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会社と仕事が変わることになった話

こんにちは! 猿田信司です。

元妻への怒りで、無事、
うつ病から会社には復帰できました。

しかし、リストラにより、
復帰したところでは、
私の仕事はありませんでした。

上司への電話

実は、東京にいた時から、
両親のために実家近くに帰りたい
という話を上司にはしていました。

ですが、私がうつ病になってしまい、
会社を何か月か休んだことで、
その話は立ち消えになった
と私は思っていました。

しかし、そうではなく、
上司はいろいろ考えてくれていました。


会社に復帰した時、
東京の上司にも連絡しました。

本来なら、会ってお礼を言うべきなんですが、
東京でうつ病になった私は、
トラウマで東京に行けなくなっていました。

転籍と違う仕事

私が、うつ病で休むことになった時、
家に来てくれて、泣いてくれた上司なので、
私の事情はわかってくれていました。

それで、電話で復帰の報告をしたのですが、
その時、実家近くで働くことができる、
グループ会社への転勤を打診されました。

以前、私が話したことを、上司が覚えていてくれて、
上司の知り合いのグループ会社の方に聞いてみたところ、
引き取ってくれるという話になったそうなんです。


ただ、これまで私が20年近くやってきた仕事ではない、
別の仕事になること。

そして、そのグループ会社に転籍という扱いになる
ということでした。


わかりやすく言うと、一旦今の本体の会社を辞めて、
そのグループ会社に入社する、という形です。

そして、本体の会社には、
もう戻れないということでした。

ですが、勤続年数などは通算されるので、
事実上、これまでと変わりない待遇
ということでした。

社長面接

実家近くで働けるのなら、
なんでもいい、まさに渡りに船だと思った私は、
その話に乗ることにしました。

すると、一度あいさつに行ってこい、
と言われ、日時を指定されました。

私は、上司の知り合いの方と会うのかな、
と思っていましたので、軽くOKしました。

しかし、そうではなかったんです。


言われた日時に、グループ会社に伺うと、
会議室に通されました。

しばらく待つと、かなりえらい方なんだろうな、
と思われるおじさんが、会議室に入ってきました。

話を聞いてみると、その人は、
グループ会社の社長でした。

あいさつではなく、社長面接だったんです!!


その社長は、グループ会社を立ち上げ、
10年ほど会社を引っ張ってきた敏腕社長で、
一般社員は、普段話す機会もない方でした。

私自身、この時以降、会うことがなかったです。


どうやら、本体から送られてきた私が、
どんな人間なのかを見極めに来たようでした。

一時間ほど、いろいろな話をしました。

研修を受けてから

社長がおっしゃっていたのは、その新しい仕事は、
今は一人だけで、人が足りないそうで、
本体の会社で新しい仕事を一年間勉強してきてくれ、
と言われました。

本体の会社でいうと、その新しい仕事場は、
神奈川にあって、4月から一年間はそこで研修がてら、
新しい仕事を学んで来い、ということです。

グループ会社への転籍は、
その一年間の研修期間が終わったあと、
ということになりました。

どうも、社長の意図としては、
「本体とのコネを作ってこい」
というのがあったんだと思います。


正直なところ、うつ病のトラウマで、
関東には行きたくなかったんですが、
実家近くで働くためにも、
断れるわけもありませんでした。

その日は、私の上司になる予定の方とも会い、
挨拶だけはしました。

なんとか、社長面接は超えたようです。

一年間の単身赴任

そこからはバタバタでした。

当時の私は、一応まだ結婚している形になっていたので、
単身赴任という形で、研修に行くことになりました。

そのおかげで、本来は課長以上しか入れない、
個室の単身赴任寮にも、
平社員の私が入れることになりました。


おっさんになって、全くやったことのない仕事を、
一から覚えるという厳しい状況でしたが、
実家近くに住むために、私は一年間がんばりました。

一年間という短い期間ではありましたが、
ある程度、仕事を覚え、一年後無事に
グループ会社へ転籍しました。


正直に言うと、
好きな仕事ではなかったのですが、
会社に残りつつ、実家近くに住むために
その時は仕方なかったと思います。

そのおかげで、両親の死に、立ち会うこともできましたし、
うつ病になった私に、こんないい条件を与えてくれた
会社には、今でも本当に感謝しています。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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