不生の仏心【16週6日後期流産⑥】

赤ちゃんの"壮行会"


私の場合は分娩後に病院で遺体の保管ができず、私の退院が翌日で火葬が2日後、さらに真夏だったので、大量のドライアイスを購入した。
しかしこの方法はあまりおすすめできない。
 
夫と赤ちゃんの遺体が先に帰宅し、棺ごと発泡スチロールのなかで赤ちゃんは眠っていた。
布団で眠っていた夫は息苦しさで目が覚めた。
ドライアイスの量が多すぎたのと、エアコンをして窓を閉め切っていたため部屋が気密され、恐怖のセルフドライアイス殺人になりかけていたのだ。
ちょうど最近、故人とのお別れのとき棺桶のなかに頭を突っ込まないよう注意喚起が記事になっていた。
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/caution/caution_071/
 
結局、ドライアイスは赤ちゃんを屋外へ持ち出すとき用にして、棺の箱ごと冷蔵庫に入れた。
初めからこれでよかったかもしれない。

赤ちゃんのお葬式というのは私たちにはしっくりこなかった。
葬儀社は入れず、夫が役所へ死産届を出し、自分たちで火葬のみ行うことにした。
小さな火葬場が、小さな赤ちゃんにはぴったりに思えた。
骨が残るかはわからないが、朝一のなるべく低い温度で焼いてくれるとのことだった。
おかげさまで灰の中に、小さいけどまっすぐな脚の骨を見つけることができた。
火葬の前日に買った、分骨用の小さい骨壺に納めてもらった。
仏壇はないが、お香スタンドみたいなやつでお線香をあげるスペースを作った。

心のよりどころ


日本人は宗教に自覚的でないけど、こういう自分ではどうにもならない現実に直面した時、宗教の力が発揮されると思う。
 
夫も私も、ストア派哲学や仏教に都合よく感化された結果、『赤ちゃんは肉体を離れ森羅万象と一体となり、宇宙のどこへでも行きたいところへ行けるようになった』という世界観に落ち着いた。
(アドベンチャータイム~遥か遠い世界へ~のエピソードで、一人宇宙を旅するBMOと赤ちゃんが重なって愛おしくてたまらなくなった。)
 
きっと人間の歴史のこれまで、たくさんの人が胸を引き裂かれる経験をしたときに、宗教を拠り所にしたのだろう。そう思うと、出産も死も普遍的なテーマとして語りつくされているわけだ。

出産前後に、夫がマルクスアウレリウスの自省録を音読してくれていた。
その一説に、死についてこんな感じの記述があった。

死は自然なもので、誰にでも訪れるのだから恐れる必要はない。また、人生という劇が半ば第三幕で幕を閉ざしたとしても、その三幕分の物語がある

元の本が手元になくうろ覚え

私たちの赤ちゃんの人生は、エピソード0で終わってしまったが、確かに存在した。
生まれてくることはなかったけれど、確かにおなかの中にいたし、家族や友達の記憶の中に存在した。
 
短くともずいぶんドラマティックな人生だったね。
脳内補正や強がりと完全分離はできないが、夫も私もこういう気持ちでいられたのが本当に幸せだった。
 
しばらくは当然、気分の浮き沈みもあった。
入院中、赤ちゃんが生きていたときの書類を斜め60°に折ってしまったり、ご飯を食べながら火葬までの遺体の保管方法を調べたりしてしまった。あと広告がキツくてSNSを見れなくなった。感情を無にしながら一つ一つ非表示にしたのも今思えば狂気。
先の予定をみては、ああその頃は本来〇週だったな…と考えたりせず済むようになったのはわりと最近かもしれない。



命は尊い。
直指人心。(お前の心こそが仏。)
朝ドラ「らんまん」主人公の槙野万太郎が第一子を眺めて言った「すべてそなわっちゅう」という言葉の通り。
 
短い人生でこんなにたくさんのことを教えてくれたわが子は、本当に仏のようだ。
これを読んで自慢の息子に思いを寄せてくれた人、本当にありがとう。
読むに堪えないような文をここまで読んでくれたあなたも仏です。
 
ナチュラルハイ気味に走り書いてしまいましたが、
今は今でがんばっていることがあるので、また読んでもらえたら嬉しいです。


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