キネマ旬報ベスト・テン 短評・日本映画編

2月2日、キネマ旬報ベスト・テンの各賞が発表されました。
さらに2月4日発売のキネマ旬報特別号で、日本映画、外国映画、文化映画のベスト・テンが発表された。個人的には納得の結果でした。
以下、ベストテン各賞の作品名・個人名が書かれているため、まだ結果を知らない人は、ぜひ本誌を読んでから、この記事を読んでいただきたいです。

〇日本映画ベスト・テン

第10位 『花束みたいな恋をした』


 ベスト・テンに入ってくれて本当に良かった。理想的な出会いから始まる若者2人の5年間にわたる恋愛を、2010年代のポップカルチャーを背景に描いているが、単なる現代のテンプレ的な恋愛映画という枠組みにとらわれることなく、あくまで2人の個人的な恋愛というものが軸になっていたことで、世代を超越した普遍性を持った作品に昇華されていた。さらに恋愛の終わりを、決して劇的にではなく、自然な流れで、時系列もうまく使いながら表現し、映画の中におさめ切ったのは本当にすごいことだと思う。

第9位 『いとみち』


観る前までは、もっとポップで軽やかな映画なのかと思っていたが、いざ観てみると、映画全体を通して落ち着いた雰囲気に包まれていて、田舎の閉塞感や寂れた感じが、誇張なしにそのまま描いていると思った。主人公のいとの意気地なさや優柔不断な感じに対して途中まではイライラしたが、後半になるにつれて尻上がりに盛り上がっていく様は、とても興奮した。これに関しては主演の駒井蓮の感情の出し方が素晴らしい。いとの心情の変化も含めて、さわやかな気分になった。いとの父親役の豊川悦司も素晴らしかった。田舎に対して疎外感を感じつつも、父親でいてくれた。青森の風景がとても美しく、時間を忘れて楽しめる作品だと思う。

第8位 『由宇子の天秤』


登場人物の正義が終始揺れ動き続けており、観客個人の正義だけでなく、社会的な正義すらも根本から揺さぶられてしまった。生理的な気持ち悪さすら感じる作品だったが、これは観るべきだ、と強く思える作品だった。沈黙と長回しのシーンが多く、映画内の時間の流れは正確だと感じたため、上映時間の長さはあまり意識せずに観ることができ、構成力が半端ではないな、と思った。主演の瀧内公美の目の強さが印象的だった。萌役の河合優実がすさまじい。そして萌の父親役の梅田誠弘、生活感と生きづらさがにじみ出ていて素晴らしかった。終始むず痒く、救いのある話とは言えないが、非常に面白かった。

第7位 『空白』


序盤から、頭が真っ白になる。そのあと、悲しみと喪失感がやってきて、次第に怒りへと変わり、誰のためかもわからないが動き続けるしかなくなる。登場人物たちのの感情の揺れ動きが、観る者の感情を強く揺さぶり、徹底的に追い込まれていった。しかし、観ていてむしろ心が強くなった気がする。古田新太と松坂桃李はじめ、役者陣の演技が凄まじかった。絶望がひしひしと伝わってきた。個人的に、寺島しのぶの役柄が印象的だった。昨年観た映画の中で一番泣いた。

第6位 『あのこは貴族』


東京という大きな街に確かに存在する階級社会というものを、静かに、かつ、誠実なタッチで描き切った素晴らしい作品だった。主演の門脇麦が纏う雰囲気は、まさに純東京育ちのお嬢様のそれであり、些細な表情の使い分けだけで心情を伝える演技力は見事だった。お嬢様にはお嬢様の辛さがあり、進路や婚約相手までも親に決められてしまうという上流階級ならではの悩みを、誰にでも抱えうる普遍的な生きづらさとして描くことで、主人公を身近に感じることが出来た。一方で水原希子演じる田舎出身の女性は、田舎の閉塞感に嫌気がさし、東京に希望を抱いて上京してきたが、自分とは生活環境の水準がまるで違うお嬢様たちを目の当たりにすることで、自分の田舎臭さを実感してしまい、自分で自分を養わないと東京では生きていけないのだということに気が付いてしまう。この二人を対照的に描くことで、憧れの街、東京の厳しい現実を強く印象付けていた。しかし、自分はここで生きるしかないという諦観がありつつも、頑張って生きていくことの尊さも伝わってきて、自分を肯定できる映画に仕上がっていた。


