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虫嫌いの話

(見出し画像はカラパイアさんよりお借りしました)

私は虫が大の苦手である。

どれくらい苦手かというと・・・

例えば黒いヘアゴムが丸まったまま、部屋の片隅に落ちてたりすると、

心拍数が急激に上昇し、脂汗が出、フリーズする。

だが、その黒い物体(もう完全に虫だと思いこんでいる)が、例えば、ベッドの下とか、クローゼットの中になんて移動しようもんなら多分その日は家にいられなくなるので、

目を(黒い物体から)離さないまま、手に届く範囲の物を手当たり次第その「黒い物体」に投げると言う行動に移す。

クイックルワイパーが近くにあると一番良い。

長さが割とあるので、2メートルくらい離れた所からでもその物体にアプローチできる。

しかし。

おりゃおりゃっ・・・とビビりながら突いた結果「ヘアゴムだった」時の虚無感と言ったらない。

「虫じゃなくてよかった。。。」と言う安堵感もありーの、
「なんでヘアゴムがこんなとこに落ちてんねん」という怒りもありーの、、、
そして、
「虫に見えたヘアゴムにここまでビビる情けない自分」への落ち込みもありーので
結構ぐったりする。

が。

「それ」が万が一「ガチの虫」だった日にゃ、そんな程度じゃ済まない。

うちはマンションなので、家の中に虫が入ってくることはあまりない。
しかし皆無ではないので、本当にたまに・・・年に数回だけど、虫が入ってきたりする。

昨年の夏も、朝起きると玄関に「なんで?」と思うくらい大きな「コオロギ」がいた。
そいつは外でも、滅多にお目にかからないくらいの大きさのコオロギだった。

2時間くらいかけて退治した(かなりの試行錯誤をして玄関先から逃した)。

しかし、その後も髪や皮膚に何かふわっと当たるものがあるたびに
「ひやぁぁぁぁぁ(む、むし!?)」っとなるのだから、疲労困憊もいい所だ。

夕飯作る気力すら無くなるのだから、経済的にも大打撃だ。

なぜ、こんなに虫が嫌いになったのだろう・・・

思いつく理由を、前にとあるSNSに書いたことがあるので掲載してみる。

なぜこんなにも虫がダメなのか?
その原因を探ると、思いあたることが2つほど出てきた。
1つは、幼少期(と言っても小学生だけど)に北海道に住んでいたこと。
今でこそ、北海道にもゴキブリが出るようになった、と言う噂を聞くが、私が住んでたころ、ヤツの存在は皆無だったと思う。
とにかく見たことがなかった。
北海道で見たことがある虫と言えば、トンボやら蝶々やら、、、とにかく、虫図鑑の先頭に立つ代表的な『昆虫軍』であり、しかも暖かい時期は短いので、それらを見かけること自体が風物詩のようなもの、だった気がする。
ところが、小学4年の夏休みに私は東京に戻って来た。
夏休み中、、、しかも新しい学校(転入先)にもまだ行ってないので、友達も居らず、暇を持て余していた私は、ある日ベランダの掃除をすることに。
ベランダには1つ、観葉植物が置かれていた。
そして水を撒くのに、その観葉植物を持ち上げた途端、悲劇は起きた。
大量の茶黒い物体がうわ〜っと出て来たのである。
虫、という認識はすぐに出来たが、何の虫かの判別は全く出来なかった。
それまでだって、原っぱで大きな石をどかせば、大量のダンゴムシや蟻、ミミズの大群を見たことはあった。
しかし、それよりも遥かにサイズは大きく、尚且つ何とも言えない色、、、カブトムシよりもずっと平べたく異様に長い触覚、、、しかも動きが早い!
四方八方にそれらが恐ろしい速さで散らばる。
なんじゃこらぁーーー。
である。
ジーパンである。
柴田純である。松田優作である。
呆然、というのを生まれて初めて体験した瞬間だったと思う。
そして、気を失いかける、という体験も。
見てはいけないものを見てしまった気が強烈にした。
そしてこれは、ゴキブリに限らず、虫に対する私の嫌悪感を広げた大事件だった気がする。
しかし、果たしてそれだけなのか?
そう思った時に、胸にチクっと刺さる感覚がした。
なので、記憶をもう少し掘り下げてみた。
そのゴキブリ事件の数年前、、、つまり、私が物心ついた頃〜幼稚園にかけて、母は教育の一環として、仕事帰りに虫を捕まえてきては、私に触れさせた。
カブトムシやクワガタなどの昆虫のヒーローに限らず、蝉、殿様バッタ、コオロギ、カミキリムシ?などなど、、、それでも母は、代表的な?虫を選んでは採ってきてくれたと思う。
母は起きてくると、お土産、と言わんばかりに緑の虫かごから捕まえてきた虫をとっては、私の手に置いた。
だけど、私は既にその頃からちょっと苦手だったんだと思う。
内心『ウゲゲゲ、、、』となっていたのを覚えている。
が、私はそれを母に言えなかった。
仕事で忙しく、あまり会えない母との唯一のコミュニケーションであったことは確かだったし、母が私のためを思ってやってくれてることは、幼心にも伝わってきてたから。
しかし、そんなことを続けてたある日、事件は起こった。
アレは確か蝉だったか、、、
いつものように手に乗せられた割と大きな蝉が、突然プッと液体を出した。
びっくりした私は、蝉を手から落とした。
そしてよろけて転んだ。
その弾みで、蝉を手のひらでガッツリ潰したのである。
……。
母はあららと笑って、潰れた蝉を片付けてくれた。
私は大泣きした。
初めてであろう殺生。
潰した時の何とも言えない感触。
蝉になのか、母になのか分からないけど申し訳ない気持ちと怒り。
色んなものが交じり合っていた。
そして多分、その出来事以来、私が嫌だと言ったのだろう。
母との虫コミュニケーションはその日を境になくなった。

まぁ、これらの事件をきっかけに、私は「虫嫌い」になったものと思われるのだが、この文中にもあるように「セミ潰し事件」以前から既に、私は母から虫を渡されると「うゲゲゲ」となっていたので、

多分「ボーン トゥ ビー 虫と相容れない人間」なんだろうと思う。

仕方ない。そんな人間もいるのだ。

だけど不思議なのは、こんなにも苦手なのに最近、虫関係の記事が上がると食い入るように見てしまうのである。カラパイアとかナショジョとか。

アホなのか?

アホだろう。

いやよいやよも好きのうちなのか?
私はそんなドM体質なのか?
シェリー、俺に愛される資格はあるか?
俺は決して間違っていないか?
俺は真実へと歩いてるかい?
・・・尾崎を歌っている場合ではない。

暖かくなってきて、虫の気配もチラホラと感じるようになりました。
私の「虫物語」もこちらで増えていくかもしれません。

どうせなら、壮大にしてやろう、虫物語。(字余り、季語なし)




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