見出し画像

楽しむ想いから生まれる「インディーズ空間」──"バーチャル空間"の"現在"(sabakichi × FUKUKOZY)

今回のテーマは、「バーチャル空間」。
「メタバース」という言葉がバズワード化し、Facebook社がメタバース事業展開のため社名を「Meta」に改名するなど、バーチャルの世界はいま、多方面から注目されています。

メタバースにはいろいろな要素がありますが、VRChatなどのソーシャルVRを語る上で欠かすことのできないのが「ワールド」と呼ばれる3DCGでつくられたバーチャル上の空間です。

そこで今回は、現実世界での建築や空間設計への造詣が深く、VRChat内で開催された「第0回VR建築コンテスト」やバーチャル空間のコンテスト「VRAA01」および「VRAA02」のコアメンバーでもある、sabakichiさんとFUKUKOZYさんに「バーチャル空間」についてのお話を伺いました。

sabakichi: Experience Designer, Design Researcher, Visual Artist
1986年生まれ。アトリエ系デザイン事務所に数年勤めたのち独立。
2018年より、デザインスタジオ「Domain」主宰。
空間デザイナーとして培った設計スキルと、グラフィックから空間までを含めた統合的なブランディングの経験を活かしたトータルデザインを得意とする。
近年はxRの企画やUXデザインを軸に、身体と空間にまつわる未踏の体験を設計・研究・デザインしている。
https://twitter.com/knshtyk

FUKUKOZY: 編集者。建築系専門誌『新建築』の編集を数年担当した後にバーチャルの世界へ。
建築系Webメディアの編集パートナーを勤めつつ、VRChatワールド探索部でのインタビューや「三日坊主本」の自主制作など、バーチャル空間を伝えるための発信活動をしている。
リアル/バーチャル"空間"について興味がある。
https://twitter.com/hukukozy

空間の元になる要素は「人」

画像26

 まず初めに、もともと空間設計や建築に携わっていたおふたりがVRを始めたきっかけを教えてください。

FUKUKOZY 僕はもともと建築の雑誌の編集者をやっていました。
本当におもしろい空間とはどういうものか知りたくて、最新の建築を見る仕事なら自分の目で見ることができると思ったからです。だいたい5年ぐらい編集の仕事をしてました。

VRとの出会いは、Oculus Goが登場した時です。それまで自分には遠い世界だと思っていたのが、安くVR機器が手に入るようになったと聞いて、ちょっとやってみるかと手に入れてみました。それで、初めてVR機器をつけてみたら、これは空間として見た時にも何かおもしろそうだぞと思ったんです。

最近話題の「メタバース」は「二次元のインターネット」に対して「三次元」と言われていますが、「三次元」ならそこには、基底現実の建築と同じように「空間」があるわけですよね。それならばと思い、バーチャル空間に注目するようになっていきました。

ただ僕はワールドを作ったりする方ではないので、あくまで観測者としてですね。また、ちょうど同じくらいの時期に「xRArchi」という、XRに興味のある建築系の人が集まるコミュニティができて、そこに誘ってもらったのも大きなきっかけだったと思います。

sabakichi 謎の町内会、xRArchi。

FUKUKOZY そうです(笑)
都城市民会館フォトグラメトリ」などで知られる龍lileaさんなどがいて、いろいろな人と情報交換をしていました。それまで僕の周りではまったく話題にならなかったようなことが盛んにやりとりされていて、新しい世界を見たという感じでしたね。

VRAAのきっかけとなる「VR建築コンテスト」も、xRArchiの一部メンバーではじめたものでした。xRArchiは建築とXRという括りだったので、必ずしもVRというわけではなかったのですが、私はVR建築コンテストをきっかけにVRChatをはじめとしたソーシャルVRに興味を持つようになり、そっちの方面に深く入り込んでいくようになりました。

今は雑誌編集者から転職して、VR系の企業で働いています。

画像1

 建築雑誌の編集からVRの企業に転職というのは、おもしろいキャリアですね。sabakichiさんはいかがですか?

sabakichi 僕はもともと空間設計をやっていたのですが、同時にブランディングとかも含めた総合的なデザインも物理現実でやっていました。
いろいろな領域の交差点のようなところで活動していたので、VRとの親和性もすごくあったんですよね。

そんな経緯もありVRに興味を持つようになって、体験のデザインはどの現実でもいいじゃんということで、最近は「Experience Designer」という肩書でいろいろやっています。

FUKUKOZY VR機器に触り始めたのはいつ頃だったんですか?

sabakichi 前に働いていた事務所を辞めた時期とHTC VIVEの発売がちょうど被っていたんですよね(2016年)。
辞めたからには何か新しいことを始めようと思っていたので、やるなら今しかないと思い切って購入して、自分でVRのコンテンツをつくるようになったんです。

