見出し画像

そばにあっても、見えていないもの

月初めは、いつもの神社に朔日参りへ。
休日だったので、家族が起きる前に一人で行ってきたのだけど… 

あら? 自撮りじゃないのは、なぜでしょう?^^

実は、神社の関係者のおじちゃんが
「撮ったろか?」
といろんなカットを撮影してくれたのでした。

ついでに
「ついてきてみ。ええとこ教えたろ」
とガイドまでしてくれて。

ところが、到着してビックリした。

案内されたのは、『連理』と呼ばれるかなり珍しいサザンカの木。
連理とは、ある木の枝が他の木の枝にくっつき、1本の木のようになること。

その様子から、以前は“縁結び”の名所としてたくさんの人が参拝されていました。 

在りし日のサザンカの木。1本で2カ所の連理があるのはかなり珍しいのだとか。


でも、半年以上前に
「治療中です。応援してください」
という看板が立っていたのを、私は見ていたのです。

数年前の台風で枯れてしまい、一縷の望みをかけて樹医さんに診てもらっているとのことでした。


その後、気づいたときには地面は何もなかったかのようにならされていて 「あぁ、あの子はいなくなったんだな……」 
って思っていたら、

いた!!!
しかも、こんな近くに!!!

毎月参拝するたびに、一部を移植し祀られているすぐそばを通っていたのに、全く目に入っていなかった自分に呆然としました。 

「写真撮ってるから初めて来た子かと思ってたんやけど、知ってたんかー^^」

おじちゃんは丁寧に状況を教えてくれて、
「毎月一日はここにいてるから、いつでも声かけてな」と
鳥居まで見送ってくれました。 


同じように、すぐそばにあるのに
 見えていないこと
 気づいていないこと
 見落としていること
って、たくさんあるに違いない。

周りにいる人かもしれないし、
普段から身の回りで起こっていることかもしれない。
ひょっとしたら、自分自身の内にあるものかもしれない。


そして、それは
“見ようとしないと見えない”
ってことも、改めて身に沁みた。
 
いや、厳密に言うと、
知っているけど忘れてしまいがちなのだ。
 
一つ一つに丁寧に向き合いたいと思っていても
ついつい日常に流されてしまう自分がいる。
 
家族、友人、仲間、
その日出会った人や起こった出来事。
いきなり全部に向き合うのは簡単ではないけれど、
ちょうど最近、意識的に向き合っていることを思い出した。


自分の“感情”だ。


長い間、ネガティブな感情は良くないと思ってきた。
無意識のうちにポジティブに変換するようになっていた。
それで上手くいくことも救われることもたくさんあったから、
別に気にもしていなかった。
 
だけど、ここ最近はネガティブな感情も
私から芽生えた大事な感情だと捉えて
あえて全身で受け止めるようにしている。

感情そのものは、つらかったり悲しかったりするけれど、
知らず知らずのうちに抑え込んでいた感情を受け止めてあげることで、
小さなわたしが
「ありがとう」
って言ってるようにも感じる。
 

今はまだ訓練中だけど、意識せずとも
ネガティブもポジティブもまるっと受け入れられるようになったとき、

きっと私は、
もっと“わたし”を好きになれるだろう。

それがちょっと楽しみなのだ。

おじちゃん、大切なことを思い出させてくれてありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?