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どんでん返し、または人生の不条理

母の膀胱に治療不可能なほど癌が広がっていることを知らされたのが6月。
母は膀胱摘出手術を拒み「他人の手を煩わせてまで生きていたくない」とごねた。
父と姉からは「お前の言うことなら聞いてくれるから何とか説得しろ」と頼まれたにもかかわらず、私は説得などせずどこまででも母の意思を優先させると決心して母と向き合うことにした。

「手術を受けてほしい」とも「手術を受けた方が良い」とも一切口に出さなかった。延命を選ぶかさもなければ急速な死を選ぶか、ただ淡々と母に寄り添ってその選択を待った。

母を故郷に置いて電車に乗るたびに吐き気に襲われた。鳩尾を圧迫感が襲うのだ。およそ6週間母と会うために故郷と往復しながらその吐き気と共に暮らした。

母は渋々手術を受ける決心をしたが(最終的に彼女にそう決心させたのは父の憔悴ぶりだった。そのことは私に温かい涙を流させた。私が子供時代から知るかぎり決して仲の良い夫婦ではなかった。それでも母の背中を押したのは父への愛情だった)その気持ちは二転三転し手術の前日まで私は主治医からの電話で病院に走り母に会いに行った。随分振り回されたが無事手術は成功した。

手術中も手術が成功した後ですら私には本当にそれが正解なのか判らなかった。
8時間に及んだ手術中、夕日の射しこむ家族用待機室のソファの上で「もしかしてこのまま眠ったまま逝ってしまった方が母にとって幸せなのかも知れない」と脳裏をよぎったくらい。

その迷いが消えたのは母の手術の2週間後にイギリスで55歳の義理の弟が膵臓癌で亡くなった時だ。長生きしたくない84歳が生き延びまだ死にたくない55歳があっけなく死んだ。
回復し始めた母が病院から電話してきた時にその知らせを告げたら母も絶句した。

「お母さん、生き死にだけは本人の意思では決められないんだね。どういう順番なのか判らないけどまだお母さんは死ぬ運命にないってこと。ありがたくこれからの時間を生きようよ」

それ以来母は何度も繰り返していた「長生きしたくない」のセリフを口に出さなくなった。

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