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その10、私たちは気付いてる?福祉の現場が、表現出来るかで世界は変わり得るということ

福祉の再構築ということを体現するには、人の流れを再構築していくことだという話を、このマガジンでも綴って来た。
再構築していくには、福祉現場の当事者や専門職、関わる家族以外の人たちが、福祉全体に関わるきっかけが必要になる。

そんなことを考えていたとき、敬愛する工房まる・樋口さんらが登壇されたsoarさんのイベントレポートを食い入るように読んでいて(参加が叶わなくって、どうにかしてそのエッセンスを得たい一心だった)、この一文にとても惹かれた。

この読み物:人の流れを再構築する、小さな実践について|の最後を締めくくるために、福祉の現場にいる人たちが「表現」するものこそが、世に問いを投げかけ、ある人の答えになったり、気付きになったり、関わるきっかけを生んでいくんだという、そんな話をして結びたい。

画一的なものではなく唯一無二のものを

例えばよほど詳しい人でなければ、障がいのある人が日中どんなことをしているか、知っている人は少ないのではと思う。身体的に可能であれば、屋外で商店街のゴミ拾いや清掃もするし、もしくは室内で袋詰めする作業など手作業かつシンプルな動きのみを必要とされる活動だってある。
この福祉の現場において、障がいを持っている「その人らしさ」という視点を持つべき必要など考える必要性すら考えないくらい、仕事の流れも現場の動きも確立化されている。ここに対して何か異論を唱えたいわけではない。

先だって名前を出した工房まるは、福岡にある障害福祉サービス事業所。この工房は真逆の考えで、福祉の現場から様々な発信を試みている。

「工房の特徴は、企業からの下請け仕事ではなく、メンバーの“得意なこと”や“続けられること”を活動にしていること。与えられた仕事ではなく、そこで生まれた仕事を重ねる毎日です。」

さらにこの先引用は続く。だけど一問一句削ることができないくらい、重要なメッセージだと思った。

「世の中一般の「障害者」のイメージがばらばらであること。ある人は目が見えない人、ある人は知的障害の人を想像していたとしても表に出てくるのは「障害者」というひとつの言葉で、そこにまったく個性も人格も見えない。
それを、まるに来たときに払拭させよう、という意図がありました。長い時間をかけていけば、必ずその人とのコミュニケーションはできるんだ、と思いました。
世の中で障害者は分け隔てられていて、その人たちと出会う場もないし、関係性を深め合っていける場もない。だから、差別偏見っていうのは、そこが原因なんだと思って。
それをなくしていくための場所を作ろうっていうのが、原点
なんです。
その人自身の表現しているものは、人と出会うきっかけを作ったり、関係性を深め合えるものになったりしていくと思うんですよね。
だからこそ、うちではアート活動をしている意味合いが大きいんです。その人が生きていくための関わりをいかに作っていけるかが、まるの大きな目的なのかなと。」

この文を読んで何度となく涙が出たのは、あなたでなくてもできる、ということが当たり前だった様々な取り決めや仕組みに対して、あなたが生きているのだから、という前提で福祉の現場が成り立っているということだった。

一見大げさに聞こえるかもしれないけれど、福祉の現場の前提を疑い、問い、現場をみた人間がいかに転換し表現できるかで、そこに関わる当事者や家族、そしてその先にいる私たちとの関わりを保ってくれているのだ。

私にとって、福岡・野間にある工房まるのアトリエは控えめにいっても聖地のような場所なのである。


「認知症」が問題ではなく、「認知症ではない人たち」の問題

同じく敬愛する事業家に、下河原さん(以下、しも兄)という方がいる。2011年に千葉でサービス付き高齢者住宅 銀木犀をスタートさせ、現場での取り組みは国際的にも絶賛され賞も受賞。見学者が絶えない。


