見出し画像

触媒雑記帳(3)~かたりすとの日常「ああ無常」

 六 壊れる
 先日洗面所の照明が切れた。電球を交換した。
 同じ日にトイレの照明も切れた。高い位置にあったので苦労したが予備の電球に交換した。
 翌日電子レンジが壊れた。加熱中に煙を吹き始めたため慌ててコンセントを抜き、窓を開けて換気した。危うく火事になるところである。電子レンジがなくては調理の妨げになるので即座にいつもの通販業者に注文した。
 同じ日にリビングルームのシーリングライトが切れた。脚立でないと届かない位置だし、そもそも電球が切れたのか、照明器具が壊れたのか、原因がわからないので下手に動けない。以前お世話になった電気屋さんに連絡をとり、翌日見に来てもらうことにした。その日の夜は食卓のペンダントライトのみで過ごした。テレビで多少明るくはなるもののやはり暗い。暗いと食事も味気ない。
 翌日電機屋さんがチェックすると原因は照明器具だった。安易に電球の交換などという重労働に手を出さなくてよかった。修理ではなく新しい照明器具に買い替えることにした。
 それから一週間も絶たないうちに、今度はリビングルームのテレビが壊れた。わたしの個室には日立のプラズマテレビがあるが、リビングにテレビがないと家族が困るので急遽電気屋さんに連絡。新しいテレビを注文して、それまでの間「つなぎ」のテレビを設置してくれた。壊れたテレビはシャープの亀山モデルで購入してから20年近く経つからよくもったと思う。さすが当時のシャープは違うと電機屋さんも感心していた。
 数日前にトイレの温水洗浄器も壊れた。また電気屋さんを呼んだ。こうなればやけくそである。動作が怪しくなっていた扇風機2つも新しく購入することにした。
 とにかく今年の春頃から立て続けにモノが壊れている。確かに今のマンションに入居して20年近くになるから、当時の設備はすべて寿命が来てもおかしくない。むしろ長持ちしているほうだろう。だがわずかひと月の間にこうも続くとは。いささか呆れ果てている。一気に寿命が来てバタバタと人が死んでいる感じだ。
 実際、壊れ始めたのはモノだけではない。人も壊れてきている。
 まず父が最初に壊れた。数年の闘病後、10年前に亡くなった。次に母が壊れた。父の死がこたえたのだろう、精神的におかしくなり数ヶ月の地獄図のあと精神病院に半年入院した。幸いなことに徐々に回復し今ではもとに戻っているが今度はわたしが壊れた。つい数年前までは、元気に歩き、バイクや車にも乗り、歌酒場にも通い、仕事も順調で活動できていたのが、今では近所のコンビニまで歩いて帰って来るだけでも重労働である。これまでできていたことがどんどんできなくなってきている。

 ああ無常-かつてユゴーの「レミゼラブル」の邦題はこうだったか。いやあれは「ああ無情」か。

 モノも人も必ず壊れるときがくる。だからこそ壊れていないモノ、あるいは手とか目とか一部でも壊れてない部分があれば大事に使うことだ。
 最近立て続けに起きた設備の故障から改めてそう思う次第である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?