「Vtuberになる」ではなく「Vtuberとして○○になる」【インターネット方丈記】

Vtuberはあくまで表現の形式や手段のひとつでしかなく、ある種のプラットフォームである。
Vtuberとして何をやるか、何になるかが本質では?
という話。

Vtuberであるという事それ自体に希少価値があった時代などとうの昔に過ぎ去った現在、こんなものは当たり前の認識だと思ってるんだけども、そうは考えていない人をプレイヤー側リスナー側問わずよく見かける。
それどころかそっちが多数派なのでは?とすら思う。

先日話題になっていたこの記事も、ざっくり言うとそういう話だ。
武器になるような実績や強烈なアイディアもない個人が(長所やアイディアは持っていたと書いてあるが、少なくとも現状のVtuber企業が食いつくものではなかったらしい)、企業やクリエイターから一人前の扱いをしてもらえるわけがないし、周りも似たようなVtuberばかりとなればマトモな関係性やコミュニティが形成されるはずもない。
これらを理由に辞めるというなら、それは単に自身の想像力不足のせいだ。

そもそもVtuberをやる理由自体が弱い故に想定が甘く、そのくせ期待だけは妙に大きいとなるとそりゃあ現実とのギャップでストレスも溜まるよね、という。

権利の問題や企業の内情、個人的なクリエイターとのトラブルについても書かれてるけど、今回の話には大して関係ないのでスルーで。

特に目立った武器もなさそうに見えるVtuberが1万数千や数万の登録者数を持っているのは実際ちょくちょく見かけるけど、なんとなくVtuberっぽい活動をしているだけでそんな数字がついている自らの現状に不平不満を言ったりそれこそお気持ちしたりするのは、流石に感覚がマヒしすぎじゃないかねと言いたい。


こういう技術面機材面などでVtuberデビューをサポートするような記事等はよく見かけるし実際とても有用だとも思うけど、表現者になろうというならまず必要なものはもう一個前の段階では?と、どうしても思ってしまう。

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