形の見えない夢

今日、ハローワークに行ってきたが、ハローワークに行くまでの車の中で自分は何をしたいのかを無意識的に考えていた。

結論としては、「生きづらい人の居場所を作りたい」である。前に、抽象的な自分のやりたい夢を書いたが、1mm程具体的になったが、まだまだ形の見えない抽象的な夢である。

なぜそのような考えに至ったかは単純だ。今の自分がこんな所あったらいいなと思ったからだ。今の自分が安心できる場所というのは、自分の部屋のみである。心が疲れている人はわざわざ自分から落ち着かない場所へ行こうとは思わない。

安心できる場所をつくる前提として必要なことは安心できる場所を作った人が信頼できるかどうかが重要だと思っている。信用できない人が作った場所に誰も行こうとは思わない。

少し脱線するが、私の経験上、療育施設(児童デイサービス等)で、何よりも大切なことはこの信頼関係(ラポート、ラポール)の形成だと私は思っている。しかし、実際のところ、療育施設にかかわらず、会社や学校、家族などで本当の意味で信頼関係が形成されている人たちは少ないと思う。

信頼できる人ってどんな人だろうか。私自身は、同じような経験をしている人は信頼できる気がする。生きづらいと思ったことがない人にアドバイスされても、「うるせい!!」と喧嘩になってしまうかもしれない。

それは、お互いが共感し合えていないことが要因なのではないだろうか。こう考えると生きづらい経験をしていることに意味を見出せるのかもしれない。辛い経験を他の人に経験させないように。

自分に何ができるかわからないが、ちょっとだけ足掻いてみようと思う。

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