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Nという写真家

2024/2/24に竹橋にある東京国立近代美術館へ、中平卓馬回顧展「中平卓馬 火ー氾濫」展を観に行った。

最後のセクションでモニタに映る中平さんを見「そうそう。いつもこんな感じだったよな」と、出会った頃からの事を思い出していた。


ここで書いていく最初の写真家を誰にしようと悩んでいたのだけれど、回顧展が開催されている今だからこそ、振り返るにはタイミングも良いし、何より自分に色々な変化をもたらせてくれた写真家としては一番存在が大きいから、少しだけ最初に触れておこう。

今まで一度だけ写真展で彼に関係した内容の写真を展示したことがある。
それは、横浜での撮影行為の際に以前からよく寄っていたらしい珈琲屋のドアを撮ったものだ。

その展示と共に掲載したキャプションを以下に掲載する。


デュ・アイの扉 2011年撮影
デュ・アイの扉 2011年撮影

悲しい嘘

「こっちは......」
「今日はお休みなんですって」
「ああ、そう」
「また今度行きましょうね」
「そうね」

ちょっと早めの夕食を採るために移動しているときの、たわいのない会話。 彼が行こうとした店に入る事は二度と無いだろう。そしてまた今度その店の近くを通りかかっても、彼には同じように説明するしかない。
N氏、そしていつもN氏に同行しているS氏の二人に付いてその店に入ったのは 2010 年の夏。
ママさんは二人との久し振りの再会を喜んでいた。

「ちょっと倒れちゃってさ、緊急入院してたのよ」

二人にそう言ったあと、今度はこちらを向き、
「N先生に付くなんて大変よ〜? でもね、凄い人だから。頑張ってね!」
と声をかけてくれ、帰りがけには
「今度来た時は写真見せてね」
と送り出してくれた。

しかし次にその店に訪れた時、電気は消え、「この度都合により長期休暇を~○○中旬まで~」との張り紙があった。 その日はとうに過ぎている。後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。

年が明けてから一ヶ月半ほどして、我々はまたその店を訪れた。そこには大きな「都合に依り暫くの間休ませて頂きます」の貼り紙が。 別の店の方が近付いてきて、「彼女が病に倒れ、今度は復帰出来ない」と告げた。

だが、とある病が進行していたN氏は其の事を理解出来ず、一刻も早く撮影行為に戻りたがっていた。

次にその店のあるビルの前を通ったのは秋。N氏はお店へ続く階段を降りようとする。しかし店舗一覧に「デュ・アイ」の文字は無い。

「先生、今日は向こうのファミレスに行きましょう」
「こっちは......」


いつかブログに、と書き始めた当時には思いもしなかったが、2012 年の初夏にN氏は体調を崩し、複数の入退院の末、一昨年この世を去った。

今回の企画が発表になった時、この文章と写真を発表するに相応しい企画展は他にはないだろうと思い、思い出と向き合い文章を書き上げた。 今回の企画を立ち上げてくださった Nadar の皆様と本展の参加者、そしてご覧頂いた方に厚く御礼申し上げます。
この作品を、一度しか会えなかった「デュ・アイ」のママさん、私の人生を変えたN氏、そして私が出会う前からN氏と行動を共にし、そして氏の亡くなった後もN氏の家族を献身的に支えているS氏に捧げます。

2017年 ナダール公募展 「珈琲の時間・お酒の時間」展示キャプションより

展示当時、「Nとは誰だ」と訊く人が多かった。展示参加者での懇親会でも訊かれたが、結局公表することはなかった(唯一話したのはナダールスタッフの早苗さんだけ)のは、あくまでもプライベートな内容のため、それを話したところで何になると思っていた。
今でもこれを書くのが正解かどうかはわからない。

喫茶店「デュ・アイ」の入り口の前で撮影した、店のに入ろうとする中平卓馬。店の中には既にS氏が入っている。
デュ・アイに入ろうとする中平。奥にはS氏。2010年撮影。

ただ、そういう繋がりがNつまり中平卓馬と自分との間にあったことだけは偽りようのない真実だし、それはなんとも不思議な、偶然のようで必然的な縁から始まったので、まず最初にここに書くことにした。

中平さんとの出会いや他の沢山の思い出は、またいつか書くと思う。

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