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「シャルル」~シロクマ文芸部お題「花火と手」

 花火と手首が一直線になった瞬間、先端が火を噴いた。火の玉が猫の顔面を直撃した。猫は悲鳴のような鳴き声をあげてその場に倒れた。
「やったぞ」
 真夏の月が照らす小さな公園で、三人の少年が嬌声をあげて倒れた猫に近寄った。猫は手足で顔面をかきむしってもがいていた。その猫を少年の一人が両手で持ち上げて高く掲げると「成敗完了!」と叫んだ。すると他の二人も同じ言葉を繰り返した。
 少年たちは、猫に興味をなくし、砂場に放り投げると、「解散!」といって家路についた。彼らの夜のパトロールが終了したのである。
 少年たちが去ったあと、一人の少女が砂場に駆け寄ってぐったりしている猫を抱き上げた。猫は生きていたが顔面にひどいやけどを負っていた。少女は小刻みに震える猫を胸に抱きしめたまま、公園を走り去った。

 最初少女の母親は嫌がった。小さなアパートの二人暮らしでペットを飼う経済的な余裕もなかったし、何より少女が持ち帰ってきた黒猫が顔面大やけどをしていて見るも無惨な状態だったため気持ちが悪かった。しかし、水商売で夜寂しい思いをさせている娘に対する負い目もあったし、泣きじゃくって頼むので、渋々飼うことを承知した。
 こうして黒猫は少女の家族になった。
 黒猫の怪我はひどく、動物病院で手当てしたものの、右目は潰れ、顔の半分は焼けただれた状態になっていた。気力、体力が回復するまで一月以上かかった。その間、母親が仕事で出かけている夜、少女はつききりで看病した。黒猫は花火のことから人間を恐れていたが、少女の献身的な態度に次第に心を許し、元気になったころにはすっかり少女に懐き、ひとときも側を離れようとはしなかった。少女は黒猫に「シャルル」という名前をつけた。

 シャルル、人間を憎んじゃだめよ。いい人もたくさんいるからね。

 少女は口癖のようにそう言っては、シャルルを膝に乗せて愛撫した。シャルルは少女に答えるかのように優しい声でないた。
 だが少女とシャルルの穏やかな生活は長く続かなかった。シャルルが来て一年も経たぬある日、少女は死んだ。踏切の飛び込み自殺だった。小さなアパートはその日を境に地獄と化した。警察の取り調べや鉄道会社からの賠償請求、人足が絶えることなく続き、数日後に自暴自棄になった母親は行方不明になった。少女の遺体は身元不明者用の遺体安置所に保管され、火葬された。シャルルは誰もいない荒れたアパートに取り残された。
 シャルルは知っていた。少女が自殺する一月程前から様子がおかしかったことを。夜、シャルルを膝に乗せて机に向かって何かを書いているときの辛そうな表情、膝が震える感触、ときどきこぼれ落ちる涙。すべてがシャルルの左目に焼き付いていた。少女が疲れ切って眠ってしまった後、机に上ると、ノートにどす黒いクレヨンでねじ曲がった文字や人間の絵が乱雑に描かれていた。彼女は何かに怯えていた。誰かに怯えていた。きっと人間の仕業だろう。シャルルは確信していた。

 シャルル、人間を憎んじゃだめよ。いい人もたくさんいるからね。

 少女はそう言った。でもシャルルは覚えている。花火で顔面を焼かれたことを。少女を放り出していなくなった母親のことを。人間にいい人なんかいない。少女が特別だっただけだ。
 どす黒い怒りと悲しみと憎悪が臓腑の底からわき上がってくる。血を吹くような鳴き声を上げると、シャルルは窓から飛び出しそれきり小さなアパートから姿を消した。暑苦しい夏の深夜、少女が死んで七日目の晩だった。

「A子、自殺だったてさ」
「つまんねえな。次は誰いじめようか」
 下校時に数人の少年が笑いながら話していた。一匹の猫が塀の上から彼らを追いかけるように見つめていることを気づくはずもない。醜くただれた顔面で左目が残酷なほど苛烈に赤く燃え上がっていた。



本作はシロクマ文芸部参加作品です。いつも企画ありがとうございます。


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