無人島に一冊持って行くなら…
無人島に数年間流刑になって本を一冊だけ持って行くことが許されるなら何を持って行くか。
「罪と罰」が筆頭。最近読んだ「百年の孤独」も咀嚼できていないから、何度も読み返すには良いだろう。それだけの価値があると思う。詩集も良いかもしれない。ボードレールやランボーの詩集とか。いずれにしても、何度も何度も読むに耐える作品を選ばなければならない。
本は単なる芸術とか娯楽とか文化の象徴ではない。本は国が健在であること、健全であること、程度の差こそあれ栄えていることの象徴だと思う。自由に物を書き、自由に本を読むことができる国は限られている。大半の国にその自由はない。
大分前に「アウシュビッツの図書係」という本を読んだ。アウシュビッツ収容所で少女が命がけで数少ない本を守る話だが、本を守ることは国や民族を守ることである。先日読んだPオースターの小説でも図書館が焼け落ちるシーンがあったがひとつの国(あるいは街)の消滅を意味しており、最後に手元に残った数冊の本(ジェイン・オースティンやディケンズだったと思う)が再生の可能性を示唆している気がした。図書館が焼かれる、本が自由に読めなくなる、書けなくなる、世界から忽然と本が消える、そういう設定や展開はこれまで読んだ本に多くみかけた。多くは自分が生きている世界(国とか街とか)の衰退、消滅を意味していたように思う。
ロシアや中国を初めとする独裁国家では今も検閲があり、表現や言論の自由はない。ナボコフは亡命作家でロシア語と英語の両方で作品を残した。日本も戦時中はもちろん芥川の時代にも検閲はあった。戦後はGHQ占領終了まで検閲が続いた。ただ図書館は焼かれなかった。日本の文化は残った。戦争では、武力で制圧した後、その土地の文化を根絶やしにするために本を焼くのが定石だ。仮にそこまでしなくても権力による弾圧は必須である。
今は自由に本を書き、本を読める。もちろん「言葉狩り」は少なからずあり、筒井康隆は一時それが理由で断筆している。そうはいっても十分に自由だ。出版業界や書店が衰退しているとはいえ立派な図書館もある。あれこれと欠陥はあってもこの国がそこそこ健全に存在しているのは確かだ。私たちは恵まれている。
さて、無人島に流刑になるとき持って行くことを許された一冊の本。
みなさんは何を選びますか?
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