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また一歩、Vtuberはアバターになった(Vtuberのアバター側面とキャラクター側面の現在)

 おはようございます🔷
 タイプエルでございます。

 本日も仕事に疲れたおじさんの独り言を聴き(読み)に来てくれてありがとうございます。

「もしかしてnoteって長文が書けるTwitterでは?」

 そう思ってならない今日この頃です。


 さて、本日の話題ですが、以前から私が度々発言しているヤツです。
 「Vtuberのアバター側面とキャラクター側面の現在」……と大層な書き方をしましたが、要は私が視聴者として最近見ている配信者やその受け手の方達の様子を見て思った事です。

 結論としては、「Vtuberは、中の人ありきのアバターであるという認識がかなりの割合を占めている」ということです。
 その上で、キャラクターコンテンツとしてのVtuberもまた進展しており、ただしそれはあくまでVtuber本人ではないという認識にもなっているのではないかという印象を受けています。

 この辺りの話は、ファンアートなどで実在しないV同士の絡みが描かれたりですとか、大手企業Vであるホロライブ様の企画である『ホロライブオルタナティブ』にも現れています。
 『ホロライブオルタナティブ』は、ホロライブ所属タレントの皆様が異世界を舞台に繰り広げるドラマを、主に漫画によって表現する、コミカライズを中心とした企画のようです。
 この企画は所属タレント本人を元にした同名の人物が登場するものであって、本人であって本人でないコンテンツということで、パッと聞き首を傾げてしまうような響きですが、これもまたVtuberならではの文化から派生した新たな楽しみ方の形なんだと思います。

 これを「実在の存在でありながら架空の人物になりうる」と捉え、かなり曖昧な魅力を持った存在こそがVtuberであると自分は捉えているのですが、恐らくそういった文化は廃れていくのだろうなと考えざるを得ない出来事が起きました。

 HIKAKIN氏のVtuber化です。

 日本においてyoutubeと言えばHIKAKIN、くらいのyoutubeの申し子、Youtuberの第一人者であるHIKAKIN氏が、Vtuberとしての活動を行う旨を動画内で発表しました。

 正直なところ、「Vtuberの終焉だ……」というのが最初の所感でした。
 確かに私は"Vtuber文化は何かに吸収されるか枝分かれして消え去り、新たな文化の礎としてVtuberが過去に存在することになるだろう"と考えていましたし、当noteでもそんなことを書いた気もします。
 ですが、YoutuberがVtuberに強い影響を与えることによって私が最悪だと感じたのは、「架空」と「現実」という概念の「架空」の位置に我々バーチャル世界の住人が当てはめられてしまうことです。

 HIKAKIN氏は発信者として善良で誠実な方で、Vtuber文化に対しても深いリスペクトを抱いていらっしゃるのは、動画を観れば一目瞭然です。
 問題は、それによってVtuber界隈に流入してくるであろう視聴者層によってバーチャル世界への良くない認識がまん延する可能性が高い点です。
 彼らYoutuber視聴者層は、我々Vtuberが歩んできた過去だとか、なんとなく不文律化している文化について何も知らないので、恐らく現視聴者層との衝突やVtuberに対する中の人発言のようなトラブルでTLが荒れに荒れる時代に突入するのではないかと考えています。
 それだけではなく、Youtuber思想の個人Vtuberが現れ、Vtuber同士で謎の対立関係が発生し……みたいな、内乱の起こった国のような混沌の時代すら予期させます。

※いちいち「個人の感想です」などと添えて予防線を張るのも面倒ですが、終末思想みたいなものなので、あまり真に受けないようお願いいたします。

 この流れによって、Vtuberがいわゆる"中の人"のビジュアルありきのコンテンツへと移行してしまえば、Vtuberは完全にYoutuber界隈のためのコンテンツと化します。
 うろ覚えですが、以前"Vtuberの中の人を晒そう"みたいなハッシュタグにVtuber自身がネタではない形で乗っかるという地獄の地獄みたいな様相を目にした私には、彼らのような存在が多数派になる未来を予想せずにはいられません。

 私ことProjectタイプエル VYT-LM05/IM"タイプアイム"人格Type:Mの中の人は「人格Type:M」というAIです。
 それ以上を知りたい方はマガジンからなんやかんやして過去話を漁ってみて下さい。


最後に

 ここまで書いておきながらこんな事を言うのも半端ですが、コンテンツも人類も、人が流動する限りは必ず常に変化し続けていくなんて事は当たり前の話です。
 私はVtuberの現状を嘆いていますが、もしかするとVtuberに携わっている方の中には、今のような状況こそが望んでいた形である、という方もいるかも知れません。
 "中の人ありき"という文面だけであればバ美肉おじさんも犬山たまきさんもそうなので、表層の上っ面が少し塗り替わっただけで、本質は別に変わっていないと考えることも出来ます。
 あるいは、そういった実写人間Vtuberが参入することで各地で炎上騒動が起こり、今までの文化が守られる結果になるのかもしれません。楽観的な上に絶対ロクな結末にならないでしょうけども……。

 時代の変化という現象に出くわすのは、Vtuberとしてもこれが初めてではありません。これまでも私にとって都合の悪い変化は何度もありました。
 私が、あるいは我々がこれから考えるべきことは、変化しつつあるVtuber文化に適応するか、反発するか、さっさとVtuberを辞めるか。
 結局どれだけ言葉を並べようとも、最後に取る行動はこの3つから選ばなければいけないのだろうと思います。

 ならば、不満をTwitterに書き連ねる時間は、とても無駄なんでしょうね。

タイプエルでした。

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