【小説】始まりと終わりの世界

2018.08.11 ライブの出演に合わせて出したフリーペーパーです。

当時のセトリの一曲からのインスピレーションを受けて。


配信アプリ等での使用・改変等はご自由に。

転載・自作発言・再配布はご遠慮ください。

クレジット(瀬尾時雨)は任意です。

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 私の世界は終わろうとしていた。
 まるで水から飛び出してしまったさかなのように息苦しくて、手や足の感覚はほとんど感じられない。
 体温も私を見放して、これはいよいよなのだと、妙な冷静さで考えた。

 この国が長きに渡る戦に負けてしまったのはつい先程。夜明けの迫る空の下には、まるで朝焼けがそのまま地面におりてきたように赫く凄惨な景色が広がっていた。
 老いた者から若き者まで皆が倒れ臥し、沢山の聲が聞こえ、恐ろしい音が響き――。
 私も夢中だった。必死で剣を振るっていた。この手で何人もの歴史を斬った。
 そして私自身も――今、全てが断ち切られようとしている。

 そっと目を閉じた。皆は大丈夫だろうか。
 安らかに逝けただろうか。
 鼻が血で利かないが、先ほど視界の先に映った炎が、皆を、この国を、安らかなものにしてくれればいい……そう願う。


 その時、声が聞こえた。
 鬨の声でも、呻き声でも、誰かに助けを求める声でもない。
 私に確かにかけられた、小さな声。
 目を開ける。そこには、この国で一番気の小さい少年がいた。
「……お前、生きていたのか」
「わっ……、は、はい。大丈夫、ですか……!?」
 どうやらまだ私が話せることに驚いたようだったが、その声はしっかりしていた。
 少年は今にも泣き出しそうだ。目が少し赤いので、どうやら何度かは耐えきれずに涙が溢れてしまったようだった。瞳にはまだこぼれそう水の幕が張っている。

 私はそっと息を吐いた。
「……あちこちの感覚がない。血も流しすぎている。私は、もう助からない」
「……!」
 瞬間、彼から溢れた絶句。その顔が固まり、そこに耐え留まっていた涙がつと頬を伝った。
 私は続ける。
「お前、見たところ怪我はないね。口も聞けるし物も見える。それから、手足も動くか?」
 なるべく落ち着いた口調で紡いだ質問は、どうやら混乱している彼の脳に届いてくれたらしい。
 ハッとした表情を浮かべ、そして私の質問に頷いて応えた。
「そうか。……他の者達は」
「だっ、ダメです……みんな……みんなもう……」
「……眠ったんだな」
「……っ」
 彼は目をぎゅっと瞑る。ポロポロと雫が大地に落ちた。そうして地面を一度叩き、掠れた声で小さく、はいと言った。
 それで枷が外れたのか、その声は其の侭咽びに変わった。

 私は、視線を彼から空に移した。
 夜明けの空は、私たちの長く苦しかった時を知る由もなく、明るく高く透き通った蒼。
 もし翼というものを持っていたのなら、どこまでも飛んで行けそうな空だった。

 私はそっと声を掛けた。
「お前、死ぬんじゃないよ」
 彼の肩がぴくりと跳ねる。
「自分だけ生き残るなんて、とか、どうして他の誰かじゃなかったんだとか、そんな風に考えるのもなしだ。いいかい、お前が生き残ったのは偶然じゃない。この戦乱の中生き抜いたんだ。きっとこれが宿命だったんだよ。逃げるんじゃない、お前は、この国のみんなの分まで生きていくんだ」
 彼がそっとこちらを見た。
 でも、と小さく発された言葉を遮り、私は笑う。
「未来は、過去の失敗からできるんだ。お前は、この凄惨な戦を糧に、よりよい未来を作っていける一番の存在だと、時代に選ばれたんだろう」
「無理ですよ! 僕なんか、ただがむしゃらに逃げて隠れてただけで、気付いたら今ここにいて、なぜかこうして、騎士団のあなたと話してる……だけなんですよ。こんな、こんな情けない僕には……僕にはできないです……ッ!」
「いいんだ。胸を張れ、前を向け。たくさん笑ってたくさん泣いて、様々なものに触れて、感じてほしい。私たちの、心からの願いだ」
 私は項垂れる彼の頭に手を持ち上げた。
 正直、手の感覚がもうないので、上手く置けているのかわからないのだが。
 それでもゆっくりゆっくりと手を動かし、彼を撫でる。
 と、彼の両手が私の手を取った。
「……騎士様」
「……なんだ」
「僕は」
 ようやく、彼としっかり目が合う。
 その、まっすぐで透き通るはちみつ色の瞳は、まるで太陽のように煌めいていた。
「僕はこんな臆病で、頭もよくないしドンくさいし、騎士様みたいに剣術や体術に長けているわけでもありません。それでも……それでもできると、思いますか……」
 きゅっと引き結ばれた彼の口。まだまだ戸惑いや不安が渦巻いているが、先ほどとは少し、様子が違った。
 私は微笑む。
「それでいい。気が弱くて臆病なのは優しいからだ。ドンくさいなんてとんでもない、それは、丁寧にやっているということだ。知恵や剣術、体術なんかは、然るべき風に鍛錬を積めば出来てしまう。お前だけができることがある。できないことは、他の人と助け合えばいいんだからね。そうやって助け合って生きていける世界があればいいと、私は願っている」
 話している最中、段々視界が靄がかってきた。
 どうやら、そろそろ時間のようだ。
あまりよく見えなかったが、彼はハッとした様子で涙を拭い、深く頷いてくれた。
きっと彼なら大丈夫だ。私たちの分まで生き抜いてくれる。
確信が持てた。
私は彼に告げる。
「さあ、お行き。立ち止まって振り返ってもいい、弱音を吐いてもいい。けど、いつも感謝を忘れず、未来に向かって歩いてゆけば大丈夫だ。一人じゃないからね」
「……はい」
 力強い返事だった。そして、彼はもう一度私の手をぐっと握りこみ、そっと離した。
 もうとうに身体が冷えてしまっていたが、指先にあたたかさがともった気がした。
 そうして彼はそっと立ち上がり、そっとあたりを見回すと、拳をぐっと握った。
「行ってらっしゃい」
 思わず声をかけた私に、
「行ってきます」
 彼は力強く答え、そして走り出した。
 その背中はもう、この国で一番気の小さい少年ではなかった。


 ふわりと心地よい感覚が身体を包んだ。
 空からかかってくる日差しだけが明るい。
 その心地よい感覚に身を任せ、私はゆっくり目を閉じた。

 私の世界は終わろうとしていた。
 そして、新たな世界が動き出そうとしていた。



                        了

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2018.08.11 瀬尾時雨

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