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マシュマロへの回答:セキュリティ・キャラクター

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それはつらい経験をされましたね…。
お気持ち、とてもよく分かります…。かくいうワダチも先日、長らく慣れ親しんできたキャラクターの中の人がお辞めになってしまって、何かひどく悪い夢を見ているような、そんな心持ちでおります。

質問者さんは『安心毛布(security blanket)』という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
これは、人が安心感を得るために執着している物を指す言葉で、毛布に限らず、タオル、ぬいぐるみ、…それこそ、キャラクターに対しても使われる場合があります。
元々は乳幼児の執着に対して使われる言葉でしたが、現代においては「成人にも当てはまる」と言われています。乳幼児は母親から離れる不安を、成人は社会から受ける不安を解消するために、安心毛布となるものを持つのです。

さて、ここに仮に、ある人が肌身離さず持ち歩くほど大切にしている『愛用の毛布』と、商品としてはまったく同じつくりの『新品の毛布』があったとします。
『新品の毛布』は、ある人が持つ『愛用の毛布』の代替品になりえるでしょうか?

ある人が安心感を得るために『愛用の毛布』を持っているならば、答えはNOでしょう。
『愛用の毛布』は、匂いも手触りもある人に馴染んだものになっているでしょうし、何よりも、ある人が『愛用の毛布』とともに過ごしてきた思い出は、何ものにも代えがたいはずです。
感情的な言い方をすると、ある人と『愛用の毛布』との間には、これまでに築き上げてきた『絆』があり、この『絆』こそが、ある人の安心感の源なのです。
とすれば、ある人から『愛用の毛布』を取り上げる、あるいは洗濯などをして『愛用の毛布』を大きく変化させる行為は、ある人の安心(security)を揺るがす重大な出来事なのです。

ひるがえって、キャラクターの中の人が変わること、これは大きな変化であり、このキャラクターを安心毛布として見ていた人が不安に駆られるのも無理はありません。これまでにキャラクターと築き上げてきた絆の一部を失ったも同然ですから。

「中の人が変わってもそのキャラはそのままのはず」と質問者さんはおっしゃいますが、それは一方では正しく、一方では間違っています。
創作と現実、あちらとこちら、それぞれの立場や思惑がある中で、「(中の人が変わっても)キャラクターには何の変わりもありません」なんて一方だけに都合の良い話に、無理に合わせる必要はないのです。
自分が大切に想ってきたものが変わってしまって、悲しい、腹立たしい、残念だ…少なからずある不安な気持ちを、どうか誤魔化さないで下さい。後ろめたいと思うことはありません。あなたの心の中はあなたの自由です。

次のステップに進むためには、変化前と変化後の間にある溝を、あなた自身の手で埋めなければなりません。(…理想としては、あちら側がそれなりの場を用意してくれるのが一番なのですが、用意してくれないので仕方がありません…。)

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今はただよく考えて下さい。前のキャラクターの好きだったところ、キャラクターとの一番の思い出、大変だったであろう出来事、たくさんあったであろうしがらみ、こうなるに至ったやむを得ない事情…。
そこに「自分が納得できる何か・自分を納得させられる何か」を見出すことができれば、だんだんと不安も和らいでいくでしょう。
そして、徐々にで構いません。今のキャラクターとは、また新しい形の絆を築いていきましょう。

ふと、ワダチ自身が過去の記事で、「信じることは祈ることに似ている」と表現したことを思い出しました。己にコントロールできない存在に己を託すような無防備な我々にできることなんて祈ることくらいです。
どんなにつらい想いをしたって、またキャラクターという危うい存在を愛していけますように。

参考文献:
キャラクター消費とノスタルジア・マーケティング~第三の消費文化論の視点から~