職後に本を出版する方、お茶屋さんになる方、普及活動する方、いらっしゃるみたいですね。お茶には魔力がある・・・!なんででしょう。嗜好品だからこそ、という面はあるかもしれませんね。お茶の形態もすごく多岐にわたる。細分化すれば差があるし、トマトみたいに糖度とか、絶対的な指標もないし。そう考えると行きつくゴールが無限にある、魔界みたいな世界なのかなって思います。


僕も感じたことはありますよ。お茶を「仕事」として捉えなくなったら、1人で気になるお茶を夜中3時くらいまで粛々と飲んでいたり、お茶屋さんめぐりをしたり、文献探したり…ある意味これは怖いなって。お茶が人生そのものになりつつあるんです。人生の全てがお茶を基準に回り、お茶が人生を狂わせている部分がある。

お茶で生きていくという選択をして、工場を作ろうってなった時に言われたのが、「35キロの生葉を最小単位として製造する機械じゃ、たくさんのお茶は作れない。60キロの機械にした方が良い」でした。たしかに生産性を考えたらその方が良いんです。だけど家族との負担を考えた時に、僕は奥さんと2人で十分できる範囲にとどめたいと思った。事業としては小さい今の経営面積をほぼ維持していく。

もちろんそれでは食べていけない。だけど、その部分は他で稼げばよいと思っています。お茶だけで食っていきたいから、茶をたくさん作ろう、超高額なものを作ろう、となってしまうと、やることが多すぎるんです。お茶の販売だったり管理のことでも、ちょっとした「お茶への意識」が日常に頭の中を占めるようになる。だけどそれで家族との時間が取れなかったり、バテるくらいの仕事量になってしまうと、何のためにお茶作るの?ってなってしまう。

僕の中でお茶は生活の手段だけど、同時に楽しみでもあります。お茶を嫌いになりたくない。だからこそ、お茶を食べていくための手段だと思わないようにしようって。人生をお茶に捧げることが大事なのではなく、家族・友人・自分が関わる人と、せめて会いに行けるくらいの人と、小さいけれども幸せな世界を築きたいと思っています。そのための手段や道具がお茶であってほしい。

技術・名声、僕はそういうことに興味がなくて、ただ死ぬ時に、幸せだったと思う人生が送れたらいいな。最後にお茶をやっててよかったね、って思えればいいな。

仮に自分がお米農家だったら、野菜農家だったら、とか、大工さんとか・・・他の家業があったなら、どんな自分だったんだろうと考えるんです。前までは、自分の道がお茶じゃなくても、他の家業ならそれを、それなりに楽しめる人間だったんだろうなと思ってました。だけど今は、お茶じゃなかったらここまではまらなかったかな、という気がすごくします。

僕のお茶作りのスタンスってなんだろう。考えたんだけど、1番はお茶を生活から遠ざけたくないな。と。 難しく向き合うお茶は自分は望んでいなくて、例えばお湯は何度まで冷まさなきゃ、とか、茶葉の重さはこれだけ、ときっちり測るとか。否定はしないけど、自分はもっと、日常のお茶を作りたいと思っています。

出店や、実際の消費者と会って話をする機会はとても貴重です。自分の作ったお茶を飲んだ人が、それを好きでもそうでなくても、相手のストレートな反応を見れることは、工場に留まっているだけだと絶対できないことでした。直接作ったものを買っていただくやり取りができるのは、作り手にとって、ものすごくモチベーションになります。お茶を作ることも、なんでも当てはまると思うのだけど、私はこういう人間ですよ、という自己表現の面があると思います。それに対して反応がもらえることは大きいです。

対面もそうだし、SNSでも、うちのお茶を飲んでるって感じられるようになりました。それがやっててよかったと思う瞬間であり、さらに「やらなきゃな」、とも思います。こんなもので満足してちゃだめだ。もっといいものを作って、誰しも人を動かしたい気持ちがあるじゃないですか。


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