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津軽三味線 偉人伝 #2 白川軍八郎

津軽三味線の神様 初代 白川軍八郎

  • 出生は?                 白川軍八郎 明治42年(1909)~昭和37年(1962)は青森県 金木町出身で昭和時代に活躍

  • どんな人?                4歳の時に麻疹で目が見えなくなった。           9歳で近所の仁太坊に三味線を含む、楽器を習った。                  当時、三味線は唄の伴奏とすることが基本だったが、イントロ部分である「前弾き」の演奏時間を徐々に長くしていくことで、三味線の演奏だけで芸として成り立たせる「曲弾き」を完成させる。        

  • エピソード                天賦の才があり3年で師匠を凌いだといわれる。研究熱心で、新たなフレーズや様々な奏法を生み出すが、難解で周囲の人が真似出来ないものも多く、同じ一座に所属した、のちの津軽三味線の名手 木田林松栄を持ってしても、技を盗むことは出来なかったほど。その技術、人気が相まって「津軽三味線の神様」と呼ばれた。                   結核を患っており、札幌巡業中に53歳の若さで亡くなった。               現在においても実力、功績は高く評価され続けており、津軽三味線奏者であるキング オブ 津軽三味線 木乃下真市も、林松栄とともに白川軍八郎を目標とする奏者に挙げている。

  • 師弟関係                 師匠:仁太坊               弟子:澤田勝秋                                          藤田淳一                                   2代目 白川軍八郎

  • 作品関連                 軍八郎の津軽じょんがら節(新節)は現在の津軽じょんがら節(曲弾)の原型と言っても過言では無い。1の糸の叩きで始まり、2の糸・3の糸の低音で軽やかなフレーズを入れ、1の糸に戻ってくる。その後、再び3の糸を利用し高音へと繋げ、儚く弱く聴かせる音色を挟み、最後にかましを用いて一気に盛り上げて、捨て撥で占める。曲の流れだけでなく、そのフレーズさえも現在の奏者に取り入れられている点からも軍八郎がいかに秀でた存在であったかが伺える。

参考文献
津軽三味線 まんだら(松木宏泰 著)

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