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良い子が大人になるということ

学生の頃から当たり前のように 身近にあった考え方。 それはいわゆる大人にとっての 良い子が必要とされ、 服装に乱れがあったり団体行動で 外れてしまったりする生徒が 問題児のように扱われる ということです。 私はいじめられていた経験が あって良くない意味で 目立っていたので、 特に優等生に見られるように 普段から努力していました。 少しでもマイナス面が 見えなくなるように。 それが学生時代における 私に対しての最低限 必要とされる条件で あったように感じていました。

生まれてきた意味はもう近くにある

時々人生がうまくいかないと 「自分が生まれてきた 意味って何だろう、、、」と 考え始めてしまう方いませんか。 私、それです。 そうすると落ち込むんでいることから 若干ずれたテーマで考え始める ことができる気がします。 「生まれてきてから全部不幸だった」 と言っている人でもそうとは 限らないと私は考えています。 せめて一つくらいは 良い感情を抱いたことが あるんじゃないかと思います。 「いいことばかり続くはずないし」 などと自分でかき消してしまったり することありませ

深夜のお味噌汁

今日は大寒波の夜です。 いつもの服装では耐えきれない寒さで、 思わず寝る時間でもないのに 毛布をかぶっていました。 外には雪がちらついているらしいです。 私の住んでいる地域では 初雪になりました。 雪の深い地域の方を思います。 豪雪地帯のみなさん、大丈夫ですか。 夕飯にはカレーを作って食べました。 少しでも辛さで温まることが できたらと思いましたが、 残念ながらそんなに 効果がありませんでした。 もっと温まるような献立 にすれば良かったと思いつつ、 恨みがましくは

私にしか書けないものを書く

プロフィールにもありますが、 私は以前とある人に 「りりさんにしか書けないものがある」 と言ってもらったことがあります。 これが飛び上がるくらいに嬉しくて、 今でも心の中で宝物にしています。 その反面、言われた嫌な評価は いつまでも心の中で 痛み続けてしまいがちです。 自分への評価ってどうしても 気になってしまいます。 いい意味でも、悪い意味でも。 それは「優しい」かもしれませんし、 「意地悪」かもしれません。 けど優しい自分が違うと思うなら 傷つくこともあります

あの人の笑顔はどんなものだったんだろう

私はあまり電車に乗りません。 苦手というよりも、特に用がないと 使うことがないからです。 駅はどうしても人が多く集まります。 それが嫌いなわけでもありませんが、 現在のこの状況では気にせざるを 得ないと思います。 だからここに来るたびに 何だか緊張してしまいます。 髪を切ったら少しの買い物をして すぐに帰ろうと気合を入れました。 帰りの電車でおみやげにと買った ケンタッキーの袋の匂いを気にしていると、 目の前の60代から70代 くらいの女性がマスクをせずに 普通に電車

いろんなnoteのスタイル

「自分の書く言葉が誰かに届いたら」 「誰かの心を癒せたら」 「誰かの背中を押せたら」 noteでいろんな方の自己紹介を 見ているとよく見かける言葉です。 これものすごくかっこいいと思います。 ちゃんと読者の視点を意識していて、 かつ相手のためを考えるという 思考ができている証。 「誰かのために」という視点のある方 っていうのは温かい人柄の方が 多いようにも感じられます。 私、ほとんどこういうの考えたことが ありません。トータルでけっこうnoteを 続けてきてはいるので

誰かと一緒に喜ぶということ

今月の読売新聞についてくる 「読売家庭版」という冊子に 載っていたエッセイを見て、 はっとすることがありました。 山本ふみこさんという方の文章です。 そこにはこんなことが書いてありました。 どうしてこれが私の心に響いたかというと、 このエッセイに気付く直前に とある方のnoteの記事で 少し嫌なものを見てしまったからでした。 それはその人にとって いいことがあったという記事が、 最近の記事に比べて ダントツでスキの数が少なかった ということです。 なんでこんなことにな

丁寧に生きるためには気付くことから

ありがたいと思うのはそれが明るいからで、 ようやく私は光差す場所に来れたと思いました。 このアカウントを始めたのは 本当に何もかもがうまくいかない時期でした。 何をしても逆効果になり、 どんどん悪い方向へと 落ちていってしまい、、、 気分的にも落ち込んでしまっていました。 だから新しい世界を知りたい、 他の生き方をしている人たちを見たいと 感じていろんな記事を見て回っています。 もちろんそれは今もです。 私がしたいことは最初の記事で掲げた通り 「毎日を丁寧に生きること