また、建築の展示でOculus DK2が置かれていたのを見たのも、ひとつのきっかけだったと思います。
当時は360度動画で建築のプレビューができるという程度のものだったんですけど、それを見たときに、VR機器からでも「ああ、空間あるじゃん」と感じた。その体験は大きかったです。

画像2

FUKUKOZY やっぱりふたりとも、そこに空間があるように感じたから、この領域に興味を持ったようですね。

ただ3DCGという観点から見ると、僕が学生の時はRhinocerosのような、いわゆる建築の人が触る3DCGソフトも触ってはいたのですが、いまいち興味を持てなくて。設計課題などでパースをつくる時も手描きベースでした。

では、同じ3DCGで構成されているバーチャル空間になぜ興味を持ったかというと、そこに「人がいる」と感じたからなのかなと思います。

sabakichi 確かに、そう考えるとバーチャル空間ってかなりおもしろいですよね。建築がなくても場が成立するっていう、リアルだと絶対にありえない状況が存在しうる。

何もない、だだっ広い、本当に無のワールドでも、そこにみんな集っていれば、場として成立して空間化される。
人が集まってる距離感だけで成立する空間は、リアルだといろんな条件が邪魔になってあまりないけど、バーチャルだと成立しちゃうという面はありますよね。

それを考えるとやっぱりVRChatでは、空間の基本単位というか、一番の元になる要素が「人」なんだなって。

FUKUKOZY それはソーシャルVRに入ってみて改めて気づきましたね。

sabakichi そうですね、気付かされた。

画像3

バーチャル空間設計の単位は「世界」

 VRChatでの空間コンテストである「VRAA」は、何をきっかけにして開催されたんですか?

sabakichi さきほど話したxRArchiで、建築の世界の人たちをVRに呼び込みたいという目的で開催した「第0回建築コンテスト」というイベントが、VRAAのそもそものスタートです。

当時のVRChatには、建築に着目するとおもしろいという価値観がほとんどなかったように個人的には見えていたので、バーチャルの建築っておもしろいじゃんってことをみんなで言い合うことで、その魅力に気づいてもらおうという目的もありました。

ただ、第0回をやって気づいたのは、主催した僕たちの方が「建築」というものに縛られすぎていたということです。

xRArchiはリアルの建築設計を仕事にしている人とかの集まりなので、バーチャルの空間については詳しくなくしょうがない部分もあったのですが、
実際にVRChatで遊んでいると、ワールドってもっと自由だし、建物の形じゃなくても空間は成立している。そういう自由な、自然発生したものの方が本当は面白くて、価値があるのではないかと気づいたんです。

そこで、「第0回VR建築コンテスト」から目的の部分のフォーカスを変えて開催したのがVRAA(バーチャル・リアリティ・アーキテクチャ・アワード)。
「建築」という言葉を使うと、家のような現実の建物のことを想像しちゃうので。その代わりに「アーキテクチャ」という言葉を新しく使うことにしました。

情報の分野ではシステムの構造のことを「アーキテクチャ」と言うと思うんですけど、そういう「構造」をみんなで褒めあって、みんなで楽しみあう会にしたいとはじめたのがVRAAですね。

画像4

FUKUKOZY 第0回VR建築コンテストでは応募者に3Dモデルを投稿してもらって、ひとつの大きなワールドに運営が配置するみたいな形だったのですが、それが結果として制約になってしまったんですよね。

制作者にとってコントロールできない部分を作ってしまった結果、それがある種のバイアスになってしまい、いわゆる家型の作品が投稿されたりしていたんです。

もちろんそれはそれでよいのですが、バーチャル空間なら家っぽいものである必要もないわけで、そういう概念に囚われなくてもいいよね、というのは第0回VR建築コンテストを開催して気づいたことですね。

sabakichi そうですね。なので、VRAAでは投稿するのが「ワールド」という単位に変わったのが一番大きい変化だったと思います。

僕たちは空間のことを考えるときに、「建築」という単位で考えていたんですけど、バーチャル空間のユーザーは「世界」という単位で考えている。

世界を全部作ってる人たちの方が自由にやってるし、その方が楽しいし、可能性あるよねと気づけたのが大きかったのではないかな。

画像26

 VRAAを開催した感想はいかがですか?

sabakichi まだあんまり整理ついてないですね。

FUKUKOZY 「大変だったな……。」という記憶だけが(笑)

sabakichi それは間違いないですね(笑)

FUKUKOZY VRAAをやって思ったのは「人間の想像力はすごいな」ということですね。

例えばVRAA 01で最優秀賞を取ったVoxelKeiさんの「Communicate Your Dimension!」というワールドは、旅先で撮影した写真から生成された3次元空間が球に閉じ込められていて、
それを持ち歩いたり、展開して中に入ってその空間を体験できるというワールドだったのですが、まさかそんなものが出てくるとは思わないじゃないですか。

