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子供のころ人差し指にやけどした私

こんにちは! 猿田信司です。

私が小学5年生のとき、授業の一環で、
授業中に強制的に何かのクラブ活動をする、
という授業がありました。

何をするかは、自分で選んでもいいけど、
必ず何かのクラブに入らないといけない
というものでした。

科学クラブ

いくつかあるクラブで、
科学クラブというのがありました。

なんだか、難しそうに感じますよね。

ですが、その実態は、アルコールランプ、ビーカー
といった科学の授業で使うような道具を使って、
ポテトチップスを作ったりする、
実質お菓子を作るクラブでした。

授業中に、お菓子を作って食べられる!

私は、その科学クラブに入ることにしました。

べっこう飴を作ることに

ポテトチップスを作ったり、
チョコレートを溶かして型に入れたりと、
いろんなお菓子を作りました。

私は、料理なんかしたことなかったので、
周りの人に教わりながら、
いろいろやりました。


そのうち、べっこう飴を作ることになりました。

お祭りの出店でよくある、
棒に刺さった黄金色の飴です。

砂糖と水を煮詰めるだけなので、
作るのは簡単でした。

アルコールランプに点火し、
ビーカーに砂糖と水を入れ、
ガラス棒で焦がさないようにかき混ぜながら、
煮詰めていきました。

ここまでは良かったんです。

人差し指に熱したべっこう飴が

煮詰めていくうちに、黄金色になり、
さらにちょっと色が濃くなってくるぐらい煮詰めました。

いよいよ、型に流し込もうと、
ビーカーを持ち上げようとしました。

一応、タオルで包んでいたんですが、
それでもやっぱり熱い。

「熱っ!」

ちょっとだけビーカーが傾き、
中身のアツアツのべっこう飴が
少しこぼれてしまいました。

最悪なことに、そのこぼれたべっこう飴が、
私の右手の人差し指の上に落ちてしまいました。

「熱------い!!!!!」

左手で飴をはがそうと思いましたが、
ドロドロ状態なので、出来ません。


慌てて水場に行って、流水で飴を冷やし、
固まったところではがしました。

めちゃめちゃ、指は熱かったです。

その後も、ずっと流水で指を冷やしていましたが、
時すでに遅し。

めちゃめちゃ痛いし、
指に大きな水ぶくれが出来ていました。

やけど特有の激痛です。


保健室で診てもらいましたが、
治療しようがないと言われ、
ただただ痛みを我慢するしか
ありませんでした。

水ぶくれをつぶしていました

やけどしてから数日たって、
痛みは治まってきましたが、
水ぶくれは治る気配がありませんでした。

もう、水ぶくれが、気になって仕方がありません。


一週間ほど経って、痛みは無くなりましたが、
水ぶくれは相変わらずです。

水ぶくれが気になって仕方ない私は、
裁縫の針を、水ぶくれに刺して、
中身を出して、水膨れをつぶしました。

水ぶくれの皮は、針を刺しても、
何も感じないことに気づきました。


そうして、一旦水ぶくれは潰れたんですが、
数日たつと、また水がたまり、ふくれてきました。

またふくれた水ぶくれに、針を刺して中身を出す。

そしてまた、ふくれる。

そんなことを繰り返していました。

水ぶくれの皮が

そうするうちに、水ぶくれのところの皮が、
だんだんブ厚くなってきました。

針で刺しても、中身が出てこないくらいに。

そうすると、今度はカッターでちょっと切って、
中身の水を出す、というようなことまでしました。

なんかちょっと、楽しくなってきていました。

そんなことをしていたせいで、
水ぶくれが治ったころには、
水ぶくれのところの皮が、
カッチカチになっていました。


このカッチカチになった指の皮は、
今でもカッチカチです。

やけどの痕だけ、指の皮が分厚くなっていて、
無意識にいじっていると、
今でもまた水ぶくれができたりします。

やけどの水ぶくれは潰さないようにしましょう。

潰していると私みたいになりますよ。


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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