『日月時男のひきこもり日記』の推理3 ——時男の正体——

前回、前々回の記事に続く、『日月時男のひきこもり日記』の推理考察記事です。

前々回の記事↓

前回の記事↓

前回の補足

日月家は大所帯ということを書きましたが、物語現在の時点ではそんなこともないのかもしれません。伊智子がこんなことを言っていました。

昔はとても賑やかだったのよ。執事やメイドやフットマンが総勢30人はいて、しかもほとんど全員住み込み、一日中忙しく働いていたの。それが今は花さん一人でお掃除もお洗濯もお料理も……。

11月16日 『ノックにびびる日々』

この30人は外部の雇われではなく、日月家の皆さんだったとすると自説に都合がよいです。その上で、なんらかの理由で次代の子供が作れなくなった時代の物語が『日月時男』なのでしょう。

偽時男=日月家の人間は他にいないのではという疑惑が出てきちゃいました。が、とりあえず、この問題は保留して、時男が伊智子に内緒で家族を一人匿っていたということで話を進めましょう。入れ替わり以降、時男が自分自身を匿っているのだから人間1人を隠すこと自体は可能なはずです。

あるいは伊智子が時男に性交を迫るために「この家には男は一人しかいない」と思わせようとしているゆえの発言としてもよいでしょう。

(すみません。この一連の記事は本文全文を読み直した上で書いているわけではなく、自分の記憶のなかの物語としか照らし合わせていません。他にもいろいろ矛盾する部分があると思います)

時男の正体

今回は時男の正体を考えてみたいと思います。

前回も少し書きましたが、作者が設定した解を導きたいわけではなく、おおよそ矛盾ない範囲で自分が納得できる解を探し出せればよいと思っています。

理想としては理詰めで時男=時士郎という結論にたどり着きたいです。しかし正直そこまでの域には達しておりません。「そうだったら面白い。そうだったら渡辺作品っぽい」。そんな考えのもと牽強付会にたどり着いたものであることはご容赦ください。

時士郎についての記述を探してみます。

本当にお父さんそっくり/ねぇあなた……/時士郎さん

11月18日 『奇行』

あの日あの空襲の夜あなたは私を助けようとした。あなたはバカだったわ。私ひとりだけ生き残ってもそれは生きていることにはならないのに

11月18日 『奇行』

トキシロウさんトキシロウさんトキシロウさん/お兄ちゃん

11月18日 『奇行』

単純に読み解くならば

  • 時男の父は時士郎(=トキシロウ)

  • 時士郎は空襲で伊智子を助けようとして死んだ

  • 時士郎は伊智子の兄

となるでしょう。

三つ目の「時士郎は伊智子の兄」は、前提とされている「伊智子は時男の母」と衝突して少しおかしなことになります。時男の親が兄妹なの? と。

この点は物語が進むにつれ近親相姦で、子供を作っているとされていたのでロジックとしては解決されたものです。倫理的にはヤバイ。

気になるのは時士郎は空襲で死んだとされていること。日本人が普通に読み解けば、第二次大戦の空襲で死んだと読むでしょう。

『日月時男』の時代設定がどうなっているかというと、実は明言されておりません。

ブログはあるのだからインターネット誕生後。真っ暗な階段を降りるのにケータイの液晶の光を頼りにする(現代のスマホだったらライト機能がついてますよね)。

これらと物語が毎日更新されていたことを考えると、単純に連載時期=作内の時代設定と考えるのが妥当だと思います。

(ちなみに我々が見ていたブログには「2007年11月01日(Thu)」と年号つきの日付も書かれていましたが、これは少年アルケミストのブログのシステム上表記されるものでした。各ブログ記事のタイトルは「11月1日 『ショック! 過去ログ消失……』」となっており、年号表記されていなかったのです)

『日月時男』は2007年11月1日から2008年1月29日に発表された物語です。第二次大戦は1945年に終結したので、終戦以前に死んだ時士郎が2007年に生きている時男の父だとはなかなか考えづらい。

時男はキャラ紹介では24歳になっているので1983年くらいの生まれじゃないといけません。1945年に時士郎のパートナー♀のお腹に子供がいたとしても2007年時点では62才。この62才の方の孫か子供でないと1983年の生まれにはなれなそうですね。

もちろん第二次大戦ではなくて、湾岸戦争での出来事だったとかにしてもかまいません。でもここでは第二次大戦だとしても矛盾を抜けられる方法を考えてみたいと思います。

つまりは「死んだけど生き続けていた」という事実を成り立たせればよいことになります。あるいは「死んだけど生き返った」とか。

ということを考えながら歩いていたら私は閃きました!! マジで閃きなので、思考の途中経過を書けません。結論だけ書きます。

日月家の皆さんはDNAが一緒です。ということは個人個人を区別するのはそれぞれの記憶だけです。もちろん肉体年齢もありますけど、当主=「彼女」が脳移植で若返る一族なのでさほど問題にされていないんじゃないでしょうか。

(このあと進めたい論旨的には「記憶」という語を選ぶのはちょっとキビシイのです。ただ、『死ぬこわ』序盤で特定個人の構成要素を「肉体と記憶」として扱っていたので、ここでは記憶とします)

つまり記憶が失われてしまったなら、日月家的にはその人は死んだ扱いになるのではないでしょうか。空襲の際に時士郎が頭を打って記憶喪失になっていたらどうでしょう。

記憶喪失となり、時士郎は「死にました」。とはいうものの記憶喪失は回復することもある。ならば、伊智子は時士郎の脳が入った肉体を大事に扱うでしょう。

この記憶喪失の時士郎が「彼女」と同じように脳移植によって世代を越えて生き長らえていたなら。時男の父親になることも可能だと考えます。

そして時男の身体が脳移植に耐えられる年齢になった頃、時士郎の脳は時男の体に移植されたのです。

これで、「時士郎は時男の父」、「時士郎は空襲で死んだ」を成り立たせることができます。

代々女性が当主だったとされるほど、女性が強い日月家ですが、時士郎は伊智子に「私ひとりだけ生き残ってもそれは生きていることにはならないのに」とまで言わせる男です。彼が脳移植を受けられてもおかしくはないでしょう。

もしくは逆に何百年も脳移植を受け続け、寄り添ってきた二人だったからこそ、伊智子にそこまで言わせる関係だったのかもしれません。

予想外に文字数が多くなったので、今日はここまで。

次回、時男と時男の記憶編に続く予定。

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