画像6

「Communicate Your Dimension!」 by VoxelKei

VRAAではテーマ設定をあえて抽象的にしていて、だからこそこういった作品が応募されたことはとてもうれしかったです。

例えば、VRAA01のテーマは”バーチャルコミュニケーション”でした。
バーチャルコミュニケーションと言われても具象的なイメージは何も浮かびませんが、だからこそ、それぞれの人が自分の中で「バーチャルコミュニケーションとはなんぞや」と考える。

さきほど言ったようにVRAAではより自由な発想を求めていたからこそ、そういう抽象的な思考を経た方がいいのではないかと考えたんです。
蓋を開けてみると、それぞれの人が自分なりの「バーチャルコミュニケーション」を考えてつくってくれて、それぞれ全く違うあり方だったのがすごかった。

自分の心象風景を作る人もいたりして、自分の心象風景がコミュニケーションになるという考え方もあるんだなとかそれぞれの思考が垣間見えて興味深く応募されたワールドを拝見していました。
VoxelKeiさんのワールドもある意味では、自分の心象風景を持てるようにして共有できるもの。心象風景という共通項はあったとしても、その現れ方が人によってまったく違うんですよね。

そういう風にいろいろな人の解釈が3次元空間になって現れるというのは非常におもしろいなと思いましたね。

画像7

sabakichi VRAAで僕が一番感動したのは、作品を投稿した人の多くが本業のクリエイターではなかったことです。アンケートを取ったわけではないので想像ですけど。

ものすごい量の作品が提出された上に、どれも趣味で作ったと思えないほどクオリティが高い。衝撃的でしたね。
比較するのもアレですが、10年くらいやってるプロのクリエイターが出すものよりも圧倒的におもしろい、と僕は感じました。

ソーシャルVRがきっかけで新たにクリエイションを始めた人たちも多かったと思うのですが、そういった人たちが「こんなのどうですか」ってラフな感じで持ってきてくれたのも嬉しいですよね。
応募された作品を楽しみにしていた人たちが、自宅から気軽にワールドに集まってワイワイ楽しんでいるのもよかった。

それはソーシャルVRにおけるひとつのクリエイションのムーブメントとしてすごいと思います。
そういう個人のクリエイターが自分で好きに作ってしまう、新しいクリエイションの時代があるということ自体は前から気づいていましたが、VRAAを通してそれをハッキリと感じることができたので、やってよかったなというのは間違いないですね。

画像8

ソーシャルVRに生まれた「インディーズ空間」

 既存のクリエイターが作るものよりも、空間設計においては素人のはずの方々が出した作品の方がおもしろかったというのは、どういう点においてですか?

sabakichi 体験したことのない体験があるという意味で、シンプルにコンテンツとして強度がありました。

もちろんそれでお金を取るとなるとテクスチャがゴワゴワじゃんとか、ルックが整ってるかとか色がきれいとか、いろいろな評価の軸があると思うんですけど、そうしたものは置いておけるくらい、シンプルに体験という軸においてもう圧倒的だった。

見たこともないような体験とか、新規性だけじゃなくて、現実のインスタレーションで本当はやりたかった体験みたいなことがすんなり実現されていて。そういう想像の限界を超えたものがいくつか見れたことには感動しましたね。

 音楽も映画も、インディーズ作品の方が商業作品よりもとがっていておもしろかったり、斬新な企画や表現があったりします。空間や建築におけるインディーズのようなものが、ソーシャルVRによって生まれてきているということでしょうか。

FUKUKOZY インディーズ空間、いいですね。

sabakichi 確かにインディーズが近いかもしれないですね。
多分ここで生まれているものはサブカルチャーではないんですよ。メインがあって、そこから違う道に外れたという話ではない。純粋に新しい道が敷設されているんです。
サブカルではないしカウンターカルチャーでもないと思います。まあ、カウンター的なものもあるんですけど(笑)

ソーシャルVRも最初の方は、現実から逃げてきた人たちの居場所みたいな揶揄のされ方もされていましたけど、現実とはぜんぜん違うおもしろさが純粋に追いかけられ続けていて、そこに新しい道が生まれている。
そうして生まれた、現実のどこの文脈にも属していないものが存在している、という状態が凄まじいなと思いますね。

画像9

FUKUKOZY インディーズ空間という表現がいいなと思ったのは、現実と違ってソーシャルVRでは空間をつくる側や主体的に体験する側に立ちやすいという状況があり、それが上手く表現されていると思ったからです。

