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「やらないで後悔するなら、やって後悔しろ」

小学生の時、父から言われた言葉。

5〜6年生の頃、近所に買い物に行く途中で、お婆さんが荷物を重そうに持っていて、大丈夫かな?って気にしながらも、通り過ぎた私。
少しして隣にいた父が、「やらないで後悔するならやって後悔しろ」と呟いた。

両親は私が小さい頃に離婚していて、その日は父が私と弟にたまたま会いにきた日。
もちろん普段いない分、信頼関係なんてないし、私はその頃、父のことが大嫌いだった。

「なんで?どうせ後悔するならやってもやらなくても一緒じゃん」

と、反抗的に父に言葉を返すとこう言われた。

「やって後悔するのは自分で決めてやったことだから消化できる。でも『あの時やっておけばよかった』の、“あの時”は、もう二度と来ない…だからとっても大きな後悔になる。」

自分の父親が、親みたいなことを言っている…なんてその時は思ったけど、この言葉はその後の私の人生の指標になった。

電車で高齢者や体の不自由な人に席を譲りたくても、ドキドキして譲れなかったのに、高校生の時には躊躇なく譲れるようになってたし、学校でイジメられてる子がいるのを知ったら、いい方向に行くように、なんらかの働きかけをするようになった。

もちろん、席を譲って文句を言われた経験も多々あるし、いじめの矛先が自分に向いて、自分が学校に行けない時期もあった。

でもそれは「席を譲られる側の気持ち」を考えたり、「無視されることの辛さ」や「学校に馴染めない」という感覚を身をもって経験するという自分の糧にもなって、あの時父が言っていた言葉を大人になってようやく体得できた気がした。


離婚後も、度々来てはいたけど、いつも酒臭い父を、私は父親とは認めていなかった。「この人が死んでも私は絶対悲しまないだろうな」とずっと思ってきた。
高校一年生の年末、父がフラッとやってきて「フルート買いに行くぞ」と私を連れ出した。
高校で吹奏楽部に入った私に、年明けの正月、フルートを買ってくれると約束はしていたけれど、なんで急?と思いながら、買ってもらえるのは嬉しいからありがたく買ってもらった。
とても嬉しくて、「お父さんありがとう」と言葉で伝えた。「お父さん」なんて呼んだのは、10年以上ぶり。
メールも送った。
「お酒飲み過ぎないでね」って。

5日後、父が亡くなったと連絡が来た。
信じられなかった。
あんなに元気だったのに…
自分で歩いてたのに…
本当なら、その翌日がフルートを買いに行く予定だった日。
父は最後の最後に、きちんと私との約束を果たしてくれた。
本当は年末のあの日、不調だったのかもしれない。自分の体の異変に気付いてた?
お正月もお酒を1杯しか飲まなかったそう。私がメールしたから?もう確かめようもない。

最後に会った日「お父さん」と呼べたこと、「ありがとう」と言えた事だけが、私の人生の後悔を一つ消してくれたという支えになっている。ありがとう。

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