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秋月達郎「海の翼」を読む

ずうっと前、トルコが親日的な国という記述を読んで、訝しく思った。共通敵国であるロシアに日露戦争で辛勝したからだとか、そんな理由も併せて書いてあったが、腑に落ちなかった。何せ遠い国、異なる宗教観、仲良くなる材料なんて無いんじゃないの。

エルトゥールル号救出譚からイラン・イラク戦争の邦人の為の特別機派遣、後のトルコ大地震における救援活動に至るまで、日本とトルコには私などまるで知らなかった感動の歴史の絆があった。国の威信だとか、戦略的外交なども全く皆無ではないのだろう。それでも始まりは他を哀れむ、悼む気持ちだった。誰かの困難に心を悼め、寄り添い、持てるものを投げ出して救ける。またそれに感化され追従する心。それは単純で純粋な、自然と沸き上がってくる、本来人間が備えているであろう、善性だ。

私達は日頃そんな事は忘れて暮らしている。そんな心は無くなったのではないか、というような事象にまみれている。国、立場、ちっぽけなプライドなんかも踏み越えて、困難な他者に心を悼め、手を差し伸べる事。人として当たり前の事。その当たり前が尊く、美しい。

今、自分の命がこうして在る事の不思議と素晴らしさ。私達はこれからだって、きっと大切な事に気付いて、自らが能動的に誰かを幸せにする事「だけ」が、翻ってとてつもなく己自身を幸せな存在として救うようになる事なのだと知るだろう。

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