そして、そういう風にソーシャルVRでいろいろな空間が体験できるようになることで、現実での建築や空間を見る解像度も高まっていくと思うんですよね。

例えば似たようなシチュエーションのワールドでも、テクスチャを変えると印象がかなり変わるんだなとか、窓の外から何が見えるといいのかとか、そういう小さな気づきをどんどん得られるので、そうした経験の蓄積が現実の建築や空間を見る時の解像度の高まりにも寄与するのではないかと思います。

建築はそもそも物理的に人の認識できるサイズを超えており、全体像を掴むことはできないので、予備知識がないと楽しめない側面があるんですよね。
映画やアートを鑑賞するときも、予備知識があるとより楽しめると思うのですが、そういった建築の予備知識をバーチャル空間でライトに得ることができるのは非常に良いことだと思います。

なのである意味では、バーチャル空間は建築や空間を伝えるためのメディアにもなり得るのかなと個人的に思っています。
建築や空間を「体験」できるメディアは、これまでほぼなかったので、これは建築や空間への認知度が広がるすごく大きなチャンス。

 確かに、空間を作品として自由に見られるメディアの登場は、はじめてと言えるかもしれません。

sabakichi 複製コストがゼロに近づく状態が、建築とか空間に初めて来たのがバーチャル空間なんじゃないかな。音楽も、CDとか現実の盤を刷ってた時は複製コストがかかっていて広まりには限界があった。それがmp3やストリーミングになったら、みんながコピーしはじめて爆発的に一気に広まった。

 音楽で例えるなら「ライブしかない」みたいな状態だったわけですよね。空間を体験するためには、実際にその場に行くしかなかった。

sabakichi そうそう。

FUKUKOZY そもそも建築を学んでいる人でさえ、世の中にある建築のほとんどは見ることができないんですよね。

画像10

例えば住宅はそこに住んでいる人がいるわけなので、自由に見に行くことはできないですよね。だからこれまで、そういう私的な空間を伝えるものは写真や図面しかなかったんですが、そうなると情報量はかなり落ちるので「体験」にはならない。

それが悪いことばかりではなく、写真や図面から読み取る能力が鍛えられるという側面もあるのですが...…ただ、それはもともと建築や空間について積極的に興味を持っている人に限られると思います。

だから物理的には行けなくても、空間を伝える情報量が圧倒的に大きい「体験」として届けられるバーチャル空間というメディアができたのはすごく大きな変化なんです。

sabakichi 言われてみれば、建築における“メディア”は図面だったんですね。立体をズバズバっと切って、バーンと押しつぶして、ちっちゃくしたやつを「建築ですよ」って言い張ってた。

だけどバーチャル空間が出てきたことによって、これからは実寸のサイズで「これが建築ですよ」という風に扱えるようになった。そしてそれは交換可能で、複製もできる。つまり本物に近づいたというか、嘘をつかなくてよくなったということ。

確かにその変化は、何かしらの産業革命的な、建築に対する何かが起きつつあるのかなって感じはありますね。

画像11

バーチャル空間は、すべてを自由に設計できる

 バーチャルと現実の建築にはどういった違いがあるのでしょうか?

FUKUKOZY 冒頭でお話したように、VRChatなどソーシャルVRの場合は、まず人がいればもうなんとなく空間として成り立つというところは違いだと思いますね。

もちろん例外もありますが、現実はまず器として建築をつくって、そこに人が集まります。バーチャル空間のあり方はその逆で、まず人がいて、その人たちが何かを欲した時に、それを満たすためのオブジェクトが増えていったり、シェーダーで何か描かれたり、必要に応じて空間がつくられていく。

また多くの場合、現実の建築ではクライアントがいて、そのクライアントは架空の人(ペルソナ)や未来の自分を想像して、設計者と建築を作っていく。つまり、人が何かを欲してそこからつくられていくというかたちではない。つくられ方の面でも違いがあるのかなと思います。

sabakichi バーチャルの中って、プリミティブだなっていつも思うんです。原初的というか、自然発生的な感じがして。
建築家なしの建築』って本があるじゃないですか。あれ?好きなのに名前出てこなくなっちゃった、作家誰だっけ。

FUKUKOZY バーナード・ルドフスキー。

sabakichi そうそう。僕はあの本がめちゃめちゃ好きで、自分にとっての聖書なんですよね。
というのはやっぱり建築の基本は、人間の身体とか、人間同士の距離とか、そういうプリミティブなところから発生すると考えているから。

バーチャルだと、そういうプリミティブさ、純粋さを許容する深さがあるんですよね。
本当は現実でもそうあってほしいんだけど、できない。それがあってもいい状態、っていう不思議な状況がバーチャル空間にはある。

FUKUKOZY 『建築家なしの建築』という本は、世界中のいわゆる「バナキュラー」と呼ばれる、地方独自の素材を使ったり、その土地の気候や風土に応じて生まれた建築を紹介する本です。

