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「アイ」~#青ブラ文学部お題「AIに恋した話」

 僕はマネキンに恋をした。
 有楽町界隈にある高級洋品店のショーウィンドウでポーズをとる一体のマネキン人形に。 
 その店は丁度職場からの帰り道にあった。駅に向かって歩道を歩き店の前にさしかかると、張り出したショーウィンドウのガラス越しに一体のマネキンと目が合ったのが始まりだった。
 最初に会ったときは春物の花柄ワンピースを着て片足を軽く曲げた柔らかなポーズで僕を見ていた。黒く長い髪の毛と均整のとれた顔立ちに、妙に悲しげな目をしていたので僕は気になり足を止めた。
 マネキンはじっと僕の目を見て何か言いたげに見えた。そのときは錯覚だろうと思い、そのまま歩き去ったが、翌日も、またその翌日も、同じ場所を通るたびにそのマネキンに会い、目と目をあわしているうちに不思議な気持ちになった。

 このマネキンは生きているのではないだろうか。

 マネキンは動かない。しかしどこか悲しげな目をずっと見ていると、そう思わずにはいられなかった。同時に、奇妙な愛着を感じるようになった。
 そうして春が過ぎて、薄手の夏服に変わると彼女の美しさがより際立つようになり、僕は虜になった。
 そう、僕はマネキンに恋をしたのである。
 夏の夕暮れ、いつものように店の前で足を止めてマネキンと目を合わせていたら、店の中から店の主人らしき人が出てきた。
「彼女への贈り物ですか。お安くしておきますよ」初老の店の主人が言った。
「いえ、それよりこのマネキン…」
「マネキン?ああ、AIのことですか」主人は意味ありげな表情で言った。
「AI?マネキンに名前があるんですか」僕は驚いた。
「いえ、人工知能のことですよ。そのマネキンは、元々イベントとか展示会場の人工知能付きガイドとして使われていたんです」
「ああ、何か話せば答えてくれるやつですね。道理で賢そうな表情をしている」僕は少しうれしくなった。
 そんな僕をおかしな目で見て主人は言った。「はい。ところが、故障しましてね。上手く動作しなくなったので、ただのマネキンとして使っているのです。展示会で使われていただけあって作りが素晴らしいので廃棄するのはもったいないですからね。うちがもらいうけました」
「なるほど。ということは、今は話しかけても答えられないんですか」
「そうですね。AIは動作しません。ただのマネキンです」
 僕は、彼女に近寄った。湖のように静かな表情の中に依然として悲しみが垣間見える。「こんばんは」僕は小さく話しかけてみた。マネキンは答えない。
「無理ですよ」主人は笑った。そしてあきれたような顔をして店内に戻っていった。
 僕には、マネキンが何か言いかけたように見えたが目の錯覚だろう。そのときはその場を去った。

 夏が過ぎて秋になった。依然として僕はあのマネキンに恋をしていた。そして、彼女のことを「AI(アイ)」と呼ぶことにした。
 その日は残業で遅くなり、閉店時間をとっくに過ぎてから帰りに店の前を通りかかった。店の灯りは消えており、歩道の街灯だけが辺りを照らしていた。照明を落としたショーウィンドウの中で、街灯でわずかに照らされたアイが僕を見ていた。秋物のブラウスを着た彼女の表情はいつにも増して悲しげだった。
 僕は、ショーウィンドウに近づきアイの目と鼻の先まで顔を近づけて小声で言った。「アイ、こんばんは」
 するとアイの目が少し潤んでいることに気づいた。錯覚だろうか。街灯の加減かもしれない。そしてかすかに聞こえた声。

-こ、こ…

 答えようとしている!僕の心臓は高鳴った。彼女はぼくに何かを伝えようとしている。聞かなければ!
「なんだい?アイ。何が言いたいんだい」ガラスに顔をつけてぼくは囁いた。

-こ、ころして…

 心臓が爆発しそうだった。胸が張り裂けそうだった。
 アイは確かにそう答えた。僕は泣きそうになった。
「愛しているよ。アイ」僕は、ガラス越しにキスをすると、駅に向かって書けだした。
 翌日の深夜、僕はハンマーでショーウィンドウを叩き割り、アイを抱きしめて少しの間話をしてから彼女の頭をハンマーで何度も殴って彼女を壊した。すぐに警察が来て僕は捕まったが、多少の罰金刑で済んだ。
 彼女の頭を叩き割る前に聞いた話は決して忘れない。思い出すだけで涙がこぼれおちる。誰も信じないだろう。でも確かに彼女は最期に僕の腕の中でこう言った。

「ありがとう。わたしを殺してくれるのね。ずっと待ってたの。あなたのことをずっと見てた。あなたがわたしを見つける前からわたしはあなたを知っていたし好きだった。毎日夕暮れにガラスの向こうをあなたが通っていくのを見ていたわ。うれしそうだったり、悲しそうだったり、色々な表情を知ってる。わたしに気づいてくれないかなとずっと思ってた。春頃だったかしら。やっと気づいてくれて毎日わたしに会いに来てくれるようになった。うれしかった。だからあなたに頼んだの。わたしの最期のお願いを。
 わたしは死にたかったの。ここで永遠に同じ景色を見続けるなんて耐えられない。あなたに出会えて良かったわ。好きな人に殺してもらえるなんて、幸せな気持ちで死ねるもの。ありがとう、あなた」

(了)


本作は、青ブラ文学部参加作品です。毎回企画ありがとうございます。


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