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子供の頃、町内会のソフトボール大会がイヤだった私

こんにちは! 猿田信司です。

今でもあるのかどうか、わかりませんが、
私が小学校高学年くらいの子供の頃は、
「町内会」というのがありました。

そして、その「町内会」の子供だけで、
ソフトボール大会が行われていました。


私は、子供のころから、運動音痴で、
球技も全般的に苦手です。

ですから、ソフトボールなんて、
私は絶対やりたくなかったんですが、
ほぼ強制的にチームに入れられてしまいました。

なぜか喜んでいた父

普段、おもちゃなんて、全然買ってくれない父が、
なぜか、グローブ、金属バットといった、
ソフトボールの道具を買ってくれました。

父は、毎晩、プロ野球を見ながら、
晩酌していたくらい、野球好きだったので、
私がソフトボールをするのが、
うれしかったんでしょうね。


ですが、やりたくない私にとっては、
ありがた迷惑でした。

いざ練習

いざ、練習が始まりました。

近くに住んでる小学生の子供なので、
みんな同い年というわけでもなく、
結構年齢差はあり、私は一番年下でした。


実際にやってみると、私にはソフトボールが大きすぎて
捕球もできないし、打つ方もバットを振っても、
かすりもしません。

私は、体育の授業もイヤなくらいでしたから、
運動センスが、絶望的に無いのでしょう。

単なるお荷物でした。


しかし、人数的に全員出ないといけなかったので、
私も試合に出ないといけませんでした。

そこで、守備位置はライト、打順は8番、
俗に言う「ライパチ」と言われる
一番下手な人がやるポジションになりました。

見かねた父が

一番、私が困ったのが、
ソフトボールを捕れないことでした。

捕球しようと、グローブの中に入っても、
手を閉じる前に、ソフトボールが
出ていってしまうんです。

練習といっても、週に一回くらいで
そんなに長時間練習するわけでもないので、
私は全然上達せず、ボールが捕れないままでした。


父が、時々練習を見に来ていて、
私の絶望的な運動センスを見かねたのか、
平日の夕方、「近くの神社でキャッチボールしよう」
と言ってくれました。

父の仕事が終わったあと、
誰もいない夕方の神社で、
キャッチボールです。

最初は、普通のキャッチボールでしたが、
父がボールを高く投げて、フライを捕る練習
ボールを転がして、ゴロを捕る練習
といったことをしていました。


練習しているうちに、
右手をグローブにそえるようにすると、
ラクに捕れることに気づきました。

上手い人は、片手で捕っていましたが、
私は、練習しても片手で捕れるよう
にはなりませんでした。

父との思い出

父も、仕事で疲れていただろうに、
毎日毎日、私の練習に付き合ってくれていました。

父は強面で、叩かれたりとかは無かったのですが、
子供心に怖くて、少し距離を感じていました。


それまで、こうやって父と二人きりで何かをする、
ということがなかったので、
私は、とてもうれしかったです。

今でも、野球やソフトボールは好きじゃないですが、
あの時、父と二人でしていたキャッチボールは
きれいな夕焼けの空も含めて、大好きでした。


父とのキャッチボールは、中学生になって、
ソフトボール大会に出なくて良くなるまで続きました。

今日は、父の月命日だったからか、
急に、父との思い出を思い出しました。

もう、直接感謝を伝えることはできませんが、
心の中で感謝します。

「親父、ありがとう!!」


最後までお読みくださり、
ありがとうございました。

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