一生立ち直らない

以前、気持ちの浮き沈みについて、『沈んでいるときは書かない』と書いたけれど、沈んでいるときこそ書いたほうが気持ちの整理にもなるしいいんじゃないかと思えてきたので、絶賛潜水中のいまの気持ちを書くよ。

カメムシくらいで騒いでごめん

退院後、自宅安静を守っているので、たまの買い物以外に出かけていない。
前回の病休期間中、自宅安静を守らなかったことを後悔しているからだ。
自分で言われたことの意味が分からなくても、どんな言葉にも意味がある。
大丈夫と思っていても、特に体についてのことは、馬鹿にせずその言葉どおりにしようと決めたからだ。

仕事を休んでのびのびする才能が自分にはあると思っていた。
実際もう結構休んでいるけれど、まだまだやりたいことはたくさんある。

このまま辞めてしまおうか、でもやっぱり、を延々とさまよった結果、
決めた復職が近づき、のびのびするだけでなく仕事のことについて考える時間が増えてきた。

流産してから、まだ1回もしてないこと、あとは仕事くらいかもしれない。
何食わぬ顔でしれっと復帰したいが、多分無理だろう。

自分に起きたことをしっかり受け止めて前に進めてるな~と思う時と、まだ全然信じられなくて悲しみの中にいるな~というのを繰り返している。

例えば直後は、そうめんを食べただけで「あぁ、こんなにおいしいの、あの子は食べられないんだなあ…」と悲しくなっていた。食べ物に関しては、数をこなすといちいち悲しまなくて済むようになった。

家にある虫が大量発生したので駆除グッズを買って懸命に駆除した。
かたやわざわざ釣りをしたのに、魚がかわいそうで一度釣れたらすぐやめてエサをばらまいて帰ってきた。
トンボや蝶がいると、先祖とか死んだ人の生まれ変わりかと思うのに、カメムシは叫んでスプレーした。
私の「命に貴賤はない」という言葉は嘘か?

赤ちゃん連れやベビー用品の広告をみても何とも思わなくなったが、おそらくおなじくらいの週数だったであろう妊婦のことはまだ直視できない。
でも、生まれてくる赤ちゃんやその家族を祝福したい気持ちは真心だ。

容易でないけど生きていく

それができずに命を終えた子のおかげか、いま沈んでいるからって死にたいとは思わなくなった。
いずれそうは思わなくなるってわかってても、今しんどいもんはしんどい。
しんどい今をなかったことにはできない。
心の穴と向き合って生きているからこその、沈んだ今日だったことを信じて。

心配かけたくなくて「もう大丈夫」とか「立ち直った」なんて絶対言わない。
そのかわりに並大抵じゃない覚悟で生きるよ。
みんなにもそれくらいの大きな傷あったかもしれないのに気づかなくてごめん。
沈むタイミングが重なるとしんどいけど、お互い様だと思って一緒に生きようね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?