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選民思想、変わらない価値観とか、自己言及のパラドックス?

選民思想が嫌いだった

選民思想というのは、簡単に言うと「自分たちは選ばれた存在なんだ」という思想のことである。選ばれるのは神とかこの世界とかかもしれないが、特に僕は高校に入った時に感じた。
入試勉強を頑張っていて、地元では1番点数が高いと入れない高校に行くことになった。そして、入学式や学年集会などで時折この雰囲気をもった話を聞かされることがあった。
でもそういう話というのは大体、「選ばれていない存在」というものを見下すようなニュアンスの発言が入ることが多いと思う。
例えば、「君たちは周りにある運動ばっかりやってるバカ高校と違って、勉強頑張ってるんだから幸せになれる」とか「センター入試や2次試験を突破して国立大学生になった人は、私立で3科目しか勉強しない人に比べて偉い」などよく聞いた気がする。
これに非常に嫌悪感を覚えて聞き流せるようになるまで大分時間がかかった。こういう教師の風潮は一部の学生にも伝搬していき、非常に居心地の悪い時期があった。
幸い友達でそのような思想の人はいなく(というかそのような思想の人とは友達になっていない)、逆に友達たちとそういう考えする人間って嫌だよねというふうに、非選民思想的な話をしていた。

非選民思想も同じかも?

非選民思想とは自分を選ばれた存在だと信じないことだと思う。
高校卒業するくらいの時は多分この思想になっていたが、今度は逆に選民思想を持っている人を内心見下していた。
「僕は選民思想なんて考え方はしないで非選民思想こそが正しい考え方であると思う。選民思想持ってる人は劣等種だから関わらんとこ」みたいな感じであった。





でもこれってある意味、非選民思想というものに選ばれたという選民思想だと思ったのが一昨日だった。
だからなんか非選民思想のなかに選民思想が含まれている?と思った。

価値観は時代によって変わる?

「永遠に変わらない価値観なんてない」という言葉がある。これは確かにそうだなあと思っていた。
例えば、女の人は家で家事育児をしなくては行けない→女の人も会社で働いて良いし男が育児をしてもいい
など、その他宗教的なものも色々あると思う。
確かに永遠に変わらない価値観は無いのかもしれないが、「永遠に変わらない価値観なんてない」という価値観はなぜ例外だと言えるのだろうか?
このことを思ったのが1時間前である。

自己言及のパラドックス

このようなタイプのものは自己言及のパラドクスというらしい。
自己言及のパラドックスとは「この文は偽である」というような文のことであり、この文が真だとすると主張から偽となるが、偽となると主張通りであり結果的に真となり、、、という無限ループ的なことである。
今回のものに当てはめると、非選民思想には選民思想的なものが含まれていて、「永遠に変わらない価値観なんてない」というものも価値観であるということである。

つまりこれ系のテーマになったらどっちなのか僕はよく分からない。
自然言語にwell-definedを求めるなとはこの事ですか?

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