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[勝手に芥川研究#2]泉鏡花を読もう!~泉鏡花と芥川

芥川の通夜では、先輩総代として泉鏡花が、友人総代として菊池寛が弔辞を述べています。盟友だった菊池寛の弔辞も素晴らしいですが、泉鏡花のそれは極めて美しく慈愛に満ちていて感動します。

昭和二年七月二七日

玲瓏明哲、其の文、その質、名玉、文界を輝ける君よ。溽暑蒸濁の夏を背きて、冷々然として獨り凉しく逝きたまひぬ。

巨星、天にあり、異彩を密林に敷きて、光とこしへに消えず。然りとは雖も、生前手をとりて親しかりし時だに、其の容を見みるに飽かず、其の聲を聞くをたらずとせし、われら、君なき今を奈何せむ。おもひ、秋悲しく、露は淚の如し。月を見て其の靣影に代うべくは、誰かまた哀別離苦をいふものぞ。

高き靈よ、須臾の間も還れ。地に、君にあこがるゝもの、愛らしく賢き令郞たちと、溫優貞淑なる令夫人とのみにあらざるなり。辭つたなきを羞ぢつゝ、謹で微衷をのぶ。

(いずみきょうか先輩総代)

芥川は、作家になる以前、鴎外や漱石はもちろんですが、それ以上に泉鏡花を愛読していました。初めて小説らしい小説を読んだのは泉鏡花の「化銀杏」だと述べています。
そして、一九二五年から谷崎潤一郎ら六名とともに「鏡花全集」全一五巻の編集委員となります。泉鏡花と芥川の交流は実質この全集をきっかけとして始まりましたが、芥川は全集の広告である「鏡花全集目録開口」で以下のように書いて絶賛しています。

 鏡花泉先生は古今に独歩する文宗なり。先生が俊爽しゆんさうの才、美人を写して化を奪ふや、太真たいしん閣前かくぜん、牡丹ぼたんに芬芬ふんふんの香を発し、先生が清超の思、神鬼を描いて妙に入るや、鄒湛すうたん宅外、楊柳に啾啾しうしうの声を生ずるは已すでに天下の伝称する所、我等亦多言するを須もちひずと雖いえども、其の明治大正の文芸に羅曼ロマン主義の大道を打開し、艶えんは巫山ふざんの雨意よりも濃に、壮は易水の風色よりも烈なる鏡花世界を現出したるは啻ただに一代の壮挙たるのみならず、又実に百世に炳焉へいえんたる東西芸苑げいえんの盛観と言ふ可し。
(以下省略)

新小説臨時増刊号の広告

これを読んだ泉鏡花は感謝の手紙を芥川に送り、芥川は以下のように返答しています。

朶雲拝誦仕候。開口の拙文御よろこび下され忝く存候。何度試みても四六麗体の評論のやうなものしか書けず、今更あゝ言ふもののむづかしきを知りし次第、垢ぬけのせぬ所はいくへにも御用捨下され度候。御言葉に甘へ、味噌に似たものを申上げ候へば、あの中野に白鶴の云々より先を書き居候時は少々逆上の気味にて眶のうちに異状を生じ候。目下仕事やら何やらにて閉口致し居候へどもいづれ拝眉仕る可くまづ御礼まで如斯に御坐候。頓首。  附録に一句御披露申し候間御一笑下され度候。置酒と前書して、 明星のちろりにひびけほととぎす

これがきっかけで二人の交流は深くなり、当時河童の絵を描いたり、頭の中は河童だらけだった芥川と泉鏡花大先生の間で河童の話が盛んにやりとりされたというからぜひ知りたいのですがそのあたりの文献は見つけることができませんでした。
ただ、この鏡花全集の最終巻(一五巻)が発売されてまもなく芥川は亡くなります。そして泉鏡花は通夜で冒頭で紹介した弔辞を読みます。
通夜が行われた芥川の書斎の火鉢のそばには、発売されたばかりの泉鏡花の最終巻が置かれていて、それを見た彼の心中はいかばかりだったでしょう。

泉鏡花の

この集のために、一方ならぬ厚意に預かりし、芥川龍之介氏の二十四日の通夜の書斎に、鉄瓶を掛けたるままの夏冷たき火鉢の傍に、其の月の配本一五巻、覆いを払われたりしを視て、思はず涙さしぐみぬ。

詳しくは、こちらを御覧ください。

さて、そんな泉鏡花ですが、実はわたしは全然読んでいません。
鴎外や漱石はそれなりに読んでいるのに、なぜ?と思わずにいられません。
本来わたしは江戸川乱歩を筆頭として、彼に憧れた夢野久作や外国ではポーなど幻想小説が好きなので、純文学の古典では泉鏡花を真っ先に読むべきだったのです。それがなぜか一作も読んでいない。。
「夜行巡査」「外科室」、、表題を見ただけで、読みたくなるじゃありませんか!
確かに弔辞を読んでわかるとおり泉鏡花は江戸古典調で文章的には難解な部類に入ります。読みやすさでは漱石>鴎外>鏡花だと思うので、敷居は高いかもしれませんが、幻想文学好きとしては放っておけませぬ。ましてや芥川が大好きだったわけですから、読まずにはいられませぬ。

ということで泉鏡花の幻想小説を読もう!

ということでこの記事を締めたいと思います。
また読みたい本が増えますね!
それではまた!


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