ソウハク、緊急手術、自己嫌悪、その後...part.2

paet.1からの続き。

NICUで対面した我が子は・・・

手術後、痛みで目覚めたのは
真っ暗な病室。

どうやらまだ血圧は高いらしい。

そして輸血。

足には医療用マッサージ機器。
腕には注射針。
酸素マスク。

カイザー後の腹が痛い・・・・・

痛くて眠れない。

定期的な看護師の血圧検査。

余計、眠れない。

産休取得に向け会社で引継ぎ業務をこなしていた
昨日までの自分がウソのように
今、病室で痛みに耐え、
整理できないモヤモヤな気持ちを抱えながら
ベッドに横たわっている。

朝になったようだ。

高血圧に影響があるようで、
病室のカーテンは閉じられ、
暗いまま。

異常に明るい様子の看護師さん
「初乳を!」

こんなときは、
看護師のあっけらかんな明るさに
気分が救われたりするものなのだと
気付く。

どうやら
母親が初めて出す母乳には
ものすごい免疫パワーがあるらしい。

「初乳を赤ちゃんに!」

とのことで、
生まれてはじめて、
看護師さんに自分の乳を絞られる。

うっそ!!?

でるの??

クリーム色の液体が自分の乳頭から
じわっと染み出している衝撃

昨日まで出なかったのに・・・
(試すことすらしなかった)

初乳は、小児科の看護師さんによって
赤ちゃんに与えられるらしい。

確か、出産翌日、
赤ちゃんに会えるということで、
ベッドがらストレッチャーに移動し
(切られた腹は激痛)
赤ちゃんが入院する小児科のNICUへ。

赤ちゃんとの対面。

「・・・・・・・・・・・・・」

人間じゃない。
宇宙人のような、こけた茶色。
極小サイズ。

胎児のまま、
外界にでてきてしまった我が子を
ベッドに横たわりながら眺め
絶句・・・

ほんの数日前
自分の腹にいた子は
今、目の前の茶色い小さな物体??

私のイメージしていた
「赤ちゃん」
じゃない・・・

「人間」
になる前の生き物・・・

静かな衝撃。

付き添いの看護師さんが
「がんばってるよ~」
なんていう言葉をかけてくれたような気がする

そこで、
あぁ、生きているんだ
これが我が子なんだ

生きてくれていた喜び
生き延びろという強い思い
を抱いた

と同時に、

透明のガラスケース(閉鎖式保育器)の中で、
センサーやモニターとつながれ
口にはチューブ(器官内挿管)で人工呼吸管理。
手足には注射針にカテーテル

という
非日常すぎる光景に
わたしは、我が子に
なんてかわいそうなことをしてしまったんだろう
というひどい自己嫌悪感。

画像1

辛すぎる搾乳

赤ちゃんとの初対面は、程なくして終わり、
暗闇の病室へ運ばれた。

赤ちゃんが
今生きているという安堵とともに、
死んでしまうかもしれない恐怖が襲ってきた。

ソウハクで大量出血したものの
1-2日でベッドに乗って
移動できるぐらいの状態に回復していた私には
この先待ち受けている未来を
ある程度考えたりできる余裕があった。

死んでしまったらどうしよう・・・

この不安が拭えないまま、
自分の身体は日一日と回復に向かっているようで、
出産後3日ごろには血圧も落ち着いてきていた。

このころには、
起き上がることもでき
車イスを押してもらいながら
小児病棟のNICUにいる
我が子に会いに行くこともできた。

入院中の私の母親としてのはじめの仕事は
自分の乳を絞り出すこと。

ただ、それだけ。

とにかく絞り出す。
搾乳(さくにゅう)というらしい。

はじめは自分でうまくできず、
看護師さんにマッサージしてもらったり
代わりに絞ってもらったり・・・

不思議なもので、
赤ちゃんのことを思いながら搾乳すると
出(で)がよかったりした。

はじめは病室で搾乳し、
看護師さんに預け、
NICUに届けてもらっていた。

歩けるようになってからは
赤ちゃんに母乳やミルクを与える部屋
(呼び名を忘れた)へ行き、
搾乳することになった。

これが、本当に、辛すぎた

産後入院中の他の母親たちと同じ空間。
母親たちのそばには
コットの中で寝たり泣いたりしている
元気そうな赤ちゃん。

私は、一人で黙々と搾乳。

私の赤ちゃんはここにはいない。
NICUで生死をさまよっている。
それでも搾乳はするし、
母親として私にできることはこれだけ。

元気そうな赤ちゃんを連れ、
直母やミルクを我が子に飲ませる
母親たちの様子には耐えられなかった。

母親どうしのコミュニケーションの中に
入る気なんて起こるわけもなく、
数人が同時間帯に重なったときは、
搾乳をさっさと終えて、
一人病室へ戻り、

泣いた。

part.3へ続く

ここまで、お読みくださり
ありがとうございます。

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