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光山英明、開業19周年のご挨拶

~長いけど読んでね(ちゃんと更新してます)~

本日11月15日、私、光山英明が東京・吉祥寺で飲食店を開業した日であります。おかげ様で19周年を迎えさせて頂きました。


最初の店は、『わ』という店名にしました。


「みんなで『輪』になりたい!」「関係者誰一人とも凹むことなく、誰かだけがとんがることもなく、丸くならなあかん!」「関わってくれた皆さんに、キチンとした利益を絶対に提供すんねん!」という気持ちから付けた名前です。


それから19年。


私ひとりから始まった「輪」は、お世話になっている、肉屋さん、酒屋さん、プロデュースさせてもらっているお店もいれると約50店舗、そしてスタッフさんの、大きな大きな「輪」になりました。


規模は大きくなりましたが、創業時に掲げた「みんなで『輪』になりたい」という想いは、今もなに一つ変わっていません。


ま、真面目な話を長く書いても面白くないので、創業からの失敗や面白いエピソードを書いていきますね。


自分でもホンマに想うけど、なんもわからんド素人がいきなり開業して、19年ですよ!19年!普通、続かないですよ、奇跡でしかないですわ!


私の今だけを見ると「余裕でやってるやん!」と思われてしまうんやけど、全然そんなことありません。


忘れもしないオープン当日のこと。


西原理恵子姐さんの漫画にも出てますが、その日、大阪から長兄が手伝いにきてくれました。さらには満席になるようにお客さんも連れてきてくれたんですがーー。

兄「アキ、そろそろお米炊く準備したら?」
私 「兄ちゃん、どれくらい用意したらええのん?」
兄「10合で!」
私「・・・10合???」

なんと私は、10合の測り方すら分からんかったんです。

兄「炊飯器はあるんか?」
私「ある」
兄「米を量るカップはあるんか?」
私「ないわ」
兄「ちょっと待っとけ」

そう言うと、兄は近くの米屋からカップをもらって来て、

兄「いいか?これが1合や。これが10個で10合や」

と、教えてくれました。
どないやねんって話ですよね。


それから、なんとか米を研ぎ・・・、水を入れ・・・(もちろんどれだけ入れたらいいかもわかりません)、ようやく米が炊き上がったものの、残念ながら、その日、米は一膳も出ませんでした。


・・・と、そんなスタートだったんです。


それで、余った米をどうしたらいいかもわからんので、保温にしてそのまま帰りました(今、こんなんしたら私にどつき回されますw)。


そんなこんなで開店2日目。
いよいよ私ひとりでの営業が始まりました。


最初のお客さんは、元プロ野球選手の金村義明さんご家族。米の注文が入ったので、昨日の米を出しました(何度でも言いますが、今、こんなんしたら私にどつき回されますからねw)。


すると、開店30分でその米がなくなってしまったんです。本当なら、すぐに米を炊き直さなあかんのですけど、当時の僕には、ジャーを洗って、米を炊き直せるだけの余裕がなかったんで、その日、米は売り切れにすることにしました。


でも、そんなときに限って、米の注文が入るんですよね。


開店して40分――。

お客さん「ご飯ください!」
私「ごめんなさい売り切れです」
お客さん「待ちますよ」
私「ごめんなさい、今の僕には無理です」


って(今これしたらどつきますw)。


そんな事をしてた私が19周年ですよ。


ほかにも「わ」の成功は、「当時珍しかった塩ホルモンで勝負したから」なんて言ってもらうこともありますが、本当は美味しいタレの作り方がわからなくて諦めただけですからねw


こんなんなんで、お客さんから「塩だけでなく、タレも用意しないと売れないと思うよ!」とよく言われてました。


それで「なんで、俺の店やのにお前にそこまで指図されなあかんねん!アホかっ!」と心の中で思ったことを素直に口に出してしまってました


周りの人から見たら、なんとも危なっかしい店やったと思います。まだまだ色んなエピソードが山盛りあるので、それはまた追々・・・w


そんなこんなで19周年目、特にこの1~2年は、どの業界も大変やったと思います。ほんまに厳しい1年でした。


徐々にいろんな制限が解除になって、街中に少しずつお客さんの足も戻りつつありますが、私らの明暗が分かれるのはこれからやと思ってます。解除されたからといって、当たり前のようにお客さんが来店することはないと私は思っています。


これまでお客さんとどう接していたかの通信簿が、これからそれぞれに配られるんやと思います。思うようにお客さんが戻ってこなくて、出鼻をくじかれる店もあると思います。


でも、今さら急に変わったことはできません。


だからといって、諦めたらあかん。気づいた人から行動していくべきやと思います。お客さんが来てくれるのが当たり前ではないことに気づいて、お客さんとの接し方を今すぐに見直すことが大事です。


私はスタッフに「目の前のお客さんにもう一度来てもらえるように接客しなさい」と伝え続けています。


客単価なんてもんはどうでもいいんです。とにかく「また来たい」「友達を連れてきたい」と思ってもらうにはどうしたらええかを考えてもらうようにしています。


そうはいっても特別な裏技はありません。基本的なこと。礼儀礼節です。一番必要なことは基本にしかありませんから。


こんな思いで営業しております。


20年目も引き続き、飲食業界に限らず、「光山と出会って元気になった」「踏み出す方向を間違えんで済んだ」と言ってくれる人が増えたら嬉しいなと思ってます。


みなさま、よろしくお願いいたします。

最後まで読んで頂き有難うございました。



▼吉祥寺に来てから創業あたりのことをインタビューで答えてます。めちゃオモロいですよ。▼


光山英明(みつやま・ひであき)
1970年、大阪市生まれ。個人商店代表取締役社長。小学4年生から硬式野球を始め、上宮高校野球部では主将を務め、甲子園に出場。ベスト8に。卒業後も中央大学野球部に入部、吉祥寺周辺で寮生活。卒業後は大阪に戻り、就職。9年半勤務後、上京し、2002年11月にホルモンと焼酎の店「わ」を開店。2012年11月には「肉山」を開店。予約1年半待ちの人気店に育て上げる。飲食店を開業したり知り合いの相談にも乗り、これまで60店舗以上をプロデュース、そのすべてが繁盛店となっている。

編集:ゆりにこ

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