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誰もやりたい人がいないなら私やります。

小学校、中学校、高校で聞いたことがあるやろう。誰もがやりたがらない役職を決める謎の時間。何のために、何故、決めなければならないのか。

そもそも、クラスに30人もいて30人手が上がらないという状況で疑問を浮かべないのか。学校的に必要なことなのだろうが、せっかく責任を持ってやるならもっと主体的な事を促す方がいい。
「この役職は毎年あるから、今年も決めなければならない」
そういう恰も常識であるかのような状況に対して疑問を浮かべられるような環境作りが重要ではないだろうか。
素直に先生に疑問を投げかけるという状況は大切だと感じる。組織の責任者に、「違う」ことは違うと伝えられる環境でなければ間違いに気づくことができない。

その一言が踏み外さなくて済むなら、伝えてあげるのが正解。テーマが組織であることが故に、話の内容が固くなってしまうのは苦しい。
今日の自分は、山梨県にいます。
明日はコテージで英語を受けることになりましょう。為せば成る。

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