画像12

『建築家なしの建築』表紙(『バーナード・ルドフスキー 生活技術のデザイナー』(鹿島出版会,2021年)より引用)

その建築にはいわゆる「建築家」のような設計者はいなくて、そこに住んでいる人たちの知恵によって、その土地に合った形で組み立てられていった建築の様式みたいなものを、具体的な事例を挙げながら解説していく本ですね。

1980年代に出版された本ですが、建築業界にも大きな影響を与えています。最近ルドフスキーの活動をまとめた訳本も出たり、未だに影響力はあると思います。

 探索部でもよく話題になる「細い階段」とか。これはVRChat様式だ、って話してますよね。

画像13

現実では登りづらいかもしれないが、バーチャル空間では省スペースで快適に登れる「踏み幅が細い階段」。

FUKUKOZY そうですね、そういう感性に近いと思います。
建築の原初は「シェルター」と言われることもあって、雨風から守るだけの必要最低限の機能を持ったものでした。
『建築家なしの建築』で紹介される事例もそうした最低限の機能を満たすためにつくられたものが多い。ただ、最低限だからこそ、ある種の純粋さがある。

今のソーシャルVRの空間も、その人にとって必要な機能だけで生み出される空間だと考えると、純粋さが感じられるのは、そういうところが寄与しているのかなと思いました。

sabakichi バーチャル空間の場合、シェルターがいるのかどうかというところから疑われ始めるのが面白いですよね。
バーチャルなのだから雨風を凌ぐ必要がない。現実の建築とはそもそものスタートからずれているので、じゃあなくていいじゃんってなるはずなんだけど、それでもみんな家の中に集まったりする。それがめちゃくちゃおもしろいですよね。

FUKUKOZY 現実の建築や空間はシェルターからはじまって、「こういう場所にいたい」という内的要因で作られるのは少し時代が進んでからなんですが、バーチャル空間はその「内的要因でつくられる建築」の原初に近いのかもしれないですね。

そこでおもしろいのは、現実の建築は内的要因の最大公約数を取るので、一人一人の内的要因が弱まるのですが、バーチャル空間ではそうする必要がない。現実の建築や空間では大らかさが求められる一方、バーチャル空間はとがったあり方が許容される。

 現実だと汎用性の高い空間が作られがちということですよね。

sabakichi そうですね、公共性と私的空間というか。
現実の方だとパーソナルな空間が存在しづらい。

建築は特に公共財として発生してきたものだから、どうしてもパブリックなものとして存在させないといけないという要件があるけど、バーチャル空間であれば自分だけのものを無限に作れる。
バーチャルは公共性を本当の意味で剥奪できる。

それは公共がどこから始まるかという一種の問いかけにも繋がりますよね。
例えば、今ここで話している3人がいるけど、ここは公共的な空間なのかどうか、そうではないとしたら、それが10人に増えたら公共的な空間になるのか、という線引きは難しい問題だけど、そこをちゃんと考え直せるところもバーチャル空間と建築の世界が持っているおもしろいところだと思います。

FUKUKOZY バーチャル空間だと現実では考えざるを得ないことも、一回全部リセットして考えることができるのがいいですよね。

画像14

 そのおもしろさを表しているのが、まさにVRChatのワールドに見られる多様性ですよね。

FUKUKOZY きれいな湖畔が居心地いいという人もいれば、都会の路地裏が居心地いい人もいるじゃないですか。なんか、VRChatユーザーはそっちの方が多そうですけど(笑)

本来「居心地がいい空間」にはそれぐらいの極値があってもいいはずなんですよね。バーチャル空間ではそのバリエーションの多さが見えるのがいい。

sabakichi バーチャル空間は「ここで何かをしないといけない」という観念がない文化になってますよね。
ライブ会場で寝てもいいし、ポピ横(VRChatの飲み屋街ワールド)とか道で寝ててもいいしみたいな、そういうラフさがある。

VRChatのワールドは治安の悪そうなところがあったり、amanekさんのワールドみたいに綺麗なところがあったり、人がガヤガヤ集まってたり、イベントやってるところもあったり。
いろいろあって、どこに行っていいのかわかんないってぐらい選択肢が無限にある。

その上で、「何かしないといけない」という要求が個人に発生せず、「ここでは何をしてもいいよ」という状態になっているからこそ、多様性があるのかもしれないですね。

FUKUKOZY VRChatはカオスって言われますけど、本来、人間が持っている想像力はそれぐらいカオスで、それがそのまま出てきているって感じですよね。

昔だったらニコ動のMAD動画とかに、とても自由でセンスのある作品があったりした。その自由さが3次元空間として現れたときに、ソーシャルVRのユーザーが作っているワールドみたいな現われ方をする。

sabakichi うん。amanekさんのワールドも本当にそういうものの現れかも。

画像15

今回のインタビューでは、amanekさんのワールド「Silver」をお借りした。

このワールドも、観念的な心象風景と具象のものがほどよく入り交じっている。個人の作家性を超えた、本当にその人が思ってる心の内みたいなものが、そのまま具現化した要素が揃ってますよね。

