【小説】わたしとアリスと不思議のうさぎ

去年の2月に出演させて頂いたライブで披露したものです。
作詞した曲の解釈を今の私がするとどういうものになるのだろう、という思いで曲にこれを添えました。

配信アプリ等での使用・改変等はご自由に。

転載・自作発言・再配布はご遠慮ください。

クレジット(瀬尾時雨)は任意です。

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わたしとアリスと不思議のうさぎ

 ある日のこと。
 その日も恋に仕事にうまくいかず、とても疲れいたような気がする。 玄関かどこかで力尽きたのか、眠った記憶は全くなかったが、私は夢を見ていた。
 どうして夢だと分かったか。普段とは違う不思議な景色があったからだ。
 見える景色は自分の部屋に似ているが、部屋の壁一面に星空が広がり輝いていること。 部屋の電気はなく、代わりにそこで流れ星のような明かりがくるくると戯れていること。 そして何より、部屋に佇む怪しい一匹のウサギがいること。
「えっと」
 思わず出た声にウサギはニッと笑う。
「やあ、忘れてしまったお嬢さん」
「え、忘れ......?」
 あなたはいったい。急に言われても何のこと? ここは何? 今どういう状況? いろんな言葉が脳裏で渦巻く。
 それが顔に出ていたのか、ウサギは言った。
「まあまあ落ち着いて。君が言わんとすることはわかるから」
 白い毛並みに赤い目、しかしなぜか後ろ足でしっかり立ち上がり、着込んだタキシードが
似合うその姿。
 これってもしかして私の好きな、と思考が巡り始めたところで、彼は次の言葉を発した。
「不思議の国のアリスって知っているかい?」 「も、もちろん!」
 私は反射的に答えた。小さいころから不思議の国のアリスが大好きで愛読してきたのだ。
 大きくなったり小さくなったり。 いろいろなひとびとと話し、森や街や城を行き来して。 自分の正義のもと、女王様にびしっとかっこいいセリフを突き付ける!
 憧れる世界。憧れる女の子。その世界に通ずるあのキャラクターが、夢とは言え今、目の
前にいる。 ウサギはおお〜嬉しいねぇ、と笑うと、少し照れ臭そうに頬を描きながら続けた。
「じゃあ僕のこともわかってくれているってことだぁ! ご存知の通り、僕は導く役目を 果たすためにここに来たのさ」
 えっへんと胸を張るウサギに、私は当初持っていた警戒心を完全に解き、詰め寄った。
「じゃあわたしも不思議の国に行けるってこと?」
 大人になって恥ずかしいが、どうしても高鳴る気持ちには素直になってしまう。
 ゆるむ口角を抑えつつウサギの答えを待っていれば、
「いや、残念だけどきみはその世界のアリスじゃないからね」
 となにやらへんてこな答えが返ってきた。  ダメってことかぁ、と私は落胆する。
「じゃあ、私を導くってどこへ......」
「君は今、何を悩んでるの?」
「ねえ、聞いてる?」
 おいおい。いくら夢とはいえ、状況を読み込めていないままぽんぽん矢継ぎ早に話題を変えられては分からない、と噛みついてみたのだが、ウサギは気にも留めてくれない。
「君は今、何を悩んでるの?」
 その目の赤は深い色だが奥が見えない。私は諦めて口を開いた。
「悩んでるのは何もかも。恋も仕事もうまくいってない。恋は自分から好きになった人と付き合ったことがないから長続きしないし、好きってだんだんわからなくなってる。仕事は上司や同僚とそりが合わなくて、怒られたり誰かの仕事をしてばっかり。先方との取引だって 飲み会だって、誰よりも動いてるのに、疲れるの。何もかも中途半端なの」
 意外と口を開くと出てくるものだ。自嘲的な笑いが漏れる。
ウサギはふむふむ、と少し大げさに相槌を打ちながら聞いていたが、
「それはいけない! 君は間違っている!」
 突如大きく手を広げて見せた。
「何よ。何が間違ってるっていうの? 私が頑張っていないとでもいうの!?」
 かっと頭に血が上った。ウサギは人差し指を横に動かしてチッチッチ~、と可愛く言う。
「それ以前の問題だよね」
「それ以前?」
「考えてごらんよ」
「かんがえる」
 私は思わず言葉を反芻する。しかしそれが何なのか考えても、思い当たる気配はない。黙り込んでいると、ウサギが口を開いた。
「君はなんで生きているの?」
「え?」
 その目はいたずらそうに光っている。
「そんなの......私は私のために、生きてる?」
「じゃあいま、君は実際に自分を歩いているのかな?」
「え?」
 ウサギはぱかっと、胸ポケットの中にある懐中時計を開き中を見る。そのまま目だけをこっちに戻した。
「君は誰かのために人生を歩いているの?」
「それは違う、けど」
「それは不思議の国のアリスだってそうでしょ?」

