![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109642050/rectangle_large_type_2_24bcaaff5d9f1fc86e2f2f803e6a533f.png?width=800)
本当にそのコンテクストは共有されているのか
数年前のことだけど、ニコニコ動画で「ロマンシングサガ2」というレトロゲームの解説動画を見ていて、心底衝撃を受けたコメントがあった。
ニコニコは画面に重なるようにコメントが表示されているので、コメント投稿者がどのシーンをさして発言したかが視覚化されているのでわかりやすい。
ゲーム内の有名なシーン、ヴィクトールが「流し斬りが完全に入ったのに」と言い遺し、討ち死にするところだった。
そのコメントがこうだった。
「なんで消えたの?」
ヴィクトールはセリフの後に数回点滅し、姿が消えるという演出がなされていた。
これはレトロゲームの死亡表現なのだ。容量が乏しい旧型のゲーム機では、いちいちモーションを書き起こすこともできないため、死んだ表現は消えて無くすのが当然だった。
アクションゲームなら「スペランカー」がまさにそれ。敵の攻撃を受けると主人公はノーリアクションのまま点滅するだけ。これがやられた表現なのだ。
マリオのように気の利いたゲームならばやられた表現もあるにはあるが、RPGに於いては死亡表現は「消える」ほぼ一択だったと思う。国民的ゲームドラクエからしてそうだった。特にRPGは容量との戦いなので、死んだからと言ってその特別なグラフィックを書き起こす隙間が無かっただろう。
だけどスーパーファミコンのロマサガ2はどうだったろう。ファミコンと比べて4倍近いサイズのキャラが動き回り、戦闘時にはアクションまでして見せるようになった。
ましてやヴィクトールには専用の「倒れる姿」まで書き起こされていた。それなのに。それなのに、だ。死亡演出はファミコンレベルの「消えて無くなる」…なのである。
もちろんその事は何も悪くない。見てる方も当たり前だと思ってたし、企画・開発側だって当然の演出だと思っていただろう。
![](https://assets.st-note.com/img/1688164657715-hzSAYPUtZy.png?width=800)
これは当時の人たちが演出を当然だと思っていたから、共通認識があったからわかることなのだ。逆に言えば、認識が共通されてしまうからこそ、そうでない人の気配を感じ取ることができないとも言える。
では例のコメント「なんで消えたの」だ。真面目にレトロゲームの死亡演出が理解できないとすると、恐らく2010年前後の生まれと仮定してみよう。そんな子がなんでロマサガの動画を見てるのかわからんが。
その頃のゲームには懐古趣味モノでない限りとっくにまともな死亡演出がなされていただろう(あまり凄惨なものでなければいいが)。
![](https://assets.st-note.com/img/1688164659150-HcFJ2XLEre.png?width=800)
そんな世代が旧来の演出を見て、瞬時に「あ、死んだ」とわかるだろうか。
「わかるでしょ?」「面白いでしょ?」のコンテクストの共有に甘えすぎてないか、ときおり不安になることがある。これはパロディに特に多い。反省したい。
創作論にしても、人間関係にしても、「わからない人がいるはずだ」を常に想定しておくべきだと思う。
えーと、ケツロンとして何を言いたかったのか、ここまで熱弁しすぎて見失ってしまった。なんだっけ。おれは何を言いたかったんだっけ??
聞くところによると、小学生は「なろう系」がイマイチわからないそうである。そもそも「ゴブリンって何で弱いって当たり前のように決まってるの?」あたりからついてこれないそうだ。
確かにまったく知識がない状態でゴブリンが出てきて、どの作品も主人公サイドが恐れもせず、あっさり倒したら、子供には「?」かも知れない。
逆に初期からファイナルファンタジーを知っている人なんかは、ゴブリン弱いよねーと見たこともないくせに当然のように語っちゃうのであります。
こういうところ、知ってる知らないを二極化して想定して物作りをしておくと、あとあとやりやすいんじゃないかと思った次第。
終わり。まとまらなかった。
サポ