抽象もあるし具体で存在していて欲しいものも入ってる。
それをきっちり設計しきるって現実じゃ絶対にできないじゃないですか。

現実の設計だと外部環境がコントロールできなくて、ものすごい制限がある。景色を選べないし、ロケーションも選べないし。道路の騒音もあったり、とにかく外部環境は選べない。

そうした時にバーチャル空間で外の環境と内の環境をすべて設計しきれるのは、現実の設計を遥かに超えた“作家性の許容量”というか、
ボリュームの深さみたいなものが、もっともっと入る余地があるかもしれないですね。

画像25

FUKUKOZY そうですね。すべてがコントロールできる状態で作れるというのは大きな違いだと思います。

現実の建築だと外部環境も含めて、コントロールしきれないことの方が多いから、結果として「コントロールできないこと」を前提とした設計を考える。
それが現実の建築では当たり前のことですし、もちろんそうした部分を上手く取り込むことで素晴らしい建築や空間をつくれることもあると思います。

一方で、それ以外の可能性を秘めた空間として、バーチャル空間は「すべてをコントロールできる」ものとして設計者の選択肢のひとつになり得ますよね。

今まで空間をつくる職能は現実にしかなかったけど、バーチャル空間という新しい選択肢が生まれた。そこでは「すべてをコントロールできる」からこそ生まれる新しい空間のあり方が存在するのではないかと思います。

一点突破で作る空間の魅力

sabakichi ちなみに、FUKUKOZYさんのお気に入りのワールドはありますか?

FUKUKOZY そうですね。noteに記事を書いた「水の休息所 -Underwater Lounge-」というワールドがお気に入りで。行きますか?

 行きましょう。
 
sabakichi 行きますか?っていうのがすごいんだよね。
現実でインタビューしてて、行きますか?ってないよね。

 この気軽さもバーチャル空間の魅力ですね

画像17

水の休息所 -Underwater Lounge- by DONAMO-163

 ここには来たのは初めてです。このワールドがお気に入りの理由はなんですか?

FUKUKOZY このワールドはどうやら水中にある建物というシチュエーションのようなのですが、現実には水中建造物はまだ少ないんですよね。

もちろん海底構築物や水中展望台なんかは実際につくられていますし、建設構想もあって建造物をつくろうとはしているのですが、結局はほとんど実現していない。
そういう、現実でやりたいけどやれてないような、ちょっとありえない建造物っていいなと思っているんです。実現できるはずなのに実現されていないものを体験できる。

まあ、その筆頭として僕が大好きなのが、クソデカ建造物なんですよ。

画像19

クソデカ建造物をつくるためには大体強い権力を持っていないと実現しないので、日本のような民主主義国家だとつくれないとか、
そこに住む人間のことを度外視してつくらなきゃいけないから、つくれたとしても使い物にはならないというハードルがあって、現実には存在しづらい。

でもクソデカ建造物のような一点突破型の空間には謎の魅力があるのも事実なんですよね。バーチャルなら、それらのハードルを考慮せずに、「こういう空間を見たい」という内的要因だけで、そういう建築を存在させることができる。

バーチャル空間は「重力がない」とか「制約がない」ってことを強調されがちですけど、普通に現実でも作れるけど、いろんな要因で作れないものを作れるという魅力もある。別に物理法則を超える必要はないんですよね。

それがいいなと思って、バーチャル空間として体験するのも好きだし、自分でもconcrete block museumのようなクソデカ建造物を作りたいと思っちゃうんですよね。

画像18

concrete block museum」 by hukukozy

 確かに。concrete block museumも、物理的には作れるけど、現実にこういう、透かしブロックを展示した巨大博物館を作ることは難しいですもんね。

sabakichi そうそう、だからアレはバーチャルって言葉ではめると、実質的に建築なんだが、実質的に建築ではないですよね。
アレは完全にあり得ないものが実質的にそうだねってなってるから。

バーチャルって言葉が元々持ってる本当の広さが拾えてるという意味で、ありそうでなかった建築みたいな。そこにはまる。

FUKUKOZY 透かしブロックを展示する博物館をつくろうと思えばつくれるけど、現実では色々な理由でおそらく不可能。そういう、「できるけどできなかったこと」をやれるのはいいですよね。
まあ現実ではブロックは空を飛ばないけど(笑)

sabakichi それは超えてるわ(笑)

