見出し画像

濱野ちひろ『聖なるズー』

 はじめに

 今回は、濱野ちひろさんによって書かれたノンフィクション小説『聖なるズー』についての読書メモを書いていきたいと思います。
 この本を知ったきっかけは、僕が追いかけているアーティスト/研究者である長谷川愛さんがこの本の読書会を行なうという情報を聞きつけたことでした。読書会のチケットを買ったものの、論文の執筆のために読む時間もままならず断念…。しかしながら、長谷川愛さんが語ったこの本について読んでおきたいという思いと、本書の内容に触れたいという思いから、本書を読むことにしました。(長谷川愛さんについては、以下の記事にて触れていますので、そちらもよければ。)

概要紹介

 犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく―。2019年第17回開高健ノンフィクション賞受賞。(Google Booksより引用)

動物性愛(zoophilia)とは

 本書では、上記の概要紹介でも触れた、動物性愛(zoophilia)について触れている。しかしながら僕は、動物性愛(zoophilia)について全くの無知だった。僕と同様の人がたくさんいるであろうが、本書に興味を持ってもらうために、少しだけ説明を加えておきたい。

 動物性愛(zoophilia)とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方を指す。(本書 15頁より引用)

 文章を読んでいく中で、上記の「感情的な愛着」というのは、ペットとしての愛着ではなく、対等な愛着だと補足していいだろう。
 また、著者は、一般的に混同されやすい概念として、獣姦(beastility)との違いについても触れている。

 「獣姦」と「動物性愛」は、似て非なるものだ。獣姦動物とセックスすることそのものを指す用語で、ときに暴力的行為も含むとされている。そこに愛があるかどうかは全く関係がない。一方で動物性愛は、心理的な愛着が動物に対してあるかどうかが焦点となる。(本書 16頁より引用)

 つまるところ、一般的に僕たちが単語として知っているような「獣姦」とは違ったものとして、動物性愛というものが存在し、語られているということだ。重ねて言うことになるけれど、僕は、僕たちは、この「動物性愛」という概念について全然知らないのだ。
 因みに、動物性愛者(zoophile)たちは彼ら自身を「ズー」と呼んでいる。本書のタイトルにもなっているが、この本は、ドイツの「ZETA」という「ズー」たちによる団体のメンバーとの交流を通して見えてきたものが語られている。

個人的要約

 彼ら「ズー」は、(特定の)動物に対して、「パーソナリティ」を感じるという。性格、性質を表す「キャラクター」とは違うもので、彼らの過ごした時間とその関係性が、自分と相手のみの特別な関係性のやりとりである「パーソナリティ」を生み出しているという。この「パーソナリティ」は人間同士が互いに生み出すこともあるだろうが、彼らはそれを動物と築き上げるという点でとても興味深い。
 そして、彼らがとても重要にしているのが、彼らと動物との「対等性」である。彼らは相手の動物を、可愛がり世話をする対象「ペット」としては見ていない。彼らにとって対等性を持つ動物たちは「パートナー」であるそうだ。彼らと常にアイコンタクトを取り続けたり、なるべく力関係を生じないようにさせたりすることで、より濃密な時間を過ごし、「対等性」を得るのだろう。
 この「対等性」に関連して著者は以下のように述べている。

 繰り返し私に投げかけられたこの類いの言葉は、私たち人間が動物との境界を所与のものとして設け、動物に対しさまざまなイメージをまとわせながら、その意味を問わないまま放置している状態を示しているように私には思える。(本書 194頁より引用)

 彼らと対置した「僕ら」は、動物のことを「ペット」「食用」というように勝手に決めつける。「ペット」の彼らは、人間に都合のいいように飼育される。「可愛い服を着せる」「人間社会に適応させようとする」「インスタ映えの材料にされる」そして「去勢」。動物の性の側面を奪うことに動物との「対等性」はない、という彼らの考えはとても衝撃的。

解説紹介(石田衣良さん【オトラジ#2】)

 さて、感想を述べたいと思いますがその前に。自身の中で書きたいことは決まっていたんですが、参考のためにと思って他の人の感想や解説を見ようと探したら、なんと石田衣良さんが解説をしてくれていました。本のテーマ的なところからすると、石田さんが解説をするというのは確かに納得できるなぁと(本人も言ってましたが)。そちらの解説については以下にリンクを貼りつけておきますので、気になる方はそちらも参照してみてください。

「センセーショナルな本でただのどぎついだけの本かと思うけど…[中略]…(濱野さんの現在の経歴や内容を踏まえると、ただのノンフィクションではなくて、)研究書なんだよね、信頼感が違う。」(石田衣良【オトラジ#2】より) 

感想 

ということで、感想を少しだけ。この本を読んで考えたことは二つ、1つは動物との向き合い方、そしてもう1つは性やセクシュアリティに関する考え方についてです。

 まず、一つ目、動物との向き合い方について。動物をペットとして飼うことについての価値観が少し変わってしまったような気がします。僕も実家に犬を飼っていますが、彼は本当に幸せなのだろうか。なんだろう、自分たちは飼い主としてどれだけ動物を可愛がっていようとも、彼らにとっての一番は、彼らが動物然としていること、つまり、人間に飼われないことなんじゃないだろうか。もしそうでないとしたら、人間に飼われている中での一番の幸せ、彼らの幸福を考える上で、僕らみたいな一般の飼い主に比べて、何倍も何倍も、彼ら「ズー」の方が動物たちのことを思っているならば、Zoophiliaという愛情の形も自身の中に受け入れていく必要があるんじゃないかなぁと。ただ、気持ち悪いと否定するだけのものではないなぁと感じました。
 ただ、1つだけ注釈をつけるとしたら、石田さんも同様のことをおっしゃっていましたが、「ズー・アクティブ」と呼ばれる人たちのことも知る必要があるなぁと感じます。彼らの行為は、果たして動物性愛であるのか、それとも獣姦なのかというところは留保する必要があるでしょう。

 もう一つは自身の持っている「性」「セクシュアリティ」に関する価値観についてです。この本で書かれていたのは、ある1つの性的偏向の紹介、なんかでは決してありませんでした。この本は「動物とするセックス」を語っていますが、それよりももっと自分の根底にある、「性」「セクシュアリティ」のあり方について考えさせられるものでした。自分が持っているセックスに対する価値観や、そもそもの関わり合いや恋愛に対しての価値観なんかがひっくり返される感覚でした。これについての自分なりの考えは少し省きます。僕も考え直している段階なので。それを考えることができる良書だと思いました。

さいごに

 本書で扱っている内容は、奇なるものではなく、自分への問いかけが詰まったノンフィクションだったと思います。この本について、また、動物性愛について、簡単に答えを出して、無理解に無関係に無責任で終わるのではなく、自分の中でも向き合っていくべき内容でした。多くの方に読んでもらいたいです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?