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コーカイ日記805

8/13
曇り、雷雨、36℃/28℃。
休み。朝、家族と墓参りに行く。蒸し暑くて少し歩いただけで汗ばんでシャツが身体に張りつく。祖父がどんなだったか手を合わせながら思い出してみる。幼い頃会社に一緒に連れて行ってもらったのを思い出す。父とは早くに別れたので祖父が父親代わりだった。晩年は良いことばかりではなかったけどどう思っていたのだろう。知る術はない。もっと話しておけば良かったとかそういうのはないけど、カントの「物自体」みたいに触れられないまま僕の中に残っている、ような。キャラメルとピースのタバコとアスファルトのブラックマーク、それと仕事場のタイプライター。今帰ってきてもまた手加減なしの将棋で僕をぼこぼこにするんだろうな。
夜、おはぎを食った後、格ゲーで遊ぶ。練習不足だなあ。あと目の前の行動を行いつつ相手を見ながら少し先のことを考えるというのが苦手みたい。生活の中でもそうかも。仕事もか。ちょっと憂うつになるけどちょっとだけなので薬を飲んで元に戻る。それは嘘。元には戻らないけどちょっとだけ凹んだままそれが僕の新しい形になる。そこからまたどう変わるかは僕次第。でもまあペシャンコにならない程度にしないと戻って来れなくなるから程々に。一度ペシャンコになるくらいやることが必要なこともあるだろうけどそれは人生で一度きりでよい。北大路翼の言葉を借りるなら。
なんとなくリルケの詩集を手にとって「幼年時代」を読む。伸びてきた前髪が邪魔をする。

「あの頃 私たちの出来事は まるで
ひとつの事物や動物のそれのようだった」

『リルケ詩集』(1963, 新潮社, 富士川英郎訳)

という一節に目が止まる。僕はいま出来事とどう出会っているのか。出会えているのか。よく分からなくても世界はまた進む。了。

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