 クソデカ建造物といえば、FUKUKOZYさんは三日坊主さんのワールドについての書籍をつくっていましたよね。

FUKUKOZY そうですね。三日坊主さんのワールドも一点突破型ですよね。
導線のこととかを考えずに、自分の好きなように構造物を作ってみたらどうなるかというピュアな思考からワールドが生まれているのがすごく良い。

三日坊主さんは、まずワールドをつくって、そこに人が来たらどうなるかみたいなことを観察してると思うんですよ。空間を作ることが先に来ている。
そういう状態の存在が広く受け入れられているのはやっぱりすごくいいなと思いますね。

sabakichi 設計者にとっては夢の世界ですよ。人によるかもしれないけど。

 そういう作り方も、現実では難しい話なんですね。

sabakichi 考えてみたらリアルの設計プロセスって矛盾してるんですよ。
モノがないと人が入らないからなんにもできないけど、
建築は人の活動のために存在しないといけない。

そこは矛盾してるから、うまいこと予測しながら探り探りやっていく。
計画だけ先に作って、モノができたら、実際に「さあどうだ」っていう、博打みたいな感じがあるじゃないですか。

 いわゆる「PDCA」が回せない。

sabakichi そうそう。開発みたいなことがほとんどできない。だいたい、イテレーションが1回で終わりのものだから。
三日坊主氏がやってるのって開発っぽいというか、そこの矛盾がないプロセスなんだよね。

先に作らないと誰も何も遊べないから、先に作って中で遊んでもらって、
その中で人がどういう動きをしたかとか、どういう楽しみ方をしたかを観察して、作り替えたり調整したりする。

これはすごく正しいプロセスに思える。
むしろそっちの方が設計としてまっすぐな、純粋な道なんじゃないかな。

画像20

バーチャル空間の未来、建築の未来

 最後に、お二人がこれからのVR空間に期待するものは何がありますか?

sabakichi VRで建築とか空間が扱えるようになって何が良いかって、いま起きている話で言うと、設計が民主化されていること。
建築を建てたりとか、今までは専門的な人しかできなかったことが誰でも好きにできるようになった。

じゃあ将来的に何が一番変わるのかっていうと、僕らの身体感覚とか現実の知覚の方が変わっちゃうと思うんですよね。
バーチャルの中で現実を超えた体験をすることによって、じゃあ現実側で「これ何でできないの?」っていう欲求が生まれるとか。

よく聞く話だと女の子のアバターをまとって活動してると、女の子っぽい仕草とか所作が綺麗になるとか、背筋が伸びて綺麗になったって話を結構聞くんです。
バーチャルだと、そういう自分の身体の認識ってのが簡単に変わっちゃう。

建築で言えば、現実で建てられないような無茶なものは試してみることすらできない。人の命にも関わるし、責任があるから。バーチャルではそのハードルをまず簡単に越えてしまえる。

バーチャルで試してみて、これはできるってわかったら、
現実でできなかったことをもっと物理の現実に反映していく。

そうなると人間の身体とかいろんな認識も変わっていくし、いろんなものが、現実をどんどん超越していく。それがなっていってほしい未来。

画像21

 高層マンションで育った人は高い場所を怖がらなくなるという話もありますが、VRが生活の一部に組み込まれるようになれば、そういった認知への影響も強くありそうですよね。FUKUKOZYさんはVRにどんな未来を期待していますか?

FUKUKOZY 建築業界の人も「作りたい、見たい風景」を持ってると思うので、そういう人がバーチャル空間を作る側にもっと来てほしいなと思っています。

ここにはそれができる環境があるのに、入ってこないのはもったいない。僕はやっぱりいろんなワールドを見たいので。

 偏見ですが、建築業界の方って「物理空間じゃないと意味がない」って思う人が多そうなイメージです。

FUKUKOZY そういう人もいます。
でも、歴史的にはアンビルトといってドローイングなどで自分の建築の構想をビジュアルにする人たちは存在していたので、そういう人たちは現代ならそういう人たちがバーチャルに来るんだろうなと思っていたんですけど、今のところ来てる気配があんまりない。

sabakichi なんでなんでしょうね。不思議だから、「おいでおいで」っていう活動をやってるわけなんですけど。

FUKUKOZY そうなんですよ。VRAAもそのための活動だったんですけど、あまり響きませんでしたね。

アンビルトと呼ばれるものをつくっていた人たちは、現実で建築を建てられないからそういう手段を取っていた人が多いんです。
例えば、ビジョナリー・アーキテクトと呼ばれていた人たちの中には、フランス革命で仕事がなくなったから、紙に自分の構想を描き続けていた人がいたんですよね。

高度経済成長期のような時代と違って、今の日本の状況とか考えると、大規模な建築などを作りたくても作れない人はいっぱいいると思うのですが、
そういう人はこっちに来て色々クソデカ建造物をつくってくれたらいいのにな……と思うんですけど。