 パチン、と懐中時計が閉じられた。その音が響いた空間は、少し居心地が悪い。
 うつむく私に、ウサギはまた言葉をよこした。
「君の好きなアリスは、どんなアリス?」
「どんな」
 私はゆっくり言葉を紡ぐ。
 大きくなったり小さくなったり。 いろいろなひとびとと話し、森や街や城を行き来して。 自分の正義のもと、女王様にびしっとかっこいいセリフを突き付ける。
「とっても強い子。絶対あきらめなくて、自分の道を進むの」
「そうだね、君の中に思い描くアリスはそういうかっこいいアリスだ。でも、彼女もそれだ けじゃないよね。」
「え」
「考えたことないかい?」
 ウサギが私に何かを手渡してくる。よく見るとそれは、幼少期から親しんできた文庫本 「不思議の国のアリス」だった。
「そのアリスも、周りから見ると確かに勇敢な少女だ。でも、きっと本人にしてみればきっ ととんでもなく怖かったこともあったんじゃないかって。体が大きくなったり小さくなったり、初めて会う者たちに頼りない情報を聞いて進んだり、とても恐ろしい女王様にたてついたりしたんだ。それって、とっても怖くないかい」
「......うん、うん、そうだね、たしかに。きっとそれって、すごく怖いことだ」
 アリスの本をぺらぺらまくる。挿絵のアリスは確かに、どれも驚いた顔をしている。
「でもね、アリスは最後に怖かった、二度とごめんだ、とは言っていないよね。なんなら、きっとその話をお姉さんに聞いてもらいたいだとか、どこかに記したいだとか、思ったはずだ。彼女は勇気をもって踏み出しだ結果、最高の瞬間を手にしたんだよ」
 私は最後のページを開く。その挿絵には悲観そうな気持は微塵も感じられない。
 ウサギはさて行かなくては、と大げさに腰を伸ばした。わたしは慌てて
「でもわたし、こんなに勇気なんて出せない」
 呼び止めてしまった。なんだかすごく泣きそうだ。情けないなぁと思いながら、引き止めずにはいられなかった。
 ウサギははぁ、とため息をついた。
「そりゃあ、すぐに君の言うアリスになることはできないでしょ。だってこの世界のアリスは君であって、君の中のそのアリスじゃない。だけど、君なりに少しずつ勇気を出すことはできるはずだよ。この懐中時計のように、いつだって時を動かすねじを回すのは君じゃないとできないんだから」
 そして、言い終わるや否や彼はその時計を投げてきた。ぱっと受け取って周りを見渡して も、そこにはウサギの姿はみえない。
「あとは君次第だ。君が生きるこのワンダーランドで、精々頑張ってみることだ」

 ウサギの声だけが響いた。 懐中時計をそっと握りしめる。 途端に、視界がぼんやり暗くなっていく。 そのまま、私は闇に飲み込まれた。


 どうやらちゃんとベッドの上で目が覚めた。
 ちぐはぐで変な夢だったなぁ、とぼんやり考えていると、わたしは枕元にあの懐中時計を みつける。
 一瞬まだ夢かと思ったが、ぼんやり思い出してきた。
 そうだ、昨日は会社の飲み会で泥酔して帰ってきて、お母さんからの手紙にこの懐中時計が入っていたんだ。
 これは確か、昔私がおじいちゃんに買ってもらったものだった。あの頃はきらきらしてい たなぁ。のんびりと実感してくる。
「私なりの」
 私は、ウサギが言ったことをそっと呟いてみた。 なれるだろうか。わたしも、アリスに。
 自問はまだまだ消えそうにない。 しかし、なぜだか心はとても晴れやかだった。
「よっし」
 私は懐中時計を手にし、ベッドを降りた。

―了―

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2019/02/21 瀬尾時雨

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