空ありすぎ

書けと言われんばかりに色んなことが起こる

原付バイクで物損事故を起こした。
停車中の車両に発進時アクセルを回しすぎた自分が激突して転び、車を凹ませてしまった。

しかも久々に乗った原付には自賠責の証書がなく、期限が切れていたので私は免停。加えて50万円以下の罰金か1年の懲役。自賠責がないので任意保険の補償もなく相手の修理代は全額弁償。
こればかりは自分が悪い。刑事罰だけど社会よ再包摂してくれ!

だったところを修理を頼んだバイク屋が証書を入れ忘れていたことがわかり、あやうく前科を間逃れた。

相手方は黒塗りの高級車に乗ったイカつい人ではなく、軽自動車に乗った優しい人。
自身は救急搬送されるようなケガではなく、打撲。
原付は廃車になったが、相手車両は自走可能。(おそらく板金修理)

100点満点の不幸中の幸い。
ここまでくるとむしろ幸いと呼んでも過言ではない。

かつては何度も自転車事故を起こしていた筆者。その後も何回か連れの事故に遭遇していたが、久々に自分でやってしまった。

今回は今までの経験をフル活用して事故処理を最短で済ませた。
そのための仕事とはいえ、警察と保険屋と病院にお世話になりすぎてお歳暮を贈りたいくらい。


厄年かどうかは知らない

今年は個人的にも災厄が多すぎる。
にも関わらず、それを上回る幸福を享受している自覚がある。

つまり信じられないことに今年は幸せな1年だった。
流産は紛れもなく人生で一番悲しいことだった。
悲しいことや痛みの感じ方が相対的に変化せざるを得なかったのかもしれない。

ことたび引き合いに出してしまうあたり立ち直ったとは言えないが、それでもいま笑っていられるのはものすごく幸せなことだ。

病気やケガのときに適切なケアを低価格で受けられた。
事故や紛争の処理を警察や保険会社に任せ解決することができた。

何より1人で塞ぎ込むことなく、ありのままの思いを受け止めくれる人がいるのがとてもありがたい。
受け止めてくれるだけでなく、気持ちをぶつけてもらえるのもありがたい。

“不幸中の幸い”だったと言うと状況を卑下したニュアンスが加わってしまう気がする。今年は今までで一番優しい気持ちになれた幸せな年だった。そう思えるからこれから先もなんか大丈夫な気がする。でも立ち直りが早いとは思わないでほしい。
見てくださいこの上ないわがままボデーーー!!(スタンス)

今日まで出会った優しい人たちのように、これからも誰の不幸も願わず自分の幸せを守りたい。

いま私、幸せよ~

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