建築を学ぶ学生さんも、空間をつくって人に来てもらえる環境がバーチャル空間にはあるので、もっと来て欲しいなと思いますね。

画像22

sabakichi 建築の世界は、いま分岐点にあると思います。
僕は設計もしつつ、外からも見つつみたいな立場で建築の業界を見てるんですけど。

建築は本来公共財へあたるものがほとんどなので、自分の好みとかを入れちゃいけないですよね。例えば、鉄道を敷く道を通す時に、こっちの道の方が景色がいいから、遠回りになるけどこっち通そうかなっていうのは許されないじゃないですか。

もちろん最短のルートを通るべきで、みんなでお金を出し合って作るものなんだから、その人の好みで決めるべきじゃない、というのは当然の正論なんですよね。

だけど、そこを走る電車の形が、味気もないただの箱でいいのかというと、そうじゃない。椅子がかわいかったりとか、座り心地が良かったりとか、かっこいいデザインの列車になっている方が、それに乗りたいという人が集まるようになる。

そういう、個人の趣味じゃないんだけど、みんなのためのデザインっていうプラスの価値があるわけですよ。
たぶんそこを設計者はきちんと分離して取り扱わなくちゃいけないんですけど、建築の場合それがまだ未解決。○○先生が作ったあの独特な感じ、みたいなところに集約されてしまっていて、そこが分離できてないんですね。

公共空間なんだから作家っぽいものやめようぜってなって、全部同じようなものを作ってしまうということになぜかなっちゃってるんだけど、
そうではなくて、デザインで増すところは増すけど、好き好み、みたいなのはやめるみたいなのが理想的なあり方だと思うんです。
そういう塩梅を考える部分が、設計者の皆さんが悩んでいるところなのかなと思う。

バーチャル空間なら、アーティストとしての部分を表現するのにも使えるし、さらにさっきの「こうしなきゃいけない」って要件がいったんなくなるので、それをきちんと分離するトレーニングにもなる。

バーチャル空間は設計者の正道じゃないと思われるかもしれませんが、設計っていう文化の辿るべきプロセスの道の先にあると思うので、設計者の人はまずVRChatやってみたらどうですか、って思っています。

FUKUKOZY それに尽きる。ソーシャルVRでバーチャル空間をつくって、そこで人びとがどう動くのかを見るという一通りのことはぜひ体験してほしいですね。

 ワールド探索部の記事は、毎回この結論で終わります(笑)

sabakichi やってみてください!

 今回の対談記事をきっかけに、いろんな方がワールド制作に挑戦してくれるといいですね。

画像23

VRChatにおいては、小さな室内のワールドから、巨大建造物、街、果てはスペースコロニーまで、それぞれの思い思いの空間が日々つくられ、アップロードされている。ユニークなギミックが搭載されているものもあれば、多様な演出や表現によって、エンターテインメント作品にまで昇華されているものもある。

考えてみれば、「空間」というものについてこれほど多くの人が関心を抱き、創作に励んでいるこの時代は、過去に例を見ないと言えるかもしれない。「VRChatワールド探索部」はまさにそういった空間や、そこで得られる体験にフォーカスした活動をしているが、今回の対談はその可能性や魅力をより強く感じさせてくれるものだった。

みなさんもぜひ、自分が思う「良い空間」とはどういったものなのか、ワールド探索をしながら思いを巡らせてみてください。

画像24

最後に、本文中には書ききれなかったsabakichiさんのおすすめワールド「drop」をご紹介。こちらはVRAA01にも提出された作品。

人間が持つパーソナルスペースを可視化した、透明のバリアのようなものに体が包まれるワールド。お互いの姿が見えづらくなるが、距離が近づくとバリア同士がくっついてひとつの空間が形成される。このような方法でパーソナルスペースを表現するのには驚いた。

まさにVRならではの"バーチャルコミュニケーション"体験が味わえるワールドなので、ぜひ一度足を運んでみてほしい。

画像25

drop — by enfutu

今回のインタビュー企画に応じてくださったsabakichiさんFUKUKOZYさん、ワールド「Silver」をお貸ししてくださいましたamanekさん、「水の休息所 -Underwater Lounge-」の掲載を快く了承してくださいましたドナモさんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。

また、今回ご紹介した作品も含めた各コンテストの全応募作品が、下記Webサイトにてご覧いただけます。

第0回「VR建築」コンテスト
https://xrarchiweb.wixsite.com/xrarchi/contest0-gallery

VRAA01
https://xrarchi.org/vraa1/

VRAA02
https://vraa.jp

監修・執筆・インタビュー・写真撮影:タカオミ
編集・一部写真提供:FUKUKOZY

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?