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聖書に基づいて四月馬鹿(エイプリルフール)を解説

おはようございます。
今回は太陽暦四月一日の有名な風習である四月馬鹿について述べたいと思います。

先ず、四月馬鹿とは英語でエイプリルフール(騙された人)を意味し、午前中のみ嘘をついて良いとされている風習です。今回はもっとも伝えられている起源から紹介します。四月馬鹿とはそもそも仏蘭西のグレゴリオ暦にちなんで用いられています。仏蘭西では新年を四月一日として祭りを開催していましたが、千五百六十四年に仏蘭西国王シャルル九世によって、一月一日を新年とするグレゴリオ暦が採用されたことにより、反発した人々が四月一日を嘘の新年として従来どおり祝っていたことを馬鹿にされてからかわれた結果、エイプリルフールの風習になったという説です。日本も現在は、太陽暦(グレゴリオ暦)という過去のローマ教皇の名のついた暦が当然のように通用しており、千八百七十二年(明治五年)に太陰太陽暦から強制改暦されたままです。明治五年まで使用されていた太陰太陽暦は月の満ち欠けに基づいており、一日のはじまりを日没からに指定していることからもこちらが聖書どおりの暦であると思います。聖書にはこう書かれているからです。

上記の聖句から一日は日没からはじまり日没で終わること、季節のために月が創造されたことがお分かりいただけたと思います。なので本来は、全人類が聖書暦(太陰太陽暦)で生きなければいけません。聖書暦についてはこちら「太陽暦は悪魔崇拝であり制度」(https://ameblo.jp/leo085/entry-12626400078.html)で詳しく解説しておられます。

上記画像は太陽暦二千二十四年四月の予定表です。聖書暦では新月をひと月の初めとしているので四月九日が月の初めの一日になります。ちょうど四月なので聖書暦では正月に当たるかもしれません。そして四月は十五日後に満月になります。iPhoneをお持ちの方は元々搭載されている天気予報のアプリからも確認できます。その他インターネットサイトでも満月カレンダー等で検索していただくと上記サイトのような他のサイトも見つかります。ぜひ、皆様自身で確認してみてください。聖書暦の割り出しが難しく私自身まだ完璧ではありませんが、月の初めは新月、一日の初めは日没と考えて日々過ごしています。世の中が太陽暦で通っているので、働きながらやとなかなか切り替えが難しかったり今までの癖で夜中の零時で日付が変わる錯覚が抜けなかったり、太陽暦の一月一日が新年ではないと説明するのも大変ですが、過去のローマ教皇が決めた暦ではなく聖書にのみ依拠して聖書暦で生きるためには慣れなければいけないと思います。私たちは神に従うべきであり、ローマ教皇に従うわけにはいけません。ローマ教皇は、自ら「VICARIUS FILII DEI」を自身の正式呼称としています。ラテン語で意味は「神の子の代理人」という意味です。アルファベットを一つずつラテン数字に換算して、足し算をすると六百六十六になります。六百六十六とは聖書に書かれている獣の数字であり、ローマ教皇を指します。聖書にはこう書かれています。

詳しくはこちら「聖書は今後の世界の動向を教えてくれます。後編」(https://ameblo.jp/leo085/entry-12262290041.html)で解説しておられます。現ローマ教皇は教会一致運動世界統一宗教新世界秩序(NWO)等を推進し、全人類を統一しようとしています。創世記に書かれていますが、全地が一つの話し言葉で一つの共通の言葉であった時代、神に反逆して天まで届く塔を建設しようとし、その反逆行為の故に神によって一つの話し言葉をバラバラにされて意思疎通が出来なくなり、建設が未完で終わったバベルの塔の例のようになりかねません。また、このような反逆行為を神は忌み嫌われます。

このように全人類が一つの話し言葉で神に反逆する行為を企てて実行しないように神が介入され、現在は国ごと、地域ごとによって話す言葉が違います。日本も関西と関東では方言によって伝わらないこともあります。それを再度、英語で統一して共通の話し言葉にしようと企むことは神への反逆行為であり、その新世界秩序に反抗せず大人しく従うべきではないと私は思います。このことからもローマ教皇の今後の動向には注視しなければいけません。

そして嘘をつくという行為は聖書で禁じられています。一年の内の一日だけやから嘘をついてもいい、風習やから楽しみたい等の自分本位な感情に任せて嘘をつくのは非常に危険です。聖書にはこう書かれているからです。


上記聖句では偽り(嘘)を言うことについて明確に禁じられており、モーセの十戒にも書かれています。ヨハネの黙示録では火と硫黄の燃える池即ち第二の死とまで書かれています。また、嘘をつくだけではなく、舌を制御することもキリスト者を目指す上で注意しなければいけないと私は思います。ヤコブの手紙にはこう書かれているからです。

心が引き締まる聖句です。私たちは普段から舌や内心でも常に気を付けなければいけません。わたしの周りの人たちは、口を開けば職場の愚痴、人間関係の愚痴、噂話、悪口等悪いことばかり話す人が大半です。幼少期からそうでしたし、今も職場ではこのような会話で溢れています。皆様はどう思われますか。職場、家族、友人等で愚痴ばかり言う人がいると聞くのも精神的に辛いですし、その人に対して良い印象を持てないと思います。なので、そのような人たちは聖書を知らないか、聖書を読んでも実践していないと私は思います。

と、主イエスも仰っています。他にも根拠はありますがこれだけで偽り(嘘)を言うことが聖書では禁じられていること、神が忌み嫌われていること、そして口から出るものが人を汚し、舌が罪を犯す体の器官やと理解できます。なので一年の内のたった一日やったとしても嘘をついて良い日はないと思いませんか。「皆がしてるから」、「楽しいから」、「エイプリルフールで人を騙してやろう」等と考えることも危険です。周りと違ったことをすると陰で悪口を言われたり、態度を変えられたりして他人の目が気になる人は精神的に辛いかもしれません。ですが、人間を怖がるのではなく、主なる神を畏れましょう。皆様は畏れるべき方はどちらやと思われますか。

残された時間はもう長くありません。時間がある内に一人でも多くの方が聖書を手に取って世に期待するのではなく、主イエスに希望を持って日々悔いのないように生きましょう。


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