でも、しも兄がすごいのは、銀木犀の運営にとどまらず、VRで認知症を「体験」するプロジェクトを立ち上げ、国内のべ16000人以上の体験者を生み出し、その勢いで中国の展覧会でも行列をつくらせるほど高い関心が集まっている点。
しも兄がこのプロジェクトを水面下で進めていたときに知り合ったこともあり、当時からその様子を少しずつ聞いたことがあった。

(当時の見学の様子は、こちら

「ここ銀木犀の方々の変化を目の当たりにしていったときにね、認知症が問題なんじゃなくて、ぼくら認知症でない人側の問題なんだと気付いたわけ。だから認知症予防ってんじゃなくて、認知症じゃない側へのアプローチが必要なんだよね。それでVRを使って開発始めたの。」

先日ようやくこのVR認知症プロジェクトを体験。1つは認知症の方の発言を元にして作られた、認知症の中核症状のひとつ、見当識障害を表現したVR。2つ目に、降りる駅が途中でわからなくなってしまった人の焦りを映像化したVR、3つ目に幻視の症状が表れるレビー小体型認知症の人になりきった一人称体験のVRだった。


元々こうした映像に入り込みやすい性格と、妊娠36週の妊婦のせいか、1つ目を体験しているときから汗が止まらない。2010年に立ち上げた住宅型有料老人ホームで出会ってきた入居者の方々の顔が浮かんでは消える。
「もっとあの時から勉強しておけばよかった」「もっともっと出来たことがあったのではないか」
焦りと後悔が何度も押し寄せてきて、映像が終わった途端安堵感に包まれた。それが3回続いて、すっかり疲れ果ててしまったけれど、1本1本観終わった後に参加者同士で感想を言い合うセッションで少しずつ解消されていった。
それぞれの持ち場に持ち帰ったときに、何をどう出来るのか。短い時間の中でも直感的に出てくる言葉があった。

人の流れをつくることの意味を、改めて。

そして今こそ、福祉の現場で踏ん張る1人1人が、世の中に対してどう表現していけばいいのか選択できる、大きな分岐点に立っているような気がする。

VR認知症プロジェクトでアテンドしてくれた川上さんいわく、この体験を通してどこまで”想像力”を持てるか、という話があった。もうまさにその通りなのだ。障がいのある人であったり、認知症の人であったり、高齢者であったり、そういった分断されてきた人たちと出会う理由を、場をつくっていくことが遠回りでもひとつの道となり得るのだという可能性を自分の中で確信できたことだった。

それは友人や恋人、家族のみならず、何かしら大なり小なり接点がある他者への想像力があってこそ、実際の行動に結びつくものなのだと。

長崎二丁目家庭科室で人の流れをつくっていたときに、若手がシニアに寄せる尊敬の眼差しがあったように、半径3mくらいの人への想いを育んでいくには、それが日常であればあるほどいい。それが今まで本当に接点のなかった人どうしであればあるほどいい。

私の小さな実践は、少しずつ現実化してきている。


2020年4月、長野県は軽井沢という森の中で、新しくできる幼小中の混在校の真向かいで、在宅医療、クリニック、介護・福祉の拠点をつくる。今ちょうど、測量など土地の状態を把握しながら建築計画を進めているところ。

この現場でこそ表現したいのは、生きる塊である子どもたちと、老いていく人たちなどの境目を曖昧にしていくこと。でも双方が生死を慈しむ毎日をおくっていくこと。年齢だとか国籍だとか障がいだとか、老いとか。子どもたちが色んなメガネで人をみる前に、その人はその人なのだからという意識をスっと持って欲しい

教育と福祉は隣り合わせにあるからこそ、社会の関係性がつくられていくものだと思うから。


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このマガジンを書くと決めてから、その10まで書けるとは思わなかったのだけれど、ここまで付き合ってくださりありがとうございました。

2018年7月ごろには、3人目を出産し、また現場に戻るのは秋ごろ。またこんな読み物シリーズを綴って頭の中を整理したいな。またみなさん、どこかで。

藤岡聡子