期待した気持ちを昇華させるのが難しい
運動会の季節である。
我が家の子どもたちは、運動が特別できるわけでもできないわけでもない。もちろん、こういったイベントでヒーローにはなれない。ささやかな自慢だが、中学生くらいまで短距離ではほぼ負けたことなかった自分からすると、あの、加速する「ギュイーン」って感じを、なぜ出せないのかな?と不思議に思うのだけど、まあそれはそれとして。
息子のサッカーの試合を見ても毎回思う。
実力のほどは分かっているのに、やっぱり、期待してしまうのだ。
そして、期待をすれば、結果が伴わなければ落胆する。そしてその原因を探して怒りをぶつける。この繰り返し。
期待をするのはいいと思う。でも、そこから先のルーチンは、大人としても親としてもまるで良くないとわかっているので、なんで自分はいつもこうなのかなぁと落ち込む。
でね。
期待をするってことは、未来図を見るということなのだ。
ストレングスファインダーでも「未来志向」がトップ5に入るわたし。言われてみれば、いつも、「これをやってうまくいったらこうなれるな」的な楽観的未来を描きがち。でも夢みるだけではなく、その未来図とそこに至るまでの道のりと現状すでにできてしまっている差が分かってしまうのでそのことに焦るタイプ。目標達成に向けて決めたことを割ときっちりやるので、これまでの人生ではプラスに働くことの方が多かった。
でも、自分以外の誰かが主語になると、もどかしくて、苦しくなってしまう。自分の子どもとか、大切な存在であればなおさらだ。
でも、それを相手にぶつけるほど愚かではないので、その気持ちはそっと心の中に留めておく。
そして、期待をしていないふりをする。
期待せず、ただ相手を受け入れることが大事なんでしょ。知ってるんだわそんなこと。
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