第5位 『水俣曼荼羅』


残念ながら未鑑賞。いつか機会があれば観たい。

第4位 『すばらしき世界』


まず、役所広司はとんでもない役者だと思った。圧巻。長年獄中にいたやくざ者が、この日本社会で生きていくことの難しさと苦しみを痛感しながらも、生きようともがいていく様を、役所広司が見事な芝居で観客に届けてくれた。合理性や効率を求められる社会になり、肩書や経歴だけで評価が下されてしまう社会になったことで、排除されてしまう人がいて、この社会の片隅で苦しんでいる人がいるということを、現実問題として突き付けられた。西川美和監督は、そういった人たちを徹底的に調べ上げて、映画としてどのように社会に伝えていくのかということを、ものすごく考えた上で作っているのだと思った。前科があるからといって、その先の人生全てが狂ってしまってもしょうがないのか?もちろん感情論で言えばそうなのかもしれないが、犯罪者でも生きている。生きているからには、よりよい人生を歩み、再び犯罪に手を染めないように社会がさせていく必要がある。現実にはたくさんの壁があり、誰も他人事ではない。あなたも知らないうちに人を苦しめているのだ、そう言われている気がした。知らないままではいけない。知るべきだ。知ったうえで、どうしていくのかを考えていき、その先に、すばらしき世界が存在するのだということを、この映画は示唆していると思った。


第3位 『偶然と想像』


人間の面白さとは、会話の面白さであり、それはどんなエンタメの面白さにも勝るものだと、この映画を観てそう思った。とにかく会話がとてつもなく面白い。一般的に、映画内で起こる偶然は、物語的には必然になってしまう。しかしこの映画は、映画内で起こる偶然を、あくまで現実に起こりうる偶然にまで落とし込んでいた。物語の持つ必然的な偶然を、想像の持つ無限性を用いることで、映画の世界からはみ出た、この世界に起きた偶然にさせてしまう。それにより、この映画の登場人物たちと、観客たちが、映画の中の世界と現実世界という垣根を越えて、同じ世界に共存していた。とてつもないことが起きていた。だからこそ、異様なまでに心を打たれた。

第2位 『茜色に焼かれる』


今、現実問題として直面している辛さを、映画の中でリアルタイムに描いていて、今この映画を観ているからこそ辛さが増しているが、この映画の存在自体がとても救いになっていた。コロナ禍、交通事故、格差社会、いじめ、低賃金、セックスワーカーなど、この世の不条理をこれでもか!というほど詰め込んでいるため、観ていてとても辛くてたまらなかったが、どこか希望も感じさせられて、それは主人公のシングルマザー役を演じた尾野真千子と、その息子役の和田庵の、重くなりすぎない演技のおかげだと思った。
主人公の、女としての自分と、母親としての自分の間で揺れ動く気持ちを、尾野真千子が見事に表現していて、何か、目に見えないパワーに満ち溢れた演技だと感じた。この世の不条理に対して、もっと怒れ!声を上げろ!と言われている気がした。片山友希が素晴らしい。永瀬正敏も良い味出してた。芹澤興人が気持ち悪くて最高だった。

第1位 『ドライブ・マイ・カー』


正直、次元の違う映画だった。他の映画とは別のステージにいた。ただ、面白かったという一言では片づけられない、まさに傑作と言える圧倒的な映画だった。静けさの中に響き渡る車の音と、演技の中に滲み出る、心からの激情に、心を掴まれた。冒頭から惹きつけられ、そこから179分ノンストップで目が離せなかった。意味や示唆のないシーンが一つもなく、1秒たりとも目が離せない魅力にあふれていた。劇中劇の構成が非常に巧みで、役者が演じるということについて、二重構造で説明する手法が本当に見事だった。濱口竜介監督はどの作品でも劇中劇を入れてくることで、観客が、普段の生活の中でも演技をしているのではないか、という奇妙な錯覚に陥ってしまう。この不可解な奇妙さも濱口作品の魅力であり、まさに村上春樹の原作との相性の良さを感じた。物語についても、あの原作から、ここまで話を膨らませるのか!という驚きがあった。主人公の静かな感情の起伏が物語の進行とともにひしひしと伝わってきて、さらに、物語における車の役割とシンクロしているように感じた。岡田将生の、とあるシーンは、カメラの前で起こり得ないことが起きていた。あのシーンで、岡田将生は役者として一段ステップアップしたのだ、と観客としても思わされた。とにかく、脚本が素晴らしい。この映画が1位でなければ、何が1位なのか、と思うほど圧倒的な次元にいる作品だった。

まとめ
昨年は、濱口監督の1年と言ってもいいくらい、傑作を残してくれました。濱口監督に限らず、オリジナル脚本で、たくさんの名作が生まれた1年でもあり、日本映画はまだまだ才能にあふれた人たちがたくさんいるので、どうかこの人たちがのびのびと映画を作ることが出来るように、多くの観客に作品が届くことを願っています。

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