見出し画像

勝手に芥川研究#11 保吉ものについて

 芥川の小説には「保吉もの」といわれる小説群があります。堀川保吉という主人公の目を通して、些細な日常を描いた私小説風の短編です。大正十一年から十三年にかけて以下の九編が書かれています(漏れていたらご指摘ください)。

「保吉もの」一覧



「魚河岸」大正十一年
「保吉の手帳から」「お辞儀」「あばばばば」大正十二年
「或恋愛小説-或は恋愛は至上なり」「文章」「寒さ」「少年」「十円札」大正十三年

 短編小説として独立しているものもあれば、数編の掌小説の連作から成る作品もあります。
 ここではすべてについて述べるつもりはありません。「保吉もの」の意義と個人的に気に入った作品について述べてみたいと思います。

「保吉もの」の意義

 まず「保吉」ものの意義について考えてみます。
 堀川保吉は、海軍機関学校の講師で作家ですから、芥川にとって過去の自分です。書簡でたまに触れられているように、登場人物は実在の人物をモデルにしていることがあって、ものによっては完全な私小説もあるでしょう。ですが、余りに出来すぎの展開もあるので自分の体験を元にしたフィクションと考えるのが妥当とわたしは思います。
 重要なのは、書き始めた時期で、大正十一年は、それまで元気一杯だった芥川の体調が急激に悪化する原因となった志那旅行の後であることです。また、それまで歴史物が多かった作風が、同時代の現代ものに切り替わった転換期でもあります。
 従って、晩年ほどではないにしろ、初期作品のように物語を生き生きと語ることが減り、体調も神経も衰弱し始めた影響か、どこか陰鬱とした神経質な作品が増えてきた頃です。そんな中で、彼はまだ兼業作家だった頃の自分を主人公にした「保吉もの」を書き始めたのです。
 また「大道寺信輔の半生」のように自伝的な作品も書き始めています(正確には自伝ではありません。多分に事実と異なるところがあります)。
 色々な意見があります。創作のネタが尽きてきたからとも言われます。一般的に「保吉もの」の評価は低いです。小説で描かれていることが実に他愛のないことばかりなので、面白くないというのが最大の理由でしょう。
 わたしは、健康状態も理由の一つだとは思いますが、それまでの作風を現代に転換するにあたり、「堀川保吉」という人物を通して過去の元気だった頃の自分の体験を今の精神状態から再構築しようとした芥川の試みだったのではないかと思っています。
 なぜなら自分をモデルにした私小説を書くのなら、わざわざ「堀川保吉」などというレンズを通さずに、晩年のように一人称で「僕は」で書けば良いのですから。初期にしても「蜜柑」などは「私は」で書かれていますからね。
 ただ言えるのは、この時期から、初期の物語中心の短編から、些細な日常を取り上げて心象風景を描く小説が多くなってきたということです。わたしが好きなのはここからの芥川なので、例え評価が低くても「保吉もの」は結構好きなのです。
 つまり芥川は、「保吉もの」をひとつの実験として使って、これまでの作風から新しい境地を切り開こうとしたのだと私は解釈します。

お気に入りの作品

 次に個人的に気に入った作品を紹介します。
「保吉の手帳から」の「わん」
 海軍の主計官が「わんと言え!」と乞食を野良犬なみに馬鹿にする様子をみた保吉がラストで主計官に対して「わん」と言うオチの落語のような小話ですが実にユーモラスで、ウィットに富んでいます。西欧の短編小説の匂いがプンプンします。
お辞儀」
 毎日会うけれども知らない女性とすれ違うときに先にお辞儀をしてしまったことをああだこうだと悩む話で、今の若者が読んだらくだらなくて笑うだろうとか評論家が言ってますね(笑)。しかし、大正という時代を踏まえた上で、毎日会って気になるけれどもすれ違うときに挨拶するべきか、お辞儀したら会釈されてしまったじゃないか、明日会ったらどうするべきか、等々、ひたすら心理を追い続ける手法は、ある意味で斬新ではないでしょうか。特に芥川は育ちが良いのでついお辞儀をしてしまったのでしょうし、そういう自分に対する自己嫌悪の感情が手に取るようにわかります。筋書きも何もないと言われれば、ヴァージニア・ウルフの小説だって同じです。ひたすら意識の流れが書かれているだけ。しかし美しい。わたしはこの作品はなかなかの逸品だと思っています。
文章」
 
海軍機関学校で文章の上手い保吉が弔辞を頼まれ、自分の小説よりも弔辞のほうが評価を受けている皮肉を語るのですが、以下に尽きます。

半時間もかからずに書いた弔辞は意外の感銘を与えている。が、幾晩も電燈の光りに推敲を重ねた小説はひそかに予期した感銘の十分の一も与えていない。

文章

そしてこの作品に限らず、芥川の描写はときに心奪われるほど美しい表現があります。

空には枝を張った松の中に全然光りのない月が一つ、赤銅色にはっきりかかっている。

文章

 わたしはこれだけでご馳走様ですね。

「少年」の「クリスマス」
 「保吉もの」で一番好きかもしれません。自動車でたまたま一緒に乗り合わせた宣教師、そして少女の話。「十二月二十五日は何の日ですか」としつこく少女に問いかける宣教師にキリスト教布教の胡散臭さを感じる保吉が耳にした少女の答え。ネタバレになるので言いませんが、実によくできた小品です。これも西欧の短編の匂いがプンプンしますね。こう言ってはなんですが芥川はこういうのをもっとたくさん書いていたら、ああいう晩年にはならなかったのではないかと思います。「秋」などと同じで、傑作でなくてもちょっとした秀作ならたくさん書けたと思うのです。ただ、小説家はそれができないのでしょう。ひたすら高みを目指し自分を追い込んでいくのが芸術家ですから。

 さて、今回は「保吉もの」について論じてみました。青空で読めるのでぜひ一読してみてください。いずれも短い作品です。

 それではまた。おつきあい有り難うございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?