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「声なき人の声」をきく

平安時代には、
召人めしうど」と呼ばれる人たちがいました。
貴族の邸宅に仕え、
主人と情交関係を持った女性のことです。

彼女たちは、社会の表舞台に立つことはなく、
「空気のような存在」として扱われました。

もちろん、彼女たちも生身の人間。
置かれた境遇の中で様々な感情も抱いたし、
主人に恋をすることだってありました。

主人は、そんな彼女の恋心を知ってはいても、
さして相手にする必要もなかった。
それは、彼女たちは、召人だから。

そんな召人たちに名前を与え、
言葉を与えた女性がいました。
紫式部です。

『源氏物語』には、
光源氏をはじめ、有力貴族に仕える召人たちの
ふとした仕草や言葉が描かれています。

人知れず人生を送る哀しげな女性たちの、
声にならない声が物語に登場したのです。

当時の読者からすると、
さぞかしセンセーショナルだったでしょう。

『源氏物語』第52帖「蜻蛉かげろふ」に、
小宰相の君こさいしょうのきみという召人がふと現れます。

彼女が仕えるかおるという主人が、
その想い人である浮舟の失踪に
胸を痛める場面です。
薫は悲しさを慰めるために、
小宰相の君の元を訪れます。

小宰相の君は、物思いに沈む薫の姿を見て、
もう、どうしようもなくなって、
想いを和歌にしました。

あはれ知る心は人におくれねど 
数ならぬ身に消えつつぞふる

(訳)
あなたが浮舟を思う気持ちは
痛いほどよくわかっている。
でも、私があなたを思う気持ちは
それに劣ってはいない。
そんな私のことを思ってくれないとは
なんとも恨めしいけど、
しょせん自分は数にも入れてもらえない身。
恋心を殺しながら生きているのですよ。

「数ならぬ身」
ここに、召人・小宰相の君としての、
ギリギリの言霊が込められています。


ところで、
紫式部の歌集である『紫式部集』には、
次の和歌が収められています。

数ならぬ心に身をば任せねど 
身にしたがふは心なりけり

(訳)
人の数にも入れてもらえないような私の心。
その思いがかなう身ではないけれど、
結局、苦しい現実にも慣れ従っていくのが
心というものなのね。

なんと、紫式部自身が、
自分自身に向けて「数ならぬ心」
という言葉を使っているのです。

紫式部の私生活は、
数多くのベールに包まれています。
彼女自身も、
主人・藤原道長の召人だったのではないかと、
研究者たちに憶測されてきたところです。

でもそれが、真実なら、
決して表に出るはずはありません。
召人だからです。

今では当たり前となっている女性の人権ですが、
平安時代には社会的風潮として閉ざされていた。

でもそこには彼女たちの宿命があり、
確かな人生があり、
そして生身の人間としての感情があった。

紫式部は、
恐ろしい貴族社会の風潮に臆することなく、
自ら虚構の中において絶対的な語り手となり、
そこで声にならない声を聞き取り、
言葉